はじめて(3月11日以降)の石巻市

全市一斉 地震・津波避難訓練

参加者が極度に少ない!

町の通りにポスターを見たので参加する。

1. 午前7時から8時の間にサイレンが鳴る。

2. 大事な物を持ち出せるか?  3. 時間を記録する。  4. 避難場所にたどり着けるか?



渡波(わたのは)公民館は参加者は20−30人だった。

一時避難所の渡波公民館 は自宅に最も近いが、建物が小さく、
二階までしかないので、もう一つの避難場所の渡波小学校に向かう。

渡波公民館: 初期は、遺体安置所、中期は支援物資の配給所。
161センチメートル(右側倉庫の敷地側側面)に浸水痕跡線がある。
173センチメートル(右側倉庫の公道側側面)に浸水痕跡線がある。
渡波公民館では50−60人ほど(正確でない)が避難所生活をした。
無料の公衆電話(NTT提供)3台と無料のインターネット接続パソコンが1台
(インテルの支援、初期は衛星回線、それ以降は有線回線であったらしい)があった。
支援団体(オンザロード)は、長期間、この地域の活動拠点として敷地内に駐在していた。



渡波(わたのは)小学校の校門前 
区長さんと市役所の職員が避難訓練参加者を待ち構えている。

渡波交番の警察官も駆け付けた。  パトカーが町の中を走った。



訓練の地震発生からおよそ10分後: 訓練避難者は松の木の下に座っている。
中央が(たぶん)各区長さん、向かって左に市役所の職員。


私が個人的に決めた避難場所は、松の木と校舎の間の向こうに見える
山の左側の山すそ(直線でおよそ2000メートル先)。




避難訓練開始から40分後、訓練終了10分前で、参加者は、20−30人 だった。

石巻市の職員によると、
すぐに帰った人も含めると参加者は全部で60人ほどだった、とのこと。


大事なものを持って来た人:
4−5人の女の人が手提げ袋を持って来た。 ほとんど手ぶらで集まった。 

リュックサックを背負っているのは、私と取材の人だけ。

全員徒歩、自転車は私だけ! 
自動車、バイクで来た人は見かけない。



渡波(わたのは)小学校は津波翌日には2000人も身を寄せ、
700人前後が数か月間生活し、10月に閉鎖したほどの大きな避難場所なのだから、
200−300人が避難訓練に集まっても不思議でないはずなのに・・・。
参加者が少ないなぁと思う。


----------------------------------------------

この後、私的に選んだ(3月11日の)避難場所へ向かう



私的に選んだ(3月11日)の避難場所: 石巻市 際(きわ)地区の山すそ
(やや斜め左正面が石巻湾方向、正面の高い鉄塔は震災後建てられたNTTの新しい電話用鉄塔)

渡波小学校からゆっくりと自転車で走って予定通りおよそ20分で到着。
途中の鹿松地区で避難訓練の帰りらしい小学校1−2年生ぐらいの男の子と父親に会った。 その他、
だれにも会わなかった。 写真のように、だれもいなかった。 3月11日に避難してきた人たちは
どうしたんだろうか? あの日はたまたまここに避難してきただけなのだろうか?

当日は、道路の向こう側に、左右の道路に自動車が並んでいたのに!

-----------------------------------------------------

どうして参加者が少ないのだろうか? わからない!

3月11日以来大きな余震が何百回も起こっている。 やっと
静かになって来た。 しかし
マグニチュード9 の巨大地震の割には、これまでの余震の全エネルギーの合計はまだ小さい。

マグニチュード9 の数十分の一から数百分の一の地震がもう一度あっても不思議でない。

マグニチュード9 の数十分の一から数百分の一の地震であっても大地震であることにはかわりはない。
まだまだ警戒が必要のはずなのに!
(2012年8月)

町の人は、もう当分、大きな地震や津波はないと考えているのかもしれない。

---------------------------------------

3月11日に、なぜ、私は渡波小学校にに避難をしなかったか?


渡波(わたのは)小学校は石巻市指定の避難場所

渡波小学校が災害時の避難所に指定されていることは何年も前から知っていた。
石巻市報にも掲載されていた。 民家の側面に避難順路と避難場所の案内板があった。

渡波小学校(3階建て)は、最大震度7の地震にも耐えることができる避難所としてつくられている。
(石巻市の市報: 「震度7」にも耐える(だったはずだが記憶がはっきりしない)。)
そのせいか、3月11日の震災でも、校舎外壁、内壁のコンクリートに碧落や亀裂は見当たらなかった。
(壊れたのは、校舎本体から突き出た外来訪問者と職員用の、庇のある玄関 である。)

小学校の体育館の空気は淀(よど)んでいる

けれども、私はこれまで渡波小学校に避難したことはない。 なぜならば、警報が出て
小学校に避難をすれば、たぶん、体育館に案内される。 そして、警報が解除されるまでの半日間を
空気の淀(よど)んだ体育館の中で過ごさなければならない。 それは気分が悪く、退屈で、
憂鬱なことだ。 警報が解除されて家に帰る頃には、半日を無駄に過ごしてしまったという気持ちに
なるに決まっている。


山すその水田地帯は空気がきれいで、静か

それならば、私的に選んだ、水田地帯の山すそに避難する方がよいと考えた。
退屈であることは同じである。 それでも、家に居ることが多い私にとって、
空気がきれいで、静かな所で半日を過ごすのは気分が晴れ晴れと爽快になる。

警報が解除されて夕方に家に帰る頃には、今日も久しぶりに半日リフレッシュができで楽しかった。
そして、津波警報が出たときにはもう一度ここに来ましょうという気持ちになる。
避難訓練は楽しい方がよい。
楽しい避難訓練でなければ長続きはしないと思う。

以上が、私の避難場所が石巻市指定の渡波小学校ではなくて、
遠く離れた山すその水田地帯である(ひとつの)理由である。




Indexへ戻る        前へ戻る        次へ