第十一話:急性腰痛症のブルーズ


今思うと、私ときたら見事なまでに破滅へのカウントダウンを一歩一歩着実に 歩んでいたのであった。

ここ最近、部屋の模様替えでバカ重いスピーカだのラックだのを移動していた、 というのが序曲。

そして X-Day の朝。普段は必ずやる、朝練(私は毎朝10分ほどドラムを 叩くのが日課である。たった10分ほどなので練習と呼べる内容ではないが)前の ストレッチをなぜかサボり、

なぜかその日、カバンは傘やら本やらで普段よりもずっと重くて、

駅に着くとちょうど電車が来ていて、そんな時普段の私は急いだりせずに のんびりと次の一本を待つんだけれど、なぜかその日は重いリュックを背負いながら 不自然な格好で走ったら、

ぴきっ

最初の破滅。恐ろしいぞ。なにせ「最初」だ。破滅が複数回あるのだ。なんてこった。 いやこの時点ではもう一度、さらに強烈な、どん底の、当社比 200 % アップの破滅が 待っていようとは思いもよらなかったわけだけれど、とにかく破滅。 電車の中で揺れに耐えるために少し身体に力を入れたり、 電車を降りて歩いたりすると腰に響く。まあでもこの時点ではぱっと見外見は 普通の人だったのだ。

その日会社では、事務所から歩いて 10 分ぐらいのところにある小ホールに 関連部員数百人が集まって今年の計画等についての話を聞く、というイベントが 朝も早よから開かれた。めんどくせーなーと思いつつ会場に行くと、ずらりと ならんだパイプ椅子。空いた椅子を見つけてひょいと座ったその瞬間、

ぐきいっ

#$%&¥*?@っっおえええ%$@&^!!!!ぽひゃ!!!!あごご!!!!

あまりの痛みに声も出ないところを表現しようとしているのですが、 伝わっておりますでしょうか。嗚呼、この辺りに言語表現の限界というものを 痛切に感じる私であります。

立とうにも痛くて立てず、腕で椅子を掴んで軟着陸を試み、どうにか着座した ものの背筋が伸ばせず、背を丸める姿勢をとるとどうにか痛みが治まる。 このとき、私の頭には本日イベントの時間割がくっきりと蘇っていた。終わる時間は 十一時半であった。今は九時過ぎだ。二時間以上この格好なのだ。ぅぅぅぅ。

偉いひとの話が私の右の耳から左の耳へ風のように通り過ぎ、二時間が経過。 くぅエラい目にあったぜ、と立ち上がろうとしたら、

立てない。

朝、駅での破滅の後、腰に痛みはあったものの取り敢えず直立歩行は出来たわけだが、 今はそれすらできない。大きく背中を前に曲げ、手で膝を掴み、見た目は推定年齢 八十歳。しばし呆然とする。ふと気付くと、周りにはほとんど人がいない。 背中を丸めたまま出口に向かってみるも、足に力が入らずその場に崩れる。 嗚呼、おれはこのままここから動けないのか。ここで痛みが治まるまで じっとしていなければならないのか。どうせなら銅像の色におれの顔を塗って ホールの入口に飾ってくれ、などと人生に絶望していたその時、 最後の後片付けのために残っていた隣の部の部長さんが 「どーした?」と気付いてくれる。絶望するのはまだ早いぞ。 M 部長、感謝してます。

事情を説明して、たまたま自転車で来ていた M 部長の部下の方に 会社の健康管理センタまで送ってもらう。その後、痛み止めを打っても効かず、 一時間ほど横になった後、このままではこれ以上痛みは和らがぬと判断。 外見八十歳のまま自宅まで這うように帰る事を決意。嫁に援軍を頼み (携帯電話のありがたさをこれほど心底思ったことはなかったでありましょう。 ビバ・ドコモ)、 家の最寄駅からは贅沢にタクシーなど使い、なんとか帰還。

しかし。そのなんですか、あまり格好の良い響きじゃありません。そう。アレですよ。 あの言葉。M 部長に事情を説明するときも、健康管理センタで看護婦さんに 症状を説明するときも、私は「腰を痛めた」とはっきり言ったはずなのですが、

「あー、ぎっくり腰か。クセになるよね。気をつけないと」
「どうなさいましたあ? ああーぎっくり腰ですねえ」
「先生、急患ですー。患者さんがー。あ、えーとぎっくり腰ですー」
「あ、そのベッド今使ってるんだ。患者さん寝てるの?え、ぎっくり腰?」
「なーんかさー、りおが腰痛めたみたいで。そう、ぎっくり腰

…あまりに悲しかったので帰宅後、家にある「最新 家庭の医学百科」で 調べたところ「急性腰痛症」と書いてあります。これだと幾分病状に重みがあるように 思います。というわけで私は今、「急性腰痛症」にて自宅療養中です。 一日経った今も直立歩行困難なため会社を休んでます。こんなもの書いてる場合じゃ ありません。安静にします。

なお、医学百科に「ぎっくり腰(急性腰痛症)」と書いてあったということは 私とあなただけの秘密であります。


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