第六十一回:速弾きと私


とにかく速く弾けるヤツが偉かった。

私が悪いのではなく、生きた時代と取り巻く環境が悪かったのだと信じる。 所属していた高校の軽音楽部はなぜかハードロック人口密度が高く、ハードロックと いえば花形はギタリストであり、ゲイリー・ムーアだのエディ・ヴァン・ヘイレンだの マイケル・シェンカーだのが日常的に定着している所へ持ってきて イングヴェイ・マルムスティーンが衝撃のデビューを飾ったり、ナイト・レンジャーの ツイン・ギターが取り沙汰されたり、LA メタルなんてモノが流行し始めたりして、 そりゃもう右を見ても左を見ても速弾きばかり。

と、書いておいてなんだが、そういう物に傾倒する傾向を元々持っていたかもしれぬと いう気もする。中学生だったか、あるいはまだ小学生だったか、という頃、 まだギターを持つ前の話、Toto の Hydra というアルバムがあって、 B 面の 3 曲目に White Sister という曲が収録されている。 ここでのスティーヴ・ルカサーのソロに度肝を抜かれ腑抜けになっていた私。

大抵の餓鬼は馬鹿であって、物事を大袈裟に、なおかつ小さな視野で捕らえがちだ。 もちろん私も例外ではない。私はこれを聴いて、世界一速いギタリストに違いないと 断言するに至った。至ったもなにも、その頃名前を知っていたギタリストなんて ジョージ・ハリソンぐらいしかいなかったんじゃないかと思うんだけど、 周りの友達にも、スティーヴこそがほぼ間違いなく世界一であろう、 と広言していた気がする。ジョージも困るよなあ。

その後高校に入学し、軽音楽部に入部し、同級生の O 君が ルカサーのフレーズをきっちりコピーして弾きこなしているのを見て、 うわああどーゆーこっちゃい、世界一を弾けるってことはこいつは世界で 六十九番目くらいに速いんじゃないのか、こんな武蔵野の田舎で高校生やってる場合 なのかっ、と腰が抜けるほどたまげたのを今もよく覚えている。

注目すべきポイントは、私の馬鹿さ加減ではなく、その頃から速いフレーズに 弱かったらしいという部分である。

というわけで、高校生の頃、あるいは楽器を始めて数年のあいだ、 という音楽的人格形成期ともいうべき大事な時代、私のギターの練習といえば 速く弾くこと、だったのだ。狂ったように弾いていたその動機の大きな一つが 「速く弾けなくなったらどうしよう」という強迫観念だったかもしれない。 文字どおり狂っている。

しかし、この速く弾くという技術、ちょっとサボれば簡単に落ちる。 「速い」以外のいろんな価値観と怠惰を身に付け、情熱を忘れた私が身を持って 実証しているのであるから間違いないっ。っていばっている場合ではない。

で、まあ、たまにはギター弾いてみようかなとか思ったわけです。

それで始めるのが取り敢えず速く弾くことだっていう辺りが救い様のないところ なんですが、取り敢えずこの三日ほど、ストラトキャスターぶら下げつつ、 メトロノームなんか鳴らしてみちゃったりして、カチカチという音と音の間を 六つに切り刻ざんでみたりしているわけです。

うっわー。マジで遅くなっとるわい。悪いのは何だろう。腕のフォーム? ピックの握り方?筋肉の使い方? ここで昔の私なら、がむしゃらに八時間弾いたかもしれないが、 現在表向きは社会人ということになっているし、 裏向きはドラマーであるし、首都高も走らなきゃいけないし、私もこれでどうして 忙しい。今までサボったツケは広い広い心の棚に放り上げ、これは私が悪いのでは ない、私の使っているこのピックが悪いのである、ということにして 楽器屋にふらりと寄ってみる。ちなみにそのピック、私が十年以上ずっと使い続けて いたものであり、ピックが悪いという論法はどう考えても成り立たないのだが、 大人は自分を騙して生きていくものなのさ。ボーイ。

選んだピックは、ジム・ダンロップの Jazz III というピック。かの エリック・ジョンソンや博多の イングヴェイ・マルムスティーンこと I 氏が愛用していることでも有名な ピックである。

ピックを代えたぐらいで目に見える効果なんてあるわけないじゃんと思うでしょ? 普通思いますよ。

ところが、これがあったのだ。一番驚いたのは自分だ。変わるわけないけど、 ま、キブンよキブン。こーゆーモンはさ、なんて思いながらたった一枚だけ、 消費税抜き百円也で購入したんだけど、どういうこったい?明らかにスムーズに 弾けるぞ。これは今すぐ楽器屋に行って三百枚ほど買い込まねばなるまい。

なんてことを思いながら、普段自分が使っているピック、葉っぱマークが 付いているのでここでは仮に「葉っぱ」と呼ぼう、と取っ替え引っ替えしつつ、 何が違うのかを観察してみる。

この Jazz III、葉っぱよリ丁度一回りほど小さいのだ。小さいことで 何が違うか。何も意識せず、ぱっと掴んだときに、親指側面から飛び出る 面積がすごく小さい。ここがミソだろう。だいたい 1mm くらいしか 出ていないんじゃないか。片や葉っぱは 3mm ぐらいか。

速く弾くための効率を求めれば、 弦に当たる面積は小さくして、ピックが弦に当たってから離れるまでの時間を 少なくするというのが合理的な考えだ。速弾きで有名なギタリストの中には 弦に深く当てて力で押しきるようなタイプもいるし、上述のエリック・ジョンソンは 深く当てろ、ただし軽く握れ、という発言もしているし、 当て方が深いか浅いかで音色も違ってくるし、 一概にそれが正解だとは言えないのだが。

三百枚買い込まずとも、葉っぱの持ち方を少し改造することで多少は 改善されるかもしれぬ。万能のピックはない。小さいピックにも弱点はある。 これが大人の判断というものだ。ボーイ。

つーかさ、そーゆーコトよりまずですね、 やっぱり毎日弾かなきゃ駄目なんじゃないの。オレよ。

三日弾いて、わずかながら勘が戻ったところで思うんだけど、元々もそんなに 弾けてなかったっていうのが残念ながら真実のようだなあ。あまりにアッタリマエで 書くのも気が引けるけど、そのなんだ、いろんなことをコツコツと弾かなきゃ 上手くならないよ。

シンプルな練習用のフレーズを、ただただ無心に繰り返し弾き続けていたような 昔には戻れないのかもしれないし、戻ろうとも思わないけれど、 その頃私は、気持ちだけは、今よりもずっとイングヴェイ・マルムスティーンに 近いところにいたんじゃないかな。溝は小さく感じられていた。

今は随分離れたところから、その溝を眺めている。ぼんやりと。


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