第十九話:腰日記


9/9

大抵、腰痛というのは突然やってくる。そろそろ行くからよろしく、と 一言断ってから来るような、多少律儀な腰痛があったっていいんじゃないかと思う。

この前来たのが十日前。そろそろ痛みもほぼ治まる頃。 ここ数年、年に一回程度のペースだったのが、今年は春、夏と続き、 こりゃマジメに対策を考えなきゃいかんなと、スポーツクラブの選定を始めた矢先。 外は雨。そんな、あまりハッピーじゃない、朝。 朝飯を食い、歯を磨き、顔を洗うために腰を屈めた時。 やっぱりヤツは前触れなくやってきた。挨拶もなく、ぐきっと。

ま、まずい。また来た。治りかけてたのに。軽いのか。重いのか。 取り敢えず身支度は続行だ。二階に行って洋服を。いててて。 かなり、痛い。

少し様子を見ようと思い、ベッドで横になる。痛みがどんどんひどくなる。 ダメだ。これは本格的にイッてしまったかもしれない。この感じだと、 二〜三日安静か? 何日休めば治るのか、さっぱり分からないのがまた 困るんだよな。会社にはどう説明するか。先週も早退だの休暇だの、 ひどい勤務状態だったんだがな。

志緒に持ってきてもらった ThinkPad をベッドの上で開き、 寝たままでは両手が使えず、腹の上に乗せると重いし熱いし、 あぐらや正座でかがむのも痛い。 しかたがないので自分は床に膝をついて、ベッドの上のキーボードを 叩くことにした。 ギャグの効いた言い訳を 思いつく余裕もなく(不本意だが痛かったんだ!)休みますというメールを 送信し終わった直後、

バシイッ!と電気に打たれたような衝撃と共に 目の前が真っ暗になった。

気付くと、床に倒れていた。少し「く」の字に背骨を曲げたまま、 身体が動かない。なんだ?なんだ? 背中をほんの少しでも動かそうものなら、 身体中を痛みが支配する。 かろうじて手の届く範囲にあった電話に手を伸ばして、内線で一階にいる志緒を呼ぶ。

「どうしたー?」

えーと、どうしたんだろ?これ、なんて説明すりゃいーんだ。 あのさ、なんか、動けないんだよ。

見上げればそこには、いつものベッドがある。冷たくて硬い床から、 やわらかい敷き布団までおよそ 50cm。その高さが、 今は絶望的に高くそびえ立って見える。動こうとすると、激痛に加え、 足の力がカックリと抜け、床に崩れ落ちる。それでもどうにか汗だくになりながら ようやく布団の上にはたどりついたけれど、さてここから一歩も動けない。 考えてみれば、メシも食えないしトイレにも行けないのだから、 普通に生活は出来そうもない。

結局、電話することにした。1、1、9、と。 でも緊張するよな。「そんなコトで電話してくんじゃねーっ!」とか 怒られたらどうしようとかさ。思うじゃん。かかったら最初はなんだろ。 名乗るのもヘンだよな。もしもし、だとなんか切羽詰まった感じしないし。 えーと。えーと。うわ掛かっちゃった。

「どうされましたー?」

あ、あのその、腰を痛めて動けないんです。えーと私本人なんですけど。 くぅ、なんかマヌケだなぁ。

「了解です。救急車ですね。すぐ回します」

あ、怒られなかった。この後住所や名前等を答えて電話を切り、 五分ほど天井を見ていると、遠くからサイレンが聞こえてきた。

「これはどうやって運ぶの」
「寝た状態だと階段を降りられないね」
「座位はとれるの?」
「三人じゃ無理だね、消防も呼ぼう」
「赤い車来るけど、人手が足りないだけだからビックリしないでね」

おじさん達の会話が他人ごとのように聞こえる。 おれはただじっと天井を見上げるのみ。それでも「だいじょぶっす」なんて 普通に受け答えをしてみたり。ダイジョブじゃねーから救急車呼んだんじゃねーかよ。

