第十一話:鮫洲ブルーズ


お気に入りのシャツとセーターを着て、ポケットに小さなヘア・ブラシを忍ばせて、 会社のそばの写真屋に行ったのが今週の初め。運転免許証の更新に必要となる 証明写真のためだ。

髪を梳かそうと口元に微妙な笑みを浮かべようと、ヘンな顔に変わりはないという 事実を認めながらも、まあ汚いカッコもしてないし、良しとするか、とも思う。 というか思うしかない。人生をありのままに受け止めて生きていく姿勢を、 こんな写真に確認させられたりする私であった。

そしてここは免許試験場であります。書類に必要事項を記入し、力作である 写真を力一杯貼り付けます。輪っかの切れ目も難なく発見回答し、次なるステップは 写真撮影。

は?

いや、写真って。さっき書類に貼りましたけど?

え、ちょっとまって。そうだっけ?そうだったっけ?ここ何回かは近所の 警察署で免許の更新を済ませてきたけれど、今回引っ越したこともあって 久しぶりにこの鮫洲を訪れたわけです。警察署では持って行った写真が そのまま免許の写真になったいたはずです。ええ。その場で写真なんて 撮りませんでしたよ。撮りませんでしたとも。ヘアブラシまで持参して 撮影したこの渾身の一枚を使わないと貴方は言うのですか。人でなしと 断言せざるを得ない。どうなんですか。

なんて言い出せるはずもなく、うなだれて写真撮影室へ。嗚呼。オレなんで こんな汚いカッコしてるのさ。さっきまでめんどくさくてコート着たままだったから 多分顔テカってるしさ。風強かったから髪ボサボサだしさ。ねえ、今週初めの オレの苦労はなんだったのさ。と言う風な精神状態をも、きっと写真は正確に、 そして冷酷に切り取ってしまうのだ。

と、乱れた私の心にお構いなく、写真を撮ったおっさんは「はい 2 階に行って 講習受けて」とにべもない。

シートベルトがどうとか、制動距離がどうとか、まあお決まりのお話の後は お決まりのビデオだ。気が重い。思い出すのもいやだ。と言いつつ書いてしまう。

主人公永井一男は将来を嘱望されたビジネスマン。今度係長への昇進が決まり、 また可愛いミキちゃんとの結婚も控えている。順風満帆を絵に描いたような 人生である。

係長昇進内定直後、会社同僚に「ドライブに行こう」と誘われる。同僚の彼女も 一緒。楽しいダブル・デート。

はああああ(脱力のあまり椅子からずりコケている)。 もうこの時点で筋道分かっちゃうじゃないっすか。ねえ。 事故に遭うわけっすよ。多分誰かは死にますね。ミキちゃんが死んじゃうのは 可哀想だし、多分この同僚か同僚の連れ…死ぬのは多分男だな。あ、でも この連れの女性も大怪我でしょう。事故は…他のクルマと?いやでもこの時点で 既に登場人物四人だし、物語の収拾も考えるとこれは単独事故を起こすと見たほうが 自然でしょう。 で、遺族につぐなうため大きな借金を抱えますね。一男君は。多分ミキちゃんとも 別れます。

え、そんなに予想つくわけないって?だってこの映画、タイトルが「交通事故は 全てを奪う」ですよ。全て奪われるわけっすよ。一男君。

内容はホントにその通り。スピードの出しすぎでカーブを曲がりきれずに事故。 同僚の彼女は意識が戻らず、遺族は保険の示談に応じず、 一男君とその母君は、父君の形見でもある大事な家を手放し、会社は退社、 彼女には「あなたといたら、一生あの二人のことを思い出すわ!あなたとは 幸せになれない!」とかなんとか言われて逃げられ、交通刑務所へ収監。 で、最後のナレーションが「それでも永井一男は生き続けなければならない」って あのね。

これ、もうクルマに乗るなってことだよね?確かにクルマなしでもやっていける 人は結構いるかもしれない。例えば私はそうかもしれない。でも必要な人も いるわけで、これ、方向が間違ってるんじゃないかなあ。

例えば、駅とかで時々見る痴漢防止のポスター。制服を着た可愛いおねーさんが 「ダメ!ゼッタイ!」なんて言ってるヤツ。ああいうのにこそ、この類の手法を 用いるべきじゃないの。痴漢はやっちゃいかんことだし、それによって このように社会的信用を失って抹殺されていくのだ、それでもやるのか、 みたいな方が抑止力あると思うなあ。っていうか、 痴漢防止のポスターに可愛いおねーさんを出す意味あるのか?煽ってどーするつーか。

運転に気をつけろ、が主眼ならば、こういうシチュエーションが危ない、 それを避けるためにはどうするか、という説明にこそ時間をかけるべきだ。 分かっているのか。そこんとこ。どうなんだ。 なんでこんな重い気持ちにさせられなきゃならんのだ。ばかばか。

出来上がった免許の写真を見ながら、半ば八つ当たり気味にそんなことを考えた。

写真の中の私は汚いシャツを着、髪が乱れ、鼻が光り、うつろな目をしていた。 免許の文面を読む限りでは、平成 16 年の誕生日まで、 この顔と付き合わなければいけないようである。


▲ 音楽じゃないものと私 に戻る

▲ INDEX Page に戻る