第五十六回:コピーと私


突然ではあるが、「コピー」について論じてみたい。

コピーとはもちろんゼロックスのことでもなければファイル複製のことでもない。 ここで取り上げたいのは「誰かの演奏をそっくり真似すること」である。 どうもネガティヴなイメージを持たれがちな気もするが皆様は如何であろうか。

コピー否定派は「まず自分の感性が大事だ」「コピーしたらその人になってしまう」 という意見を持って肯定派を攻撃する。エディ・ヴァン・ヘイレンをコピーしたら エディになっちゃう、と。

馬鹿言っちゃいけない。そんなに簡単に「なっちゃう」ほど、 エディという山は低くない。 なんだコピーじゃんと馬鹿にされる演奏、その原因は、 得てしてその表層のみをコピーしただけで、 自分のものとして消化できていないことなのだ。 ハデなタッピングをコピーした、出来るようになった、嬉しくてしょうがない、 使いたくてしょうがない、で、しみじみとしたバラードのバックで炸裂させて ヴォーカリストに殴られ客に笑われる、というのは極端な例だが、まあそんな感じ。

断言しよう。あなたが トニー・ウィリアムスをコピーしてもトニー・ウィリアムスにはならない。 そして、天才と謳われ、あれだけ個性的なドラミングでリスナーやミュージシャンに 絶大な支持を受け、あのマイルス・デイビスが「最高」の賛辞を送った、 そのトニー・ウィリアムス本人でさえ 「まずはコピーだった。丸々一年間、マックス・ローチ になろうとコピーしまくった。次の年はフィリー・ジョー、 さらに次はジミー・コブという具合だ」と語っている。

ジェフ・ベックがクリフ・ギャラップを、 渡辺香津美やマイク・スターンがウェス・モンゴメリーを、 ジェフ・ポーカロがバーナード・パーディやジョン・ボーナムや エルビン・ジョーンズを、 上述のエディはエリッ、まあこれはいいや、 とにかく有名なミュージシャンが、若い頃に誰かを完コピしていた、なんて 話は枚挙にいとまがない。

演奏する際、自分の中に無いフレーズがいきなり湧いてくるなんてことは、ない。 外からの情報をシャットアウトし、ただ自分という原石を磨いて超個性的な ミュージシャンになる、というのは、自分は天才であると信じて疑わず、 また客観的に見ても確かに天才、という人にのみ許される 超レアケースであると考える。 普通の人はいろんな演奏を吸収し自分のフレーズを増やさなければ上達しない。 そして蓄えた多くのフレーズを場面場面において的確に選択し確実に演奏できることが 成熟したミュージシャンの前提であると思うのだ。

音楽はテクニックじゃねえ、ハートだぜ、という貴方。ではそのハートを 見せて頂きたい。人に見せるためには何らかの表現方法が必要なのではないか。 あなたのハートは稚拙なテクニック、数少ないフレーズストックで 表現しきれてしまう程度のものなのか。 本当に言いたいことが限られたテクニックで表現できている幸せな例は、 確かに存在するかもしれないが。

コピーというものの実際を、ギターソロを例に辿ってみよう。 音符を採る。そこでコピーは終わらない。 全ての音が例えば 16 分音符にクオンタイズされているわけではない。 微妙な発音タイミングがフレーズの勢いにつながっていたりする。 それぞれのノートはピッキングされているか、 それともハマリング/プリング/スライド/チョーキングなどの左手のテクニックで つなげられているか。それを聞き取ることで指板上のポジションに見当を付けられる。 さらに、長さを持ったノートにはどんなビブラートが掛けられているか。 チョーキングなら、チョーキングがどのくらいのスピードで完了しているか。 そして音色。使用しているピックアップはリアかフロントか。 ピッキングの位置でも音色は変わる。柔らかい音ならネック側かもしれない。 硬い音ならブリッジ側かもしれない。弦とピックの角度や 指板上のポジションといった様々ファクターも影響する。

さらに、それらのテクニック、音色選択がフレーズとどう関わっているか。 どういう必然性を持っているのかを観察することで「センス」を養う。 そして、技術やセンスに加え、正確に音を聞き取るという作業を通して、 ミュージシャンの最重要課題と言っていいかもしれない「耳」を鍛えることが 出来る。

以上の理由から、コピーは楽器上達に関する最重要手法の一つであると 信じて疑わない。 否定派の諸君。これでもコピーを否定するか。出来まい。

はい私も出来ません。

「有言実行、そして俺はご覧の通りスーパーミュージシャンだぜ」てな具合に 私が生きたサンプルとなれば信憑性もどかーんとアップするんですがねえ。 実際、楽器が一番上達した頃は、コピーも一番よくしていたと思うんですが、 最近はあまりやらなくなってしまいました。現時点での蓄えでなんとかしようと してしまう。いや、「なんとかする」というテクニックも大事だとは思うけれど、 自分としてはまだまだ吸収する段階にいるのではないか。

物事を吸収する力が鈍ることを歳のせいにはしたくないから、 がんばんなきゃなーと自分に発破をかけるつもりで妙に熱い文章を 書いてみたのだけれど。 前に進むのは楽じゃありません。

最後に、前言をひっくり返すようで何なんですが、 音楽で大事なのは感性だと思います。ただそれは、弾ける奴が言って初めて 輝く言葉だと思うのですね。だから「音楽は感性だよ。」と 素直に言える日を夢見つつ、今は「音楽はテクニックだ。」と言っておきます。

ところで、最近私の「コピーしたい、マネしたい」という情熱を 呼び覚ますものといえば「藤井隆の顔」なのだが、皆様は如何であろうか。

如何って言われても困るか。


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