中に砂の詰まったマットのような固定具の上に移動させられ、 腿と腰と脇をベルトできつく締められ、腰と膝を 90 度ぐらいに折られ、 椅子のような器具に乗せられる。椅子に座ったまま二階から一階、そして玄関の外へ。 おじさん達も汗だくだ。申し訳ない。と思う反面、 なかなかこんな経験もできないな、なんか遭難救助訓練みたいだ、 おもしれえ、なんて思ってる自分もいたりして。 ま、ご近所の奥さん達がなんだなんだと見ている中、 平静を保つために、不必要なまでに客観的な視点が必要だったのかもしれない。 簡単にいうと、パジャマ姿のおれはちょっとこっぱずかしかったってコトだ。

乗ってみて改めて思うのは(いや、初めて乗ったわけじゃないんだけど)、 救急車は止まらないってことだ。「赤信号通過します」とか言いながら どんどん進んでいく。その状況をこの目で見ることができたら 「わっはっは。頭が高い。控え。控えー」なんつって痛快だったかもしれんが、 残念ながら救急車の天井しか見えん。

レントゲン。簡単な診察。「ヘルニアではないようですが…」 「入院です」という先生の言葉。

このころには、すっかり覚悟ができている。というか、 開き直っている。ついさっきは (また会社休むことになっちまうなぁ、 なんて言い訳するかなぁ、抜けちゃマズい会議とかあったっけなぁ) とか 思ってたのに、今や、まー次に出られるのは来週の火曜だなっ、しょうがねえ、 てなもんだ。救急車に乗る、という非日常イベントは人間を強くする (してないって)。

そして、病室へ。有無を言わさず。他の選択肢など一切なく。 硬いベッドが腰に響く。ちくしょう。

夕方、志緒が来る。 おれが普段使っているリュックに 着替えや食器、そして何より入院に必要なもの、本を詰め込んで。 持ってきてくれたのは「大地の子」(山崎豊子)。全四巻のうち、 1、2 巻。 おれに与えられた娯楽は二冊の文庫本と、リュックに入れっぱなしに なっていたCD ウォークマン。中には "Heart of Hurt" (高橋幸宏)、 これだけ。

これだけ?

少々貧弱なラインナップに、若干の不安。

とにかく読む。じゅうじゅうと音をたててしゃぶりつくように、読む。 これしかないんだから。

えーと。
汚いハナシなんですけど。
出せないんですよ。その、小が。

基本的に、食事も含めて全て寝たきり。小用は尿瓶で。 お通じだけはトイレへ、ただし歩行器で、というのが病院側からのお達し。

遠藤周作先生はとあるエッセイにおいて「シビンを枕元において寝るというのは 私には何とも言えず風流に思えた」なんて書いていて、おれも、 うむ、そういうモノかもしれんと平和に思っていたんだけれど、 現実はそんなに平和じゃないんです。これがね。出ないのよ。

みっともないんであまり想像して欲しくはないんだけれど、 横を向いて寝た姿勢で致そうとしているワケです。 ところが、さあ出せと頭が命令しても身体がその命令を拒絶する。 もう膀胱が破裂せんばかり、下腹がずーん、ずーんと痛むぐらいの状況なのに、 門が緩まない。この場所、この体勢で、門を緩めることは許せないようなのだ。

腰の辺りの鈍痛が、腰痛なのか尿意なのかわからなくなってくる。 このまま溜ればイヤでも出るのか。それとも逆流するのか。 耳から出るとかさ。水芸とか言って。 うーむ人体の不思議。なんてくだらないことを考えても気は紛れず。 結局、痛む腰に鞭打って、なんとか立ち上がることで事なきを得たんだけれど。

この身体から水分が抜けていく瞬間の気持ちを、おれはしばらく忘れないだろう。 そう。おれのまぶたの裏には、抜けるような青空とまぶしい太陽、 どこまでも続く、風になびく草原、その他「爽やか」という形容詞が似合う景色を 一まとめにしたような幻が映っていたのです。口が半開きで何が悪い。

腰が、少しよくなった気がする。

しかし、痛い。 じっとしていても、腰の辺りを覆うようにずーんとした痛みが居座っていて、 どちらに寝返っても消えない。浅く眠り、痛みに起き、時間をかけて寝返り、 再び浅く眠る。繰り返す。いつの間にか外が白んでくる。


9/10

先生曰く。
しびれはないようだし、血液検査も異常はないし、 まだヘルニアではないのかな(ま、まだ?)。 様子を見て、注射を打つかどうかは決めましょう。えーと、お尻に打つんですよ。

