うれしかったこと (避難所の生活で)

津波から1か月半から2ヶ月ほど経った頃、避難所(渡波小学校)の各教室で
電気が点灯しテレビが見られるようになった。

中学卒で外国船に乗り35歳で家を建てたが、今度の大津波で家が全壊、解体せざるをえないという、
万能に仕事をする小がらな男の人(60歳代後半)がテレビの設置に活躍した。
最後の仕上げに大阪から来たボランティアの電気屋さんが手伝いをした。

電気がついた瞬間と教室のテレビが映った瞬間、
教室にいた人の大きな歓声と拍手が沸き起こった。 
私自身はそれほどにも感じなかった。 拍手もせずに見ていた。
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それでは、何がうれしかったか?
午後7時のテレビのニュースを見た。 通常、石巻のお天気情報は、
午後7時前の県内向けお天気番組の中で放送される。
それが、
NHKの全国向けのニュースと天気予報の中で
映しだされていた。 石巻市の満潮、干潮の時間もあった。
これを見たときである。

遠くの東京でも こちら(被災地)のことを想ってくれているのだとわかった。
うれしさ と 安心した包まれるような気持ちになった。

これが、2ヵ月半の避難所(渡波小学校)生活で一番うれしかったことです。

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ほっとしたこと

避難所生活ちょうど1か月目にやっとお風呂に入ることができた。
さっぱりとして、ほっとした。
自衛隊がサンファン館の駐車場に設置したお風呂である。
サンファン館の駐車場は30メートルほどの高台にある。 大部分の人は
自動車で入浴に来ていた。 私のように自転車で登ってくる人は
いつも私だけかせいぜいもう一人だけだった。

お風呂はゴム製のおよそ1メートル四方の湯船が二つ接続されたものであった。
お風呂あがりには飲み物が配布された。 休憩用テントには新聞も用意されていた。
平均5-6人が入浴していた。 自衛隊員は丁寧で親切だった。
お風呂の水はどこから何リットル搬入しているか、
お風呂のサービスはいつまで継続するかの質問をした。 リーダーの隊員からは
返事があった。 しかし、一般の隊員は答えを持ち合わせていないだけでなく
関心がないようであり、指示されたことに専心従事しているだけのように感じられた。
この点がちょっと物足りなかった。 そしてこの点がボランティアの人たちとちがう。

この日以降1週間に1回の割合で自衛隊のお風呂に入れていただいた。
お風呂サービスの後半の期間は、再開した水道水が使われた。
お風呂はいつ入浴しても湯量も十分でいつも清潔だった。

毎日自衛隊のお風呂に入りに来ているお年寄りもいた。

自衛隊のお風呂が設置されたサンファン館の駐車場は、現在
10世帯ほどの渡波大森応急仮設住宅団地として使われている。

避難所では洗濯ができなかった。 洗濯物は
郵便局の宅急便で仙台の妹の家に送り、
送り返してもらうことにした。 3-4回くりかえした。

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