プールの水の状態

阪神淡路の大地震の学校トイレの状態を、報道や本などで知っていたので
渡波小学校のプールの水の状態を当時意識して観察した。

プールは地面より50センチメートルほど高い。
プールでの浸水深は、およそ150センチから200センチメートルである。
(校舎の廊下で150センチメートル、近くの体育館の壁で205センチから220センチメートルだからである)
したがって、プールは大津波の海水に覆われたはずである。)

プールの水の色は、写真と似ているが写真よりもうすい緑色。
プールの手すりの脇に立ち、眼を30度下に向けた大部分の範囲で
プールの底のコンクリートが見えた。 津波の泥が薄く堆積している部分もあった。
さらにプールの向こう側は薄緑色の不透明となり底は見えない。
プールの水面上には小さな木の枝、葉っぱ、木の切れ端がところどころに浮いていた。
プールの底にはいくつか小石と小さな木片のような物が沈んでいた。 
ガレキがそちらこちらにたくさん沈んでいるような状態ではなかった。 
プールが体育館や校舎に囲まれてちょうど陰になる位置だったせいもある。

津波の海水で泥が堆積し、プール全体が泥で濁っていると思ったのに、そうでもななかった。
もちろん、きれいだからといってもプールで泳ぐことができるほどではない。
それでも煮沸すれば飲めないことはないなと思った。
(避難所生活でプールの水を煮沸して飲むことはなかった。)

だから、トイレ用の水としては十分きれいであった。
プールの水をトイレに流しても、トイレが泥で汚れたり、泥で詰まる心配をする必要はなかった。

細かいことばかり書いて恥ずかしい気がするが、そのように観察した。

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そうだ、小さなことだが次のことも書いておこう!

トイレの水汲みの最初の日、ポリバケツを持って2階からプールに降りた。
ポリバケツはたくさんあった。 男女のトイレあわせて15個あった。
デッキブラシ2本(漁船の甲板を掃除する柄の長いブラシ)と一般家庭で使う柄の短いブラシ2本があった。
消毒用の薬剤はなかった。 トイレ掃除用具としてはなんとか不自由はなかった。

教室の班長になったばかりの女の人が、プールの手すりに入り
水汲み役をしていた。 ポリバケツを2個手渡し、水を汲んでもらった。
その時その女の人がわたしに言った。

「BB(私の名前)さん、これは確実に体力を消耗する作業だよ。
だから無理をしないほうが良いよ。 (ポリバケツ)2個づつ運ばないで、
1個づつ運んだ方がいいよ。」

わたしはそのとおりだと思った。 とくに 「確実に体力を消耗する作業」 の
部分が気に入ったので、的確なことを話す女の人だと思った。

とはいえ、わたしは1回目、試しに2個両手に持って2階のトイレまで運んでみた。
たったそれだけなのに、予想以上に体力的にがっくりきた。 もともと体力がない上に
2日間、何も口にしていない状態だったから・・・。 普段ならこんなことはないのに
と思った。 以後1個づつ運んだ。 

若い人は少なく、年配の人が多かった。
階段の手すりにつかまり、背中を丸めながら
ゆっくりゆっくりポリバケツの水を運ぶおばあさん、おじいさんもいた。
2階はまだしも、3階の人はたいへんだったと思う。

トイレは2階、3階に各2箇所、全部で4箇所あったから、トイレの水汲み作業は
およそ60個のポリバケツが階段を上下に行き交うのでにぎやかであった。

わたしは女の人の台詞(せりふ)をそのまままねをして周りの人に伝えた。
これは確実に体力を消耗する仕事だから無理をしないほうがよい。
水を少なくして運んでもよい。 自分の体力を考えて無理に水運びなどをしなくてもよい、と。 
その場でわたしの話に反応して言葉を発する人はいなかった。

男女トイレ入り口にそれぞれ7−8個の水を入れたポリバケツが並び、トイレ掃除終了。
日中トイレには1−4個の水の入ったポリバケツが常にあった。

だいぶ後になって知ったことだが、教室の班長になったその女の人は
実のお姉さんを大津波で亡くしたときいた。

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