お尻ですか。やだなぁ。

身体を起こせないので食事もままならない。 横を向き、右ひじをついて、上半身を斜めに少しだけ起こして、なんとか箸を使う。 すぐに疲れてごろりと横になって休み、またひじをついて、それを繰り返して 少しずつ食べ物を減らしていく。

「食事をする」「歯を磨く」「トイレにいく」「風呂に入る」が不自由なのは、 本当に惨めだ。そういう、普段意識しない、なんでもない動作/行為の中に、 人間らしい生活ってやつがあるのかもしれない。

高橋幸宏について語ろう

そもそも、この標記が気持ち悪い。やっぱり「高橋ユキヒロ」。 こうでなくちゃ。漢字で「幸宏」なんて書かれてもなぁ。 メイクを落とした KISS みたいだ。 今この人はどういうジャンルのミュージシャンだと 世間に認識されているんだろう。大人向けポップスシンガー、 だったりするんだろうか。

おれにとっては、違うんだよなぁ。ユキヒロはドラマーなんだ。まず。 中学生の頃、Yellow Magic Orchestra に夢中になって。それまでは 「メンバー全員の顔が平等に見えるバンド」なんて知らなかった。 小学生の頃だって歌謡曲という枠組みの中で「バンド」の音楽にも接していたけれど、 サザン・オール・スターズのドラマーが誰、とかあんまり意識しないじゃん(松田さん ゴメン)。とにかく、多分、初めて覚えたドラマーの名前は高橋ユキヒロだった。 いやまて、リンゴ・スターかもしれない。でもそれじゃ全然ドラマチックじゃないから 高橋ユキヒロということにしておこう。そして、初めてドラムという楽器を意識し、 フレーズをコピーしたのもユキヒロだ。つまりおれの原点ってワケだ。

原点、ってのはすごいぞ。感受性豊かな中学生が、さしたる比較対象もなく 浴びるように聞くわけだから、スネアメインの Fill In と シンプルなパターンで 形作られるドラムも、音程が上がるときに一瞬息を飲むような、今聞けば なんだか妙な歌い回しも、すべて「そういうものだ」という形で 入って来ちゃう。妙じゃないか? 実はヘタ? なんて疑う余地なんて一切なし。

実際、Heart of Hurt でユキヒロのヴォーカルを聞いていると、実はヘタ? という思う瞬間がないわけじゃない。でも、いいんだ。

ユキヒロのソロアルバムに「サラヴァ」っていうのがあって、おれはそれの タイトル曲が大好きだった。欲しかったんだけど、アルバムは廃盤らしかった。 と、ある日。中古 CD 屋をあてもなく彷徨っていたところ、ふと見つけた このHeart of Hurt というアルバム。 なんと「サラヴァ」が入っているじゃありませんか。 すぐ買ったさ。500 円だったし、つーのは置いといてさ。家に帰って聴いてみるまで、 アコースティックなリアレンジを施したセルフ・カバー集だなんて知らなくてさ。 でもやっぱり「サラヴァ」はいい曲で。何度も聴いて。口ずさんで。 そして昔を思い出して。

そんなわけで、おれにはあまり似合わないかもしれないこんなアルバムが、 手元にあるというわけなのです。

そしてこんなことを長々と考えることしか、逃避の手段がないってわけ。

午後、志緒が来る。続き。続き。大地の子。ちょーだい。ぎぶみー。

「え?もー読んじゃったの?持ってきてないよ」

がーん。おれはいったいどうやって過ごせば。せば。せば。せば(←ディレイ)

「今朝、若が来たよ。これ、置いていった」

相変わらず、ここぞ!というタイミングで現れるヒトだなぁ。 鼻が利くつーか。ブツは…ををっ、ジョンスコの "Electric Outlet" ではないかっ。このあいだ Amazon で買い損ねたやつ。 んじゃ、今晩から明日にかけて、こいつを聴き続けるしかないのか? と 志緒が帰った後、ブルーな夕方をおくっていると、ご近所の保さんが見舞いに 来てくださった。

「趣味に合うかどうかわかんないけど」

うわーっ!ほ、本だーっ!いやもう何でも良いです感謝感激ギブミーチョコレート。 頂いたのは「青空のむこう」(アレックス・シアラー)と 「愛と復讐の桃源郷」(西村京太郎)の二冊。 普段読まないタイプの本も、いや、タイプの本だからこそ、面白い。 貪り読む。じゅうじゅう読む。

