第十七回:演奏と私


「天使にラブ・ソングを 2」という映画辺りに端を発してソウル系のボーカルを 聞き始め、ソレ系の友人からの紹介だったか、それとも本からの情報だったか 記憶が定かではないが Take6 というコーラスグループに辿り着いたりした。

私が音楽を聴く時、あるいは新しいジャンル(っていう言葉はあまり 好きではないのだが)を開拓する時に「演奏する」という行為が密接に関わる ケースが多い。

例えばラテン音楽では、バンドでたまたま共演することになった パーカッショニストや、あるいはリズム関係のメーリングリストとの関わりで 実際にパーカッションに触れたことが大きなきっかけであったし、

ブルーズが面白いと思えたのはバンドでブルーズを実際に演奏したことがきっかけで あったし、ハーモニカもまた見落とせないファクター。ジャズも演奏する事を通して 理解を深めていったように思う。

高校生の頃ハードロックが好きだったのは、その頃始めたエレキギターがとても 目立てる音楽であったことが重要なポイントであっただろうし、フュージョンや プログレといった音楽で複雑でハデなテクニックを見せびらかすドラマーに 憧れたのは当然自分がドラマーだからである。

というわけで、音楽を聴く時、自分ならこう演奏する、ということを想像しつつ 対峙したり、あるいは自分が演奏している所を想像しながら聴くことが多いのだが、 それってホウキをギターに見立ててエディ・ヴァン・ヘイレンになりきってしまった は良いが部屋に鍵を掛け忘れてしまい、陶酔しきってライトハンド奏法を終えて 人差し指を高々と上げたところで母親が入ってきて凍ってしまい、その後重い 雰囲気の中で自己の存在を消し去るがごとく静かに肉じゃがを食わなければ ならなかった高校生とあまり変わらないかもしれない。 いや私のことではないのだが。例えである。例え。例えだってば。

で、ソウル系ボーカルだが、私は歌が歌えない。てんでだめ。

なので、初めて Take6 を聴いた時、演奏するという意識から解放され、やけに 無心にそのハーモニーに耳を傾け、感動出来たように思う。私は結構飽きっぽくて、 新しい CD を買ってきてその CD を最初から最後までじっと聞き終えることは少ない。 まぁじっくり聞くのは次の機会に、なんて思いながら飛ばし飛ばしに聴いたりとか、 マナー最低のリスナーなのだが、Take6 は全曲聴いた。

しかし俺は俺であって俺以外のナニモノでもないのであった。

だんだんヴォーカルのテクニック的な側面が気になってくる。どうビブラートを 掛けているか。音域はどの程度か。を、この高さなら俺でも出るぞ。

しかもこの時期最悪だったのは、 某バンドでヴォーカルをやらされるハメになったこととタイミングがシンクロ してしまったコトであろう。ああ、とにもかくにも手元には 「ヴォイス・トレーニング」なる本が存在するわけである。

練習は人に聞かせるわけじゃないから、ということで部屋で大声を出していたのだが、 考えてみれば隣の家には丸聞こえだったのだろうな。ナイト・レンジャーと マーヴィン・ゲイを交互に歌ったりしていたのできっとレパートリーの広い奴だと 思われたに違いない。違うのだ。隣人よ。今私はそのアパートから引っ越して しまったが、今からでも遅れ馳せながら誤解を解きたいものだ。時々アフロヘアの かつらをかぶることはあるが、私はこんなに普通だ、と。 それより前にあまりの下手さ加減に立腹していたであろうなぁ。

ということで結局ソウル・ボーカルも純粋に演奏という側面から切り離して 楽しむ事の出来なくなってしまった私であった。とほほ。

最近、オーディオへの興味も手伝って、クラシックを聞くことが多い。 CD もちょっと増えた。今のところ「演奏」からは解き放たれて楽しんでいると 思う。今後は…ってさすがにクラシック音楽を演奏することとからめて聴くようには ならないよな。安心安心。やっぱりただ素直に聴くという類の音楽もなくちゃ。

ところで俺のフルート、どうなっちゃってるかなぁ。錆びてるだろうなぁ。


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