第十七話:風になりたい季節


まったく、彼女の家ってのは疲れるよな。

そんなことを思いながら走っていた。当時の彼女の家に遊びに行った帰り道。 ま、向こうの家だって年頃の娘の男友達が遊びに来るってーと、 やっぱり疲れたのかもしれないな。 疲れるといえば、最近は会社の仕事もあるしな。次の週末はくたっと休むか…

「夕方」から「夜」にかわる頃。道は都心からベッドタウンへと帰る車で混んでいた。 それなりの道幅さえあれば、バイクに取っては渋滞など恐くない。 連なる車の左側をすり抜けて行けば良いのだから。 もう葛西橋も近い。ほどなく到着だ。 信号は青。交差点を直進。

その時、反対車線のニッサンローレルが突如右折してきた。 車の陰に隠れていたこちらの姿を認識出来なかったのだろう。そしてこちらの 気も緩んでいた。判断が遅れた。

(ああ、ぶつかる)

と不思議なほど冷静に思った次の瞬間、 バイクはローレルの左横腹に突き刺さっていた。 衝突の直前、おれは半ば無意識にバイクを蹴り離して道路に転がった。 怪我は擦り傷程度だったが、翌日以降、内腿辺りの強烈な筋肉痛(?)に悩まされる ことになる。うまく逃げたつもりでも、身体には大きな負担がかかったようだ。

そして、バイクは道路の真ん中で、前半分を完全につぶされた形で息絶えていた。

警察の取り調べ。相手ドライバーの謝罪。妙にテキパキと対応しながら、 頭の片隅でぼんやりと思っていた。潮時なのかな…と。

あの頃、おれはどこにでもいる普通の大学二年生だった。 普通の大学二年生には当然好きな女の子がいて、もちろんおれも例外じゃなかった。 そして残念ながら、恋は破れようとしていた。後日それは破れていなかったことが わかるのだけれど、とにかくその時点では風前の灯火だった。

恋に破れた若者は無茶な行動を起こさなければいけない、というのが世の定めだ。 おれの場合はそれが「バイク購入」だった。 大学一年の時友達に誘われて一緒に合宿免許に行き、免許を取得してはいたのだが 完全なペーパー・ドライバー/ライダーだったおれは、何故バイクに走ったのだろう。 やはりフラレた時は独り海へ行き、そっと思い出を捨て去り、何事もなかったように 颯爽と去って行かねばならないと思ったのであろう。そして、颯爽と去るのに 電車はキブン出ねぇよなぁ、切符買ってるうちに冷めちまうよなぁ、 とでも思ったのであろう。 断定するまでもなく馬鹿である。

そんなわけで中古車 HONDA VT250F との生活が始まる。

バイクが連れていってくれたのは海だけじゃなかった。というか、まず一番良く 連れていってくれたのは学校だったわけだが、帰り道にちょっと寄り道をしたり、 授業をサボって遊びに行ったり。それにバイクには「終電」がなかった。 夜中の二時に帰ることだって、逆に遊びに出掛けることだって出来た。 フットワークの軽さ。クルマよりずっと小回りが利いて、 風を直接感じられるこの乗り物が好きだった。 バイクは翼だった。

しかし順風満帆かというとそうでもない。というより「順風」な時間は とても少なかったかもしれない。

  • 客を見つけて急に路肩へ寄ってきたタクシーを避けそこなって転倒。
  • 雨の朝、学校へ辿り着いて油断した途端、構内道路にある点字ブロック上で転倒。
  • 幹線道路の交差点で、おれのバイクのマフラーに、後ろのクルマがバンパーを 引っかけた状態で発進し、こちらは転倒。
  • 立ちゴケしそうになったバイクを無理な姿勢で戻す。実はおれの腰が弱いのは この時の後遺症なんじゃないかと思うぐらいだ。
  • 彼女を後ろに乗せて走行中、バイクの横っ腹にカブが突っ込んでくる。
  • 盗難に遭うが奇跡的に戻ってくる。
  • ミラーを盗まれる。これは戻って来ない。
  • 冬場、しばらく乗っていなかったらバッテリーが上がる。
  • ガソリンタンクが中から腐食したか、穴があいてガソリンが漏れる。
  • タンクを交換した直後のツーリング中、右コーナーを曲がりきれずに転倒。 再びタンクが凹む。

ぱっと思い出しただけで、こんな感じ。よく乗り続けてたなって感じだ。 なんにせよ、結局最後までこの調子。上手く付き合えなかった。 起こった一つ一つの事象は「おれがバイクに向いていない」ことを示している ように見える。

乗る技術がなかったからか? 街乗りをする分には困らない技術はあったと思う。が、それ以上は望まなかった。 だから決してテクニカルな意味で「巧い」乗り手ではなかったと思うけれど、 「向いていない」理由は、そこには無いような気がする。

なんというか、おれはバイクに好かれなかったのだ。
それはきっと、おれがバイクに愛を注がなかったからだ。

感情のままにバイクに乗った。晴れた秋にはこの上なく嬉しく乗った。 けれどいやなことがあった時は怒りむき出しで乗った。 悲しいときには沈みきって乗った。 運転という動作を、心理状態から切り離して客観的に行うのが下手だった。 だから好不調が激しく、不調な時には事故を起こした。バイクそのものや、 バイクを操るという行為そのものを愛していなかったのかもしれない。

バイク乗りには季節というものが普通より早く巡ってくる。夏も、冬も。 それはバイクの魅力でもあるわけだけれど、やはり冬はつらい季節だ。 そしておれは寒さや、あるいは雨に簡単に屈服した。 冬の間、バイクは何日も何日も、不義理な、たった一人の運転手を ただじっと待ち続けた。面倒を見てもらえない機械はやがて調子を崩し、 盗難に遭った。

気が向いた時だけ優しい顔をするという付き合い方を、バイクという乗り物は 許してくれなかったのだと思う。

最後の事故の後、前半分を無くしたバイクは廃車になり、彼女は怒り、おれは凹んだ。

以前は私を後ろに乗せたまま事故を起こしたことがある上に、私の家からの 帰り道で大事故を起こすとは何事か。もう二度とバイクに乗ることは許さない。 もしもまた買ったならば、私はそれをすぐに質屋に売りに行く、と。

質屋というのも如何なものかと思うのだが、とにかくおれはそんな風にこっぴどく 怒られ、筋肉痛になり、そしてバイクをおりた。積み重なった事故の数々が、 乗るというモチベーションをついに越えてしまった、のかもしれない。

おれは思う。バイク乗りはバカだと。冬は寒いし夏は暑い。 排ガスで服も身体も汚れ、メットで髪型はぺしゃんこ。転べばダメージ甚大。 ライダーはそれを知った上で全て受け入れて、今日もバイクに乗る。全くバカだ。 そしておれは、最早バカじゃない。はずなんだけれど。

秋。空が青くて高いところにはひつじ曇があったりすると、 今もバイクのことを思い出す。あんなにトラブル続きだったはずなのに、 思い出は何故か楽しくて。初めて VT に乗った日のこと。晴れた日に 学校へ通った道のこと。真夜中に海まで飛ばしたこと。残念ながらバカの遺伝子は 死に絶えていないらしい。

今はただひっそりと、声に出すこともなく、昔の想いを弄ぶだけ。
だって、バイクを入手したら即質屋に走る人が相変わらず隣にいて、
赤ん坊抱いたりしてるわけで。


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