多少和らいではいるものの、やはり痛い。 消灯時刻。本も読めず、テレビなんざ意地でも見ねえ、となれば もう眠るしかないんだけど、目を閉じると、研ぎ澄まされた感覚がどうにも 腰に向かってしまう。微かなはずの痛みがずっと強く感じる。 多分、この体勢が悪いんだ、と寝返りを打とうとするが、これがまた一苦労。 ビシッと走る激痛をよけるように、ほんのわずかずつ、ベッドの柵などを 掴みながら、身体の向きを変えていく。そしてやっと寝返りが完了してみると、 やっぱり腰は痛かったりして、今までの苦労はなんだったんだよ! それでもどうにか痛みの軽いポジションを見つけてみると、 今度はそれが妙に不自然な姿勢だったりして、そのままうたた寝してフと目覚めると、 却って身体が痛かったり。そんな風に、夜が過ぎていく。

そして、魔の刻は、朝だ。 上述のように動いているとは言っても、やはり起きているときに比べれば 身体の動きは少なく、筋肉(なのかな?)が硬くなってしまう。 さらに、薬の効き目も切れている。最悪だ。

思えば、今まで腰を痛めた瞬間ってのは、大概、朝だ。そうか。


9/11

入院診断計画書
病名腰椎々間板ヘルニア
症状高度な腰痛、足の神経症状は認めない
治療計画腰の安静、薬物療法
検査内容X 線にて *4/5 腰椎間にヘルニアの疑い、血液検査は異常なし
推定入院期間3〜4日間の見込み

せ、先生! まだヘルニアじゃないって言ったじゃないですか!

「いやー、ぎっくり腰とか急性腰痛とかって症状の名前であって 所謂『病名』じゃないんだよね。なんでまぁ一番近いセンで」

センで、って!そーゆーモンじゃないっしょ!

「でもまぁ一歩手前なワケだし。今無理すると軟骨じゅぷっと出ちゃうよ」

うぐぐぐ。なんつーか、腰痛持ちにとって「ヘルニア」って言葉は死刑宣告、 は大袈裟か、 でも重い響きがあるよなぁ。手術がすごく痛くて苦しいってハナシはよく聞くし。 タメイキ。

「一応立てるようだし、注射による治療は今回ナシってことで。病院での治療も 結局『安静』だけだから、まぁ自宅療養でもいいかもしれませんね」

そーなんですか?んじゃ明日帰っていい?

「いやその明日ってのは極端ですが、まぁ明後日とか明々後日とか」

じゃ明後日!

「…」

手元の本を二度も三度も読み返しつつ、いてててと寝返り打ちつつ、 ゆっくりと時間が過ぎ行く夕方、 志緒と琴葉がくる。

琴葉は最近極端にママっ子で、志緒が、例えばちょっと洗濯物を干しに行ったりして 姿が見えなくなると、もう大泣き。別におれがいなくなっても平気だ。 で、一日ぶりに対面したところ、最初は「とーたん」とか 愛想を振りまいていたものの、すぐに病室内を歩き回り始め、 取り押さえるのに一苦労。にくたらしいがきんちょである。 こりゃ長居できそうもない。

「ところで悪い知らせが一つあるんだけど」

いやもう。気にしない気にしない。「大地の子」の続きさえあれば。

「えへ。大地の子、忘れて来ちゃった」

ちゅどーん。
おれは。おれは。主人公、陸一心の身の上が心配で心配で夜も眠れんというのに! 君は。君は。それを「えへ」で済まそうというのか! また辛いのがさ、面白いんだよ。大地の子。つまんねえ話ならそのまま忘れちまえば いーんだろうけど、先が気になる。ちくしょう。

ところでこの小説、確かドラマ化されてたよね。仲代達也と上川隆也。 見たい。

しょうがないなぁ、と病院そばの本屋で志緒が買ってきてくれたのが 「蒲生邸事件」(宮部みゆき)と 「スプートニクの恋人」(村上春樹)の二冊。

なんだかよくわからない取り合わせだが一切気にせずじゅうじゅう読む。 飢えている。今なら「戦争と平和」や「カラマーゾフの兄弟」だって一気に 読むだろう。え、ふつー一気に読む?

