第四十二回:学祭と私


狂ったように暑かった夏が、突然終わった。

天気が良くてとても空が高く見える日に、きりっと冷たい風を感じると、 いつも学祭を思い出す。

我々の大学では、毎年 11 月 3 日、文化の日辺りに学祭が催された。 バイク乗りだった私には早めの冬が訪れている頃で、もう随分厚いジャケットを 着ていたものだった。そういう時期に四日ほど連続で行われるのだ。

私が参加していたのは「フォーク研」と「軽音」の 二つのサークル。もちろん音楽サークルである。音楽サークルが学祭で何を やるかというと、もちろんカレー屋ではなくライブである。

ライブは、教室で行われる。普段は明るい雰囲気の中、一般教養の授業など 取り行なわれ、テストともなれば先生の目を盗んでカンペを回し答を教えあい、 同じ答を書いていた計 8 人がカンニングの廉により単位を落としたりする、 という神聖な場は、暗幕を張られ手製の照明など持ち込まれ、 一気に妖しい雰囲気を演出する空間へと変貌するのだ。 しかしあのテストは不覚であった。

我々はバンド活動がメインの集団であり、バンドには様々な機材が必要だ。 スピーカ、ミキサー、ドラムセット、ギターアンプ、ベースアンプ、キーボード、 マイク、暗幕、照明、畳、鍋、カレーの材料、エトセトラ、エトセトラ。 それらの機材を毎日部室に片づけるのは大変なので、 学祭期間中はずっと教室にセッティングされたままとなるのだが、 これ、合わせるとかなりの額になる。

学祭期間中の夜というのは、なかなかソウルフルな状態で、 飲みながら「ケンカしてぇ」とクダ巻いているモヒカン刈りの パンクスがいたり、どこかでガラスの割れる音がしたり、カレーを食っている奴が いたりする。こういう獣達から機材を守らねばならない。そこで、夜を徹して 教室で機材の番をする人間が必要となる。基本的にはその年の新入生が選出される。 基本的じゃない人というのは教室で飲み明かしている上級生達を指す。 そして私も、新入生であった年にこの任務に就いたのである。

ところで、音楽をやる人間は何故だか総じて酒が好きである。そして私は下戸である。 今でこそ自分が下戸であることを十分認識しているが、この時点では それが分かってない。高校の頃もコンパに参加して酒を飲む、なんて機会はあったはず なのだが何故気付かなかったのだろう。親父がめちゃめちゃ酒飲みだったので 自分もそうだろうと誤解していただけかもしれぬ。 まぁ、とにかく、現状認識の不足が悲劇につながるのは世の定めである。

先輩に誘われるがままに屋台のおでんを食いに行く私。日本酒など飲む私。 私が認識している私はそこまでである。

翌朝目が覚めると、そこはドラム台の裏であった。壁とドラム台のわずかな隙間の 中で、私は身体を捻じるようにして眠っていたのだ。

謎だ。謎は解明せねばならぬ。痛む身体を引きずって早速聞き込み捜査を開始する。 得られた証言を時系列に並べてみると、昨晩の状況が克明に浮かび上がってくる。

  1. 「おでんを食ってたら『ローリング・ストーンズ流し』と称する二人組みが現れ、 ストーンズならなんでも来いというので "Dead Flowers" をリクエストしたら コードを忘れていて、逃げようとしたので一緒に追いかけたではないか。 そういえば途中でおまえはいなくなった」
  2. 「中庭の辺りをへらへら笑いながら歩いてたな〜。一時ぐらいか」
  3. 「アイスの自販機の前でぼーっとしてたの、あんたじゃないの」
  4. 「二時ぐらいにサークル棟の手洗い場で顔を洗ってたわよ。声掛けたら 『らいりょーぶらいりょーぶ』とか言いながらへらへらしてた。夢遊病じゃないの」
  5. 「なんかデカい声で誰かと話してたよ。ドラムがどうとか」
  6. 「俺にドラムを叩かせろと騒ぐので教室に連れて帰ってやったらへらへらしながら 寝ていた」
  7. 「ドラムの脇に転がしておいたらむくっと起き出して俺に叩かせろと騒ぎ出した。 夜中の三時だぜ! うるせえからスティックを渡してやったらしばらくへらへら 叩いてたぞ。気付くといなかった」

ちなみに「D」が後の嫁なのだがそれはさておき、 終始へらへらしているか騒いでいるか、という状態が涙を誘う。 客観的に見てこれはもう、ほとんど痴呆徘徊状態である。 こんな人間を野放しにしておいて良いのか。良いのだ。 学祭の夜なんて、こんな人間はありふれた存在なのだ。

空手部が開いている飲み屋の屋台で痛飲、大暴れしてテントを破壊した上に 空手部員を数人投げ飛ばし、あまりの豪快さに空手部員にかえって気に入られてしまったベーシストとか、酔うと男女構わずディープなキスを強要し「ドリル舌」と呼ばれた ギタリストとか、「女はなぁ、弱い生き物なんだ。だから守ってやらなきゃいけない んだ」という話を 15 分間隔でエンドレスに切々と語り続けるベーシストその 2 とか。 なんか書いていて頭痛がしてきたが、そんな話は枚挙に暇がない。 しかしいったい何があったのだベーシストその 2 よ。いや随分上の先輩なんですが。

毎年、学祭の夜はそんな感じでエナジェティックにドラマチックに、 時々はまぁロマンチックに過ぎていく。 だから、昼間はぐったり疲れているかというとそうでもなく、 嬉々としてドラムソロなどやっていたのだが、やはり休息は必要だ。 私は二つのサークルを掛け持った上に、大学二〜三年の頃 (いや一年の時も四年に なっても結局やってた気も…) には演奏以外にも、 ミキサーの前に座って各楽器の音量バランスを調整したりする仕事、所謂「PA」を 受け持っており、なかなかサボる暇もない。 そこでどうしたかというと、PA をやりながら寝たのだ。 曲がシンプルで、凝った調整の必要がないバンドが狙い目。例えばパンクバンド。 演奏が始まってすぐに、大まかな調整を行い、あとは運を天に任せて眠る。 目の前で、凄まじい音量で演奏しているのだが、単調なビートの直撃を受けながら、 結構簡単にすとんと眠ってしまえる新しい自分を発見したものである。

ミキサーが寝ている中演奏しなければいけないバンドというのもかなり悲惨だと 思うが、なぜか苦情をうけたことはなかった。多分偶々、演奏に耽溺し、PA が どうなっていようとあまり関係ない、というバンドで寝ていたというだけなのだろう。 困ったのは、PA 卓でぐっすりと寝たあと、そのバンドメンバー達に上気した面持ちで 「先輩! 今の僕らの演奏、どうでしたか?」と聞かれた時。「い、いやぁ、 パワフルで良かったねぇ。うん。好きですよこういう感じは」「えっ。そうですか。 嬉しいなぁ。具体的にどの辺が?」「え゛っ…」反省しろ。俺。

懐かしいなぁ。学祭。
書き切れない、と、ここまで書いてからハタと気付く私である。

あまりにたくさん思い出が詰まっていて、普段はあまり開けてはいけない ものなのかもしれない。パンドラの箱のように。いや、パンドラの箱みたいに 開けるとあらゆる不幸が飛び出してくるわけじゃないけどさ。 あぁ、でも、思い出すと身を捩ってしまうような、穴があったら入りたい、 なかったら掘りたい、というような恥ずかしい記憶が出てくるところは 似ているかもしれない。というわけで蓋をしておきましょう。

しかしストーンズ流しってなんぢゃい。


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