第十四話:ズーラシア


動物園が好きだ。

家からそんなに遠くない場所にズーラシアという立派な動物園が出来たのが二年前、 1999 年の 4 月 24 日。開園前には、素晴らしい、これは新しいおれだけの庭だ、 心置きなくゆっくりと動物園が満喫できる、と期待していたのだが、 ふたを開けてみるとなんと驚くばかりの大人気。近所の道路ではズーラシア渋滞が 起きるほどの賑わいらしい。早速行った友達は「もうすっごい混雑だけど ちゃんとオカピ見たよ。やっぱ今はオカピよね。これを見ないで動物園好きなんで ちゃんちゃらおかしいわね。でっかい鹿だよ〜」と鼻の穴を 膨らましていた。ちなみにオカピはキリンの仲間である。

そうなの? みんな動物園が好きなの? おれは知らなかったよ。 動物園なんて臭いしさ。良い天気の昼間に行くと愛想なくだらーっと寝てる 動物ばっかりだしさ。つまんないから止めときゃいいのに。 いや、そこが良いんです、なんていう人はもう付ける薬がないので勝手にしなさい。 っておれですが。

おれが好きなのは、正確に言うと「空いている」動物園だ。それは動物園との 接し方にも関係する。全ての動物を均等に見ない。今日はこいつ、と決めた 動物の前でゆっくりと時間を過ごす。昔、ある寒い冬の日に、 野毛山動物園のペンギンの前で一時間近くじっとしていたら風邪を引いたことが あって、これなどはおれと動物園の関わりを端的に表している。というか馬鹿である。

どいつに決めるか、はその時々だ。近所ではその動物園にしかいない、という動物、 例えば多摩のコアラとか上野のサイとか、そういうヤツを、動物園に行く道すがら 心に決めて見るケースもあれば、なんとなく行ってなんとなく目に入ったダチョウの 顔とか、キリンの舌とか、ラクダの睫とか、そういうものが気に入って ずーっと見ている、ということもある。

押すな押すなの大盛況、見たら速やかに順番を譲りましょう、という状況下で そういう見物の仕方は難しい。そもそも人込みが嫌いだし、並ぶのも嫌いだ。 食堂に並ぶのがいやで昼飯を抜いたことが何度もあるくらいの筋金入りだ。

人が多いとヘンなヤツがうようよ発生するのも困りものだ。 んまー、なんで寝たまま動かないのかしら、不親切なライオンだわねー、おいっ! おいっ! だめねー起きないわーなんて名前なのかしら、タマ! タマ! と ものすごい音量と音質で喋るおばさんとか、

マサオちゃん、象でしゅねえ、おっきいでしゅねえ、 ほらお鼻で身体に砂をかけてるわよ、と一生懸命説明する母親の横で、 マサオは「でっけえうんこ!」という感想しかない、とか、

いやああああん、へびぃぃぃぃ。気持ちわるぅぅいぃぃ。おっきいぃぃぃ。 ねぇ、これで何個ぐらいバッグ作れるの?と、唐突に現実的な質問をする 茶髪のカノジョに、しっ、知らねえよ、その、二個とかじゃねえの、と意外にまじめに 回答しちゃてるパンクファッションモヒカン刈りのカレ、とか、

この象はな、おおおれがしこん (うぃっ) しこんでんだよ。いいか、みみみ見て (うぃっ) 見てろよ。リンゴだ、リンゴだぞよよよヨシコ(←ちなみに野毛山の インドゾウ、本名は「はま子」だ)、こっちに (げっぷ) 来いっ。来いってんだ。 そそそそこでおおお (うぃっ) お座りだ。お座り。おいっ! おおおおお座りだってええええんだよ (げっぷ)。 お座り。ヨシコぉ。お座り。お座り。ありゃあちょっとおおおおおい待ってくれよう! という酔っ払いの象使いとか。

こういうのがいるから動物園は楽しい。って困ってねえじゃん。

ちなみに今日は、入園して最初にいる象の前で一枚絵を描き、 次の動物にようやく進み、ノートのページをめくり気分新たに色鉛筆を握り締めた 我が娘に対して、ひょっとして全部描く気なの?と恐れていたご両親、 というのを嫁が目撃したそうだ。 おかげで五種類ぐらいしか見られなかったとしても、 それはそれで良い一日じゃないかなーと思ったりするんだけど、 そんなことないですかね。

そんなわけで、ってすっかり脱線してどんなわけだかわかんなくなっちゃったけど とにかく、失意の二年間を過ごした後、ようやくその機会が訪れたのであった。 とはいえ、週末、晴天、穏やかな気温。混まないわけがない。なので、いつものような 見物方法は半ば諦めての入園と相成った。初めて行くところだし、今日はひとまず 園全体の把握にとどめよう、というわけである。

予想通り混んでいて、遠く離れた臨時駐車場まで行かされ、そこからシャトルバスで 動物園入口まで戻らなければならなかったりして、入場までも一苦労だったけれど、 新しいだけあって良く考えて作られた施設だと思った。 道は広くて歩きやすいし、枝別れが少なく、マップとにらめっこしなくても 取りこぼしなく動物を見て行くことが出来る。飼育エリアは広々としていて、 その分何個所かに見物ポイントが設置されている。どこにもいないじゃん、と 思って裏に回ると大きなガラス窓があって、草の陰でぐでーっとアラレもない姿で 腹を出して口を半開きにして目を閉じているスマトラトラがいる、という感じ。 ねえ、あんたホントに強いの? ホントに? ああその肉球触りたい。

良い動物園だと思う。動物の状態も良い。すっかり毛のつやを失ったような 動物ばかりがいるようなところもあるから。

でも、結局動物園の動物たちはどこか悲しい。オオワシの大きなケージのそばには 「ケガしているところを保護され、回復はしましたが野生に戻るのは困難と判断、 ここでの飼育に至ります」という説明書きがあって、中には見事な鷲が佇んでいる。 そこへ、一羽のカラスがやってきて、鷲のちょうど頭上辺りにひょいと 止まった。金網越しにそのカラスをじっと見上げる鷲の表情には悲しさとか 羨ましさとかそんなものはなくて、ただカラスを見上げ、目で追いながら じっとしている姿が却って物悲しい。高級な感情はなくても記憶はあるんじゃないか、 そんな想像をかきたてられて、檻の前から動けなくなる。

動物園は時間がかかってしょうがない。まったく。


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