時間の感覚が、ない。 おれに時間を教えてくれるのは、朝昼晩の食事と消灯だけだ。 あ、それと、8:15。どこからともなく流れてくる、 「さくら」のオープニング・テーマ。


9/12

というわけで、明日退院します。

「家では安静にしてくださいね。絶対に無理をしない。腰痛ってのは怪我だと 思ってください。無理をすれば傷口が開いちゃう。治るまで、無理な力を 加えちゃいけない。運動も、痛みがなくなってから」

そうなのか。風呂で暖めてストレッチ、なんてやってたけど、 それはあまりよくなかったんだな。きっと。

「赤ちゃんだっこするもの一〜二週間後だよ」

読まれてますな。

しかし病院ってのは不思議なところだ。 入院すると却って身体が悪くなる気がする。そんなことない? おれは今回入院して最初の二日間、微熱が出ました。なんだかふらふらする。 腰痛で入院したのに、余計なところまで悪くなってる感じ。 だから「どうせ寝てるだけなんだから、病院にいたって家に帰ったって同じ」 となれば即座に退院を選んだわけです。

ですが、退院を選んだ途端、弱気になったりもするんだよね。 例えば、立ち上がった時、キシキシと腰が痛み、思わず歩行器を握る手に 力が入る、そんな時。ここ病院に居た方が安心なんだろうか、と。 ええい! 帰るぜ!

志緒が来る。琴葉と「大地の子」を携えて。 ようやくストーリーが先へ進む。そして一気に読み終える。 ずっしりとした読後感。


9/13

退院。

十時半ごろ、事務のお姉さんが請求書を一枚持ってくる。 この請求書と、入院時に支払ってもらった前渡し金(?)の領収書を 会計に提出して精算してください、じゃお大事に、とのこと。 大騒ぎで始まった入院生活だが、 終わりはこんなにも静かであっけない。

十二時ごろ、迎えが来る。志緒は運転ができないが、ご近所の幸ちゃんが 車を出してくれた。ありがたや。

荷物をまとめた後、初めて(病室〜トイレの廊下以外の)病院の中を歩く。 初日、救急車で運ばれて来て、診察室へまず入り、レントゲン室に移り、 もう一度診察室を経由して病室へ、という間、おれの目に映っていたのは 空か天井だけだった。だから、病院の中の様子も、そもそも病院が どの辺りにあるのかも、さっぱりわかっていなかった。車に乗り、 景色を眺めながら思う。そうか、こんな場所だったのか。

退院だ。嬉しくないわけじゃない。が、なんというか、カタルシスがないというか、 ふっきれた気がしない。考えてみれば当たり前だ。だって、治ってないんだから。 例えば、「骨を折った」→「骨がつながった」→「退院」とか、 「デキモノができた」→「デキモノを取った」→「退院」とか、 そういう、スムーズにエンディングが導かれるようなストーリーがないのだ。

以前、結石で入院した時もそうだった。 激痛で入院し、石が体外に排出されて退院、が正しいストーリーのはずだが、 結局入院中に石は出なかった。

そんなわけで、おれはやっぱり腰痛にびくびくしてる。 9/8、そろそろ治る頃かな、でもまだ痛いな、再発したらどうしよう、と 鬱々していた時点と何も変わってない。

後部座席では、志緒が琴葉に歌を歌っている。「おかあさんといっしょ」の 体操のテーマ、「あ・い・うー!」だ。

クジラになりたいラッコ
ラッコになりたいコアラ
コアラになりたいライオン
ライオンになりたい女の子
女の子になりたい男の子
いいないいな なれたらいいな

おれは特に女の子になりたいという願望はないが(ちょっと不思議な歌詞だよね)、 「腰痛のない人」にはなりたい。いいないいな なれたらいいな。 が、これは多分、おれに与えられた試練なのであり。 腰痛持ちと言う条件の元で行動を決めていく人生を受け入れるしかないんだろう。 それも含めて、おれの人生なのだから。

「克服」か。「共生」か。あるいは別な言葉で象徴されるやり方か。 とにかく、そのやり方ってヤツを、マジメに探さなきゃいけないんだということを、 今更ながらに再確認してるわけで。


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