第五話:巨大化する日本人


一人一人それぞれにとっての「大台」というものが存在するのではないか。 イチローにとっては "4割" が、 磯野カツオ君にとっては "70点" が、 三十路間近の美人 OL にとっては "30歳" が大台なのかもしれぬ。 そして私にとっての大台は "170cm" である。 ふつう身長の大台と言ったら 180 とか 190 とかなんだろうと思うけれど、 私にとっての前人未踏、あと一息、届かぬ夢は 170 だ。とほほ。

そういうわけで私は小さいのだが、まぁ日常生活で困るというケースは ほとんどない。日本人としては平均的な範囲内なのかもしれぬ。ちなみに 角界において「技のデパート」と謳われた舞の海関は、小さい小さいと いわれながらも 171cm だそうだ。大台である。ああ、角界入りしてなくて 良かった。ちなみに B 型だそうだ。関係ないけど。

縦方向は良いとして、日常生活で困るケースが発生するのが横方向だ。

ところで皆さん、新しいズボンを新調する際の理由はなんですか。 「今穿いているものに飽きてしまった」とか 「この間買った上着に合わせて」とか「今流行はやっぱりベルボトムよね」とか 様々な理由があると思うが、 私がズボンを買う理由は大抵「穴があいたから」である。

あきません? あくんですよ。これが。

小さな椅子に座った時に、椅子の座面の縁が腿の下に来ますよね。その辺り、 お尻と腿の間辺りが擦り切れて穴があいてしまうのだ。ドラムを叩く時に ドラム椅子の縁で擦れてしまうのではないかと睨んでいるのだが真相や如何に。

私は普段、気楽なジーンズばかりを愛用しているが、購入する際には そういうわけでちょっと珍しい店員への問いかけで始まる。 「生地のブ厚いジーンズ下さい」と。

今回もお気に入りのスリムに、やはり穴があいてしまった。

幸いなことに私が住む町は Right-On だのジーンズメイトだの、 ジーンズを扱う店には事欠かない。その上、新聞折り込み広告によると スプリングキャンペーンだそうで、赤い字で大書された「20 % OFF!」や 「1000 円引き!」の文字にふらふらと誘導されるがごとく、 まるで光に集まる蛾のごとく、店へと赴くのであった。

さて、今ジーンズといえば、この人の名前を忘れるわけにはいかぬ。 日本人婦女子には「ぶらぴ様」などという腑抜けた愛称を付けられてしまった 映画スター、そう、ブラッド・ピッドである。 CM では何やらヘタクソなギターをかき鳴らしつつ歌など歌っているが、 あのギター、確かサンタ・クルーズかなにか、結構良いメーカの ものだった記憶がある。侮れない。 そしてジーンズ屋に行けばもちろんあちこちに彼の写真が散見される。 なので私も「ご〜ま〜りそん〜 えどいん」とか歌いながら Edwin 503 を物色せねば ならないのであった。

と、その時私の目に留まったのが、真白い T シャツとチノパンを身につけた ぶらぴ様。ううむ。チノパン。ほとんど穿かないけど、これは良いかもしれない。 かっちょいいぞ。ちょっとゆったりしたシェイプはこれからの季節に 良いかもしれない。と、ブラッド・ピッドと己のルックスの差異をほとんど無視し、 今回の購入物件をチノパンに決定する私である。

ところが。

ところがですよ。

ないのですよ。サイズが。

最初は「やはり 503 だろうか、しかし昔の格言に『ヒーローはいつも リーバイスを穿く』というのもあるしなぁ」とか思いながら探していたのだが、 店員の「うちでは 27 インチのチノは扱ってないですねぇ」という言葉が三軒続いた 時点で焦りが出始める。冗談を言っている場合ではない。選択肢などないのだ。 店員への質問も、生地だのシェイプだのは一切無くなり、「27 インチのチノ!」という シンプル極まりないものとなる。 「細身の 28 インチを試してみては?」の 提案に従って試着してみるが、やはりしっくりこない。嗚呼 27 インチのチノよ何処。 まぁ最終的には気に入ったものが入手できたのではありますが、苦労したなぁ。

高校、それとも大学には入ってたか、の頃。27 インチはそんなに少数派では なかった気がするのだ。26 インチはあんまりないなぁ、26 の人可哀相、 27 はそれなりに選べるもんな、と思っていた記憶がある。

それからしばらくすると、それまで裾上げ無しで穿けていた 27 が、裾上げ無しでは ちょっと「殿中でござる」状態になってしまった。思えばこの時に気付くべきだった。

さらに時が経つと、愛用していた極細スリムジーンズがほとんど姿を 消していた。ってこれは単に流行が去っただけか。

そして今回。27 インチは、いにしえの 26 インチのように もはや選べないサイズとなってしまったのだ。

ここから導き出される結論は、こうだ。 つまり、この 10 余年の間に日本人は巨大化したのだ。

そして、その結論から導き出される私の進むべき道は、こうだ。 つまり、私は今後相対的にますます小さくなる。日常生活を営む上でも 小さい小さいといわれることになるかもしれぬ。とすれば、数々の技を磨き 「技のデパート」を売り物に人生の荒波を乗り切っていかねばならないのだ。 就職先が角界でなくて良かった、なんてもう過去の話。

嗚呼、人生は斯様に厳しい。
というわけで、まずは「猫だまし」と「八艘飛び」から。


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