第六十九回:ブラジルと私


ブラジルセッションに誘われた。 私は名前が「りお」であるし、やはりブラジル関係者からはモテモテである。 サンバカーニバルのセクシーなお姉さんともウハウハである。 てなことは一切無くて、普段の生活ではブラジルとの接点はあまり無い。 残念なことにウハウハもない。ってそれはブラジルに限らないのだが。がっくり。

ブラジル音楽系のセッションといえば、 以前、サンバセッションというのがあった。 その時、感じた。そして今回も、課題曲の入った MD を聴いて感じた。

おれはいったい、ドラムセットという楽器を使って
この中で何をすれば良いのだ?

と。

ブラジル音楽と一口で言ってもそれはめちゃくちゃ広くて、例えばロックや ジャズを全部括ってアメリカ音楽だと言うような無茶な話なんだけれど、 リズムに話を絞ると、複数のパーカッションが渾然一体となってグルーヴを 生み出す感じ。ああ、こんな説明じゃ、ホンモノのブラジル音楽愛好家から 「そこに座れ!歯を食いしばれ!」と言われそうだな。

今回の課題曲では、確かにドラムセットを構成する楽器、例えばハイハットや スネア、タムなどの音が入っている。が、それはあくまで「たくさんある パーカッションの一つ」という扱いだ。

私は、良くも悪くもドラム「セット」プレイヤーなのだということを、 ここで痛感する。私に取ってドラムセットというのは、自己完結性の高い リズム楽器なのだ。まずはドラムセットだけで基本的なリズムは作られる。

以前のサンバ・セッションで、特にパーカッショニスト達が、楽器間の 音量バランスに対して非常にシビアだったことを思い出す。その何だ、まぁ、 一言で説明すれば、「ドラムうるせえよ」と怒られたんだけれど、またかよトホホホ、 考えてみれば当たり前なのだ。 彼らに取って(狭義の)リズムというのは、複数人の打楽器奏者に よるアンサンブルで成立する、という前提があるからだ。 ドラムで言えば、バスドラとスネアはすげえ小さいのにシンバルだけ 大音量だったらヘンだ。私がそういうバランスにシビアなのが当然であるのと同じだ。

ところで、ブラジル音楽愛好家の方は、 異種格闘技についてどのような意見を持っておいでなのだろうか。 どの程度「原典主義」なのだろうか。

つまり、例えば今回のように、元々ブラジル音楽にはない楽器を持ち込み、 ブラジル音楽とは違うフィーリングをネジ込んだりすることを 「そう来ますか。面白い」と感じるのか「まったく分かっとらん奴。不愉快ぢゃ」と 感じるのか。

こりゃまた「現代日本人はみんなワールドカップに熱中している」とか 「落語家はみんな座布団を重ねて座っている」みたいな、 あまりに大雑把過ぎて馬鹿げた話であることは理解しているが、敢えて話を進めると、 偏見なのかな、偏見なんだろうな、でもですね、 個人的には原典主義の方が多いのではないかという印象を持っているのですよ。

まぁ世の中にはいろんな音楽が溢れていて。ある時ブラジル音楽と出会って。 どんどん傾倒していって。演奏して。サンバチームに入ってみたりして。 そうして出来た友達にも影響され、趣味はどんどんマニアックになっていって。 CD の入手に苦労して。気付くと家中パーカッションで。

てなルートを辿ると、「なんでこの美しいブラジル音楽に ヘンなモノを混ぜなきゃならんのだ」という考えに至っても全くおかしくない。

以前のセッションでも、課題曲に「ま、今回はドラマー(とエレキベース弾き)が 来るし」という感じで、フュージョンっぽい曲が一曲加えられていて、しかし セッションの場では、その曲は全然盛り上がらなかった記憶がある。 その経験が「やっぱり原典主義の方が多いのかな」という思いにつながっている 可能性は多分にあるんだけれど。

原典主義な方というのは、まぁどのジャンルにも多分存在して、 例えばジャズのセッションに行って、ロックイディオムで遊んで みたりすると、喜んでくれるヒトもいれば眉をひそめるヒトもいる。

眉をひそめられれば、すなわち相手が原典主義であれば、 じゃ、マットーなジャズのマネでもしますか、という対応が今は取れるけれど、 えっ、取れてない? お父っつぁんそれは言わない約束よっ、いやその最近は 随分それっぽくなってきたと、なに、相変わらずうるさい? とほほほ、 ええとなんだっけ、 そうそう、ブラジル音楽ではそういう対応が取れない。これがツラい。

そういう情けない状況に落ち込む原因は、まず第一に「そもそもブラジル音楽を 知らない」ことだろうとは思う。そしてセッションの間中、「ブラジル音楽」を 壊さないためのアンサンブルを、リアルタイムに必死に模索することになる。 それはある面楽しい作業ではある。そして、ドラムは「セット」であり、 自己完結している、という自分のかなり根本的な思想に対峙することが 求められる。

うーん。でも、異種格闘技だろうとなんだろうと、とにかく周りを納得させる音を 出せればいいだけだってハナシもあるしな。ちくしょう。考えが行き詰まった。

行き詰まったので、その辺りに明るそうな、つまりラテン音楽で ドラムセットを叩くという経験を持っていそうな友人ドラマー/ パーカッショニストの O 君にメールしてみると、

「トラディショナルなリズムを強調して泥臭い感じの場合、ドラムセットの 入る余地は少なそう。逆にエレベも入ってポップな感じ、ならドラムをリズムの 核にして、上物パーカッションでブラジリアンテイストを出すのが王道」

ふーむ。そう明確に分かれるかってーと…

「実際には、その間の『気持ちいいところ』でポジションを取っている気がする」

これだ。多分、これが苦手なんだよ。おれ。ドラムに座っちゃうと、 リズムセクションの中心になりたがっちゃうというか…ってことは、 「中心」がおれにとっての気持ちいいポジション?

ああああ。いやだああ。おれってなんて困ったヤツなんだあああ。 なんかこの一連の考察、自分の醜い部分を剥き出しにするという 非常に痛い作業になっているような。もう駄目。死む。ぱたっ。

演劇に参加したときも似たようなことを思った。 「本が書庫から雪崩のように崩れる様」をスネアドラムでどう表現するか。 「不安や焦りといった感情をはらんだ心臓の音」を大太鼓 + 小太鼓 + タムで どう表現するか。手本なんて無い。

「こう叩きたいんだけど、叩けない」 よりも「何を叩いて良いのか分からない」ことの方が深い悩みなんじゃないか。 頼れるものは自分の想像力やセンスだけ。そしてそれが心細い。 自分の才能の無さや勉強不足を感じるのは、まさにこの瞬間ではないのか。

しかし、これは同時に、飛躍のきっかけでもあるのだ。絶対に。


▲ 音楽と私 に戻る

▲ INDEX Page に戻る