第十三話:バッタが連れていってくれた場所


朝の駅。真新しいビルの外壁に張り巡らされたタイルに鮮やかな緑がぺたりと 張りついていて、近寄ってみると一匹のバッタだった。

昔おれは清瀬の旭ヶ丘というところに住んでいて、その当時は割と新しい、大きな団地 だったんだけど、周りはまだまだ田舎で、一歩外に出れば森や空き地が沢山あった。 細かい状況設定は忘れてしまったけれど、家のそばの空き地で必死にバッタを 捕まえていた日のことをふいに思い出した。家のそばと行っても、まだ小学校低学年、 いや、ひょっとすると幼稚園だったか、という子供にとっては十分冒険と言える 場所だった。三丁目に住んでいたその頃のおれにとって、二丁目の公園に遊びに 行くことさえ異国へ乗り込むかのような大イベントだったのだから。

ただ草をかき分け、辺りを見回し、バッタを探し続ける。トノサマだったり、 ショウリョウだったり。緑だったり、茶色だったり。 何故そんなに必死だったのか、今となっては全く分からないのだけれど、 汗と草の香りとすごく不思議な空の色−今にも地球が終わってしまいそうな− だけが記憶の片隅に染み付いている。

去年だったか、何年か、いや十何年かぶりに旭ヶ丘に行ってきた。 親父の墓が小平にあって、墓参りのついでにちょっと足を伸ばしてみたのだ。 考えてみればそんなに遠いわけじゃないけれど、用事や興味のない場所ってのは 地図上の距離よりもずっと遠い場所にある。

久しぶりの旭ヶ丘は雨が降っていて、人影もまばらで、 町全体が年老いて枯れてしまったかのようだった。 それでも「日南書店」や「グリーンハウス」や「十字屋ベーカリー」や 「スーパー伊勢丹」や「ちもと」は店を開けていた。和菓子屋ちもとの中では 店員が二人、暇そうに茶を飲んでいた。 昔おふくろがそうしていたように、十字屋ベーカリーで食パンを買ってみた。 多分あの頃のおれもその横でぼーっとしていたんだろうが、あまり鮮明な記憶はない。 おれの記憶に残っているのは、本当は例えばグリーンハウスでロボダッチのプラモを 買うといったことであり、今やったら感慨深いんじゃないかと思うんだけれど、 今のおれにプラモは入用じゃない。残念ながら。

通った小学校も、遊んだ貝がら公園や集会場も、毎日使った団地の階段も、 本当に小さく見えた。 そんなの簡単だぜと意地を張って飛び降りて骨を折った 集会場裏のすごく高いフェンスはなくなっていた。そこから飛び降りることが 自慢になり、本当にやったら骨を折ってしまうような高さだ。すごい高さだった はずだ。けれど残っていたらやっぱりちんまり低くなっていたかもしれない。 おれが住んでいた 2-6-1 の建物はちゃんと残っていた。古ぼけていた。 やっぱり小さく見えた。というか、何もかもが小さい。町が丸ごと縮んだんだ。 そうとしか考えられない。

二丁目のショッピングセンターはつぶれていて、その跡地に何か新しい店が 建つわけでもなく、ただ残骸が取り壊されずに残っていた。 ここにはペットショップがあった。鳥を飼っては殺し、金魚を飼っては殺し、 亀を飼っては殺し、それでも嫌いにならなかったペットショップのあった空間は ただがらんとしていて、自転車が一台乗り捨ててあった。すぐ隣には アイスクリーム用の冷蔵庫がその役目を終え、ただ雨に打たれていた。

五丁目の森は今も在った。夏にはクワガタやカブトムシが取れた。 団地の端に位置していて、当時おれ達に取って「世界の果て」だった森。 森の奥には森がある、そんな神秘的な場所。 今はその横をアスファルトの太い道が通り、隣町へと続いていた。 「神秘」はとうの昔に隣町のずっと向こうに行ってしまったようだった。

そして、バッタを獲ったあの空き地には一戸建ての家が何軒も建っていた。

この町が変わったのか変わっていないのか分からなくなった。 クルマに乗ってワイパーを動かしても動かしてもなんだか視界がぼやけていた。

…そんな風にしばらく、大きかった町と、小さくなってしまった町のことを ぼんやり思い出していた。 バッタはまだ壁に張りついたままだ。おれは捕まえるどころか、 手を伸ばしさえしなかった。

なぜって、早く会社に行かなきゃならないからさ。


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