葬送 -Requiem




   私が死んだ後も私の記憶は人々の中に残るだろう。
   やがてそれは物語のひとつと大差なく語られるだろう。

   弔われるべき人々の列よりも遥かに長く、
   形の失われたこの名だけが地に留まり続ける。

   ───焔の錬金術師。

 




 強い陽射しの下、練兵場の地面には、輪郭の確かな影があちこちにくっきりと刻まれていた。ここしばらくは雨の恩恵にも預かっていないようで、風が吹く度、茶色の砂埃が目に見えるほど舞い上がる。
 何度目かの号令が聞こえ、被さるように小銃の連射音が鳴り響く。二方を堅牢な建物に囲まれた練兵場で、それは随分と長く谺した。
「とんでもないな」
 言葉ほどには感情のこもらない声が静かに呟く。
 軍服を隙なく着込んだ若い男。肩章は四本線に星三つで、彼が上級将校である事を示している。ならば一見の印象ほどには若くはないのかもしれない。
「何がでしょう?」
 隣に立つ金髪の女が、これも淡々と言葉だけを返す。
 肩章は三本線に星一つ、階級は少尉。士官学校出たての女性士官のようにも見えて、だが視線の鋭さがそれを裏切っている。女のこれは戦場を知っている眼だ。生殺与奪の何たるかを自身が知る鋭さだった。
 二人は大隊本部のある中枢の建物、その最上階の廊下から下の様子を眺めている。練兵場からは相変わらず、耳を割らんばかりに射撃音が響いてきている。
「馬鹿ばかしい」
 合間を縫って、男は皮肉気に言葉を紡いだ。
「いったい何のデモンストレーションで、こんな間近で射撃訓練などさせているんだ?」
「それこそ、」
 続く射撃音。残響がおさまるのを待つため、女性少尉は一拍を置かねばならなかった。
「それこそ、デモンストレーションなのではないですか?」
「道理だ」
 男は片肘を窓枠に添わせて、少しだけ笑った。
「で、君のお薦めの犬というはどれかな」
「資料には目を通して頂けましたか?」
「ざっとは。だが」
 射撃音。
「…口頭でもう一度伝えてもらえると有り難い」
 女は諦観混じりのため息をついた。男が一読した資料の内容を忘れるはずなどない事、恐ろしいほどの記憶力を持っている事を知っているからだった。
「経歴もですか?」
「ほどほどに」
 悪びれない口調で言われ、女は無表情に戻って手許のファイルを胸元で広げた。
「ジャン・ハボック。東部出身。身長は6フィート4インチ、体重は」
「6フィート4インチ?」
 思わず、といったふうに訊き返してから、男はしまったと眉をしかめた。
「よろしければ、ご自分でご覧になられては?」
 ファイルを上下逆に回して差し出し、女は言葉は丁寧ながらさらりと言った。だがそれを聞き流す素振りで、男は窓の外へと眼を向け直した。
「無駄に大きいのじゃないだろうな」
「見栄えは悪くないようですよ。儀仗兵の候補に挙がった事もありますから」
 二人の会話をよそに、眼下では一小隊が控え銃の姿勢を取って後ろに下がる。別の小隊と位置を交代するまで、しばらくは先任将校の号令だけが砂埃と共に空疎に風に舞った。
「───彼です」
 言われる前に男も気付いたようだった。
 周囲の新兵達よりも頭半分、あるいは一つ飛び出ている。枯れ草色に近い金髪の青年は、早くも先任将校に目を付けられた。胸ぐらを掴み、将校は見上げるようにして青年を怒鳴りつける。
「あれか」
「お気に召しませんか」
「……どう見ても雑種じゃないか」
 男の呟きは、正直に漏れた感想の一言程度に過ぎなかった。しかし女はファイルを翻して手許で閉じ、あくまで冷静に返答を寄越した。
「失礼いたしました」
 女の意図が掴めない男が、僅かに片眉を上げてそちらを見る。
「なぜ君が謝罪を?」
「血統にこだわりをお持ちだとは存じませんでしたので」
 今度こそ、皮肉気ではない苦笑がはっきりと男の口許からこぼれた。
「手厳しいね」
 軽く頭を下げて女はそれに答えた。
「そう、確かに君の言う通りだ。血統なんてものは大して意味のある事柄じゃない。問題は己自身のありようだ。──己という個が、己たるを選ぶだけだ」
 ちらりと、苦い響きが男の口調に覗いた。自嘲というにも重く残り、だが一瞬だけでそれもかき消えた。
「よろしい。あれにしよう、辞令の手続きは任せる」
「間近にする機会をせめて一度は作られては? どうとでも都合はつけられますが」
「君の選択を信用しているよ。私自身の人を見る目よりもね」
 恐れ入ります、と女はファイルの中の一枚を抜き出し、別のページにはさみ直した。
 すると、これ以上の興味は失せたらしい。男は眼下の風景をもう一瞥だにせず、踵を返して階段へと向かった。
 しかしふと何かを思い付いた風情で、女性士官を振り返る。
「少尉」
「はい」
「──…あの准尉、儀仗兵の候補に挙がっていたと言ったが」
「ええ、前期の審査で名前が出たそうです。その際に私も初めて彼の履歴を目にしました」
「あくまで候補に終わった理由は何かね?」
 その必要もないのだろうに、女は再びファイルを開いて項目に視線を落とした。
「内務審査で外されています」
「内務?」
 半ば答えの判っている問いかけに、女は初めて表情を微笑に変えた。
「つまり、素行の点で問題が有りと」
 絶句し、切れ長の目を見開いた後、ついに男も肩を震わせて笑い出した。
「君はつくづく…、」
「はい?」
「まあいい。その問題児を私に御してみろという話なんだろうな、これは?」
「乗り手を選ぶ馬も居ます。飼い主以外には牙をむく犬も」
「……。お説は有り難く胸に留め置こう」
 練兵場では次の小隊の小銃一斉連射が始まった。
 残響、連射、残響、連射。その馬鹿ばかしいほどの繰り返しがまた始まっていた。
 男はうっとおしそうに顔を歪めて、今度は迷わず、薄い暗がりの中の階段を降りて行った。


       ◆ ◆ ◆