第四話:中田部長の挨拶


中田部長は「ほ」と「は」の中間ぐらいの発声で楽しそうに笑う方だ。 「ほははは。旦那さん。いやもう申し訳ない」という風に。

以前、直属ではないがうちの嫁の上司だった方で、東横線沿線に住んでおられた。 その頃、私たちも東横線沿線に住んでいた。では東横線沿線住民で集まって 飲もうじゃないか、帰り道も一緒だし、というごく気楽な提案で「東横の会」は 結成されたのではないかと推測する。 会員規約は「東横線沿線に住むこと」であったが、拡大解釈して 「東横線を通勤で使用している」だけのメンバーがいたりする。まぁ、要するに 飲めればなんでもいいのだ。多分。 そして、まったくの部外者である私も、会員規約には引っ掛かっていないと いうことで、ずうずうしくも何度かお邪魔させていただいた。

店は東横の会会員がその都度選んだり、 あるいは会長である中田部長推薦の店に行ったり。 普段食べないような豪華な料理、フランスやら中華やら地中海やらに 部長のおごりでありつけるということで単純に喜んでいた私である。 友達同士で飲みに行く、というと火が点いたように騒いだりとか、妙にマニアックな ネタで盛り上がったりとか、なかなか濃い状態になることも多いのだが、 この東横の会はいつも比較的穏やかで、純粋に食事を楽しむという趣であった。 ゆったりと時間は流れるのだった。

中田部長はあまりご自分のことを話さない。愚痴を言っていた記憶もない。 お仕事はどんな感じですか、最近お忙しいんですか、と伺うと、大抵お返事は 「いやもう申し訳ない、旦那さん、本当に暇でね。ほははは」である。 東横の会会員の話を総合するとどうやらとても忙しい方らしく、 多くの仕事をなさっていたはずなのだが、私が覚えているのは、 台北だったかで大きなプロジェクトを立ち上げた話を伺っても、やっぱり 「向こうではね、乾杯すると飲み干さなきゃいけなくてね、で、飲むでしょ、 そーするとまた注がれちゃってね。もう、酔っ払って酔っ払って。ほははは」 なんて調子で楽しそうに話される姿だ。

上述のように、私は大抵「旦那さん」と呼ばれていた。 普段私は「山田さんの旦那さん」とか「鈴木さんの奥さん」とか 「サリーちゃんのパパ」とか、何かに従属するような形式の呼び方を 好まない者であるが、どうもこの場では美味い料理と部長の 「申し訳ない。ほははは」に負けてなんとなく許してしまうのであった。弱い。

ちなみに近所にサリーという名前の犬を飼っているお宅があり、そこのご主人は 時々「サリーちゃんのパパ」と呼ばれているという驚愕の事実がある。 こうなると、将来犬を飼ったアカツキには、犬の名前は「バカボン」しかない、 それ以外に対抗手段はない、と心に決めている私である。って何故対抗せにゃ ならんのだ。

普段と違うといえば、私は普段ジーンズとシャツといった、社会人としては かなりふざけた、いや本人は別にふざけているわけではなく、リラックスして 仕事が出来るし、不潔でさえなければ良いじゃないかと思っているんだけど、 まぁそういう類のものを着ているのだが、東横の会でちょっと高級な店に行く場合は 慣れないスーツなど着て出かけたものであった。 私にとってスーツは本当に「晴れ着」なのだ。 窮屈だけど、偶に、晴れの場で着るのは悪くない気分だ。

晴れの場、はね。

つい先日、買ってから数えるほどしか袖を通していないスーツを着て、 私は中田部長の顔を見に行った。

そこは人が沢山集まっていて、挨拶をしたらすぐに順番を譲らなければならず、 ゆっくりと顔を見ている時間も無く落ち着かない、けれども独特の重い空気が 場を支配している、そんな場所だった。東横の会とは正反対だ。 締め慣れない黒いネクタイの結び目をなんとなく指でなぞりながら、そう思った。

四角い枠の中で笑っている顔は、ああ、そうだ、こんな風に笑ってた、と 思い起こさせる「らしい」表情であり、けれどもその写真は動かないし 「ほははは」という声も出さない。それが却って寂しかった。

一月頃にまた東横の会を開こうよ、という話が出ていたんだけれど、 その後音沙汰がなくて、どうなったのかなと思っていたら 突然「倒れた」との知らせ。 訃報はその一週間後ぐらいだっただろうか。本当にあっという間のことであった。 一緒に仕事をしたこともないし、 共通の趣味を通して一緒に遊んだわけでもなく、ただ東横の会で 和やかに会話を交わし料理に舌鼓を打つ、という間柄だったけれど、 最期の知らせを聞いて、ああ、もう会えないのだ、と言葉を失った。 心が、しいん、とした。

知り合いもあまりいない通夜の席、しばし柱に寄りかかり、黒っぽい服の人たちが 行ったり来たりする様を見ながら、 時折鳴るこーんという鈴の音に耳を澄ませながら、 ぼんやりと想い出を弄んでみたりする。 斎場を後にして、やっぱりぼんやりしながら帰途を辿る。

家に着いて上着を脱ぐと、 内ポケットにごわごわした感触が。なんだろうと探ってみると、財布だ。 そうだ、焼香の際、荷物をワゴンに置いた時、不用心だからと財布だけは 内ポケットに入れたのかな。スーツは着慣れないし、状況も状況だったから 思わぬ行動を取ったのかもしれぬ。そう思って財布を取り出そうとポケットに 手を突っ込むと、財布と一緒に一枚の紙切れが出てきた。

随分昔の、恵比寿周辺の地図であった。「常磐木」という、 今はもう無くなってしまった店にマーカーが付けてある。

その時、中田部長と初めてお会いした時の景色が一気に蘇った。

なんと不思議な計らいだろう、その紙は、初めて東横の会に参加した時の 店の地図だったのだ。 そう、その日部長は遅れて来たのだった。どんな人が来るんだろうと思いながら、 私は慣れないこのスーツを着て、ちょっと居心地悪く待っていたのだ。 「いやもう申し訳ない。迷っちゃって。ほははは。 ああこちらが旦那さん。どうもどうも」 という中田部長の優しげな、もう二度と耳にすることの出来ない声が 自然に思い出された。

そして、「旦那さん、今日はありがとう。お疲れ様。それじゃ」 という別れの挨拶が、すぐそこに聞こえたような気がした。

地図を、丁寧に畳んだ。


▲ 音楽じゃないものと私 に戻る

▲ INDEX Page に戻る