第三十八回:フランク・ザッパと私


普通の生活を営む普通の人間はその人生において、 フランク・ザッパと出会う必要は、特にないと思われる。 私もとても普通な学生であり、その必要はなかったはずだが、どういうわけだか、 思わぬ形で彼、フランクと邂逅することになるのであった。

大学一年。私の前に唐突に現れたのは U 先輩。彼は言う。 「君は僕とバンドをやることになるのだ。」 言い切っている。予言者だろうか。こういう誘い方も如何なものかと思うが、 その頃の私は売られたケンカは買う、じゃなくて誘われたバンドには入る、 というポリシーの基に日々を暮らしており、 U 先輩にも特に深い考えもなく「あー、いいっすよー」などと間の抜けた返事を したのだと思う。このポリシーのせいで、最大八つのバンドに同時参加していた ことがある。

私の参加していたフォーク研というサークルは、その名前と実態のフィット感が まるでない団体で、実際は怪しいプログレやヘビー・メタル・バンドがうようよと 生息するコミュニティであった。ちなみに私は同時に「軽音部」というサークルにも 参加しており、こちらはもうちょっと普通の音楽を演奏するバンドを多く擁していた。 って何を言い訳しているのだ。俺。

しかし「普通の音楽」という意味では、フォーク研においてプログレや ハード・ロックはごく普通の音楽だったのだろう。夏には合宿など催され、 バスをチャーターして北志賀へと赴いたりしたものだが、 道中、爽やかな景色の中、車内では大音量でキング・クリムゾンなどが流され、 あまつさえ全員で合唱していたりする。つまり彼らにとってクリムゾンは 「おおブレネリ」みたいなモノだったのである。 しかし旅行会社の運転手さんはどういう気持ちだったのであろうか。

閑話休題。

都立大にはサークル棟があり、各サークルはその建物の中に「部室」を持っていた。 フォーク研にも、あった。中には一通りの機材が揃えられ、そこで練習が出来た。 入口すぐのところにはホワイトボードが掛けられ、ボードは練習時間の予約や 部員同士の伝言板に利用されていた。

ある日、授業をサボってドラムでも叩いていようという魂胆で、 ほてほてと部室に足を運んでみると、ホワイトボードに「りおへ→」の文字。 矢印の先にはカセットテープが一本。 添えられた紙にはぎっしりと曲目が列挙してある。 全てフランク・ザッパの曲であった。 文字の主はもちろん U 先輩。 早速、部室にあるカセットデッキにブツを放り込んでみる。

なんぢゃこりゃ。

やけに分厚いコーラス、変な効果音や奇声。 叫ぶようなヴォーカルとぶっ飛ばすドラムもあれば、 複雑な奇数拍子もある。極端な場面転換もあれば、シンプルなシャッフルもある。 妙に厚ぼったく田舎臭かったり、すごく演劇的だったり。スローに、ドラマチックに 歌い上げている個所の歌詞が「ションベンするとポコチンが痛い」だったりする。 ただ、そんなに拒絶感はなかったことを覚えている。 変なの。面白れぇ。ははは。という感想。

ところで、このザッパという人に対して、どうも妙な印象が先行してしまって つい構えてしまう方が多いのではないかと推測されるのだが、どうだろう。

例えば「ある日ステージに男が登ってきて『おまえにこんなコトが出来るか!』と 脱糞したところ、ザッパは顔色一つ変えずにその糞をその場で食ってしまった」 などというウソかホントか分からない伝説。

あるいは、リズムの側面から分析された情報。確かにザッパのバンドからは テリー・ボジオ、ヴィニー・カリウタ、チャド・ワッカーマンなど 非常にテクニカルなドラマーが巣立っている。例えば、「Zappa in New York」に 収録された有名な、と言っても局所的にだがそれはさておき「Black Page #1」。 ドラムを演奏しているのはジェフ・ベックとの共演でも知られる テリー・ボジオである。 出だしの部分のリズム、4 〜 5 小節目だけを取り上げてみると、

 |1        2         3        4       |1        2        3        4        |
 |88888888 333 55555 7777777  7777777 |                  55555 55555 666666|
 |  (*1)     (*2)     (*3)            | (*4)                     (*5)      |

ここまで書いて、文章で説明出来る自信が九割方無くなっているのだが、 気を取り直して説明すると、

上図三行のうち、一番上の「1 2 3 4」と書いてあるのが、拍子。 その下の「8」やら「3」やら書いてあるところが演奏している音である。 その下の(*1)は説明のためのマーク。

まず(*1)。「8」が八つあるところ。これは一拍に八発、つまり 32 分音符だ。

続いて(*2)。まず先に出てくる「333」は、二拍目の半分、つまり八分音符分の 長さを 3 分割した三連符である。続く「55555」は残りの八分音符分を 5 分割した 五連符を示している。

(*3)は一拍を七分割した七連符。これが二拍分続いて一小節が終わり。

(*4)は休符。丸々二拍休んでいる。

最大の難所、(*5)。残り二拍を三等分(二拍三連)し、なんと、それぞれをさらに 五、五、六等分している。

さらにボジオはこの奇怪な奇数分割リズムを両手両足さまざまな楽器に振り分けて 演奏しているのだ。

そして驚くのはまだ早い。この曲には上述のリズム通りのメロディが存在しており、 バンド全体がきっちりとユニゾンしてしまうのだ。 どうなっておるのだ。こいつらは。

しかし、そんなことを気にしなければ、妙に伸び縮みする曲だなぁ、と 思うだけかもしれない。ザッパの音楽は、そういうレベルの理解というか楽しみ方を、 許容してくれると思うのだ。いや、一方的に私が思ってるだけですが。

数多くのライブ盤が残されており、時折観客が登場してたりするのだが、 うがーっと吠えているだけのイッちゃってるヤツが出てきたりして、 必ずしも全員が高い音楽的素養を持って分析的に聴いているわけではなさそうだ。 というか、そんなヤツは小数派なのかもしれない。 いろんな客が、いろんな楽しみかたをしている。 そして、ザッパもそれを楽しんでいるのではないか。

恐ろしく高度なことを演りながら、「音楽」に溺れず、エンタテイメントの 側面を忘れなかった。私には、そう見える。 けれど、この天才の真意は推し量ることなどできないし、何考えてるんだか よーわからん、という辺りが天才の所以なのかもしれぬ。 よーわからんが故に、今後も新たな発見がたくさんあるのだろう。 そんな彼の音楽に出会えたことは幸せなことだ。

逆にいえば、 残された莫大なアルバムのうち、ほんの一部にしか触れていない私には、 フランク・ザッパを語る資格は、まだ無いのだ。

それで、いいのだ。多分。


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