プレシャス・ガーデン



 俺はやりたいことしかやってないよ、が口癖なのは前からだが、本気のホンキで彼は家業の医者を継ぎたいのだ。ゆくゆくはあの病院を財テクまがいに切り回したいのだ。
 夕食後、だらだらと二人でリビングで寛ぐノリで、啓介は試しに尋ねてみた。アニキ、スタートラインからそう思ってたのか? 自分が将来は医者になりたいって?
 兄の答えはもっともだった。
《スタートラインって、それはどこだよ啓介》
 スタート。敢えて言うなら生まれた時か。高崎、もとい群馬でも有数の総合病院、高橋クリニックの長男として生を受けた瞬間か。
《覚えてるわけがないだろう、そんな頃のこと》
 だよな、と啓介は頭をかいた。じゃあ、…ええと高校の進路相談する辺りで。
《ああ、その時はもう医者になるもんだと思ってたな。だってラクだろ? 周りがそれを期待してて、俺もその地位と境遇がなかなか悪くはないなと思ってて、幸いにして頭の作りもそう苦労はしないで済みそうなレベルは保持してて。これ以上の待遇と権力望むなら…そうだなぁ、政界に打って出るぐらいしか思い付かないな》
 権力と来ましたか! 啓介が唖然として言葉を返せず黙っていると、兄は何やらフムフムと一人で納得した。
《そうか、俺は厳密に言うと『医者になりたい』んじゃなくて『院長になりたい』が正しいな? …あ、別に今すぐって言ってんじゃないぜ》
 啓介の「唖然」を別の方向に解釈し、慌てて兄は付け足した。
《経験は大事だろう。下を扱うにしたって、ろくな実績もないままじゃ人間は着いては来ないし。下積みってのは、本人にも大事だろうが、周囲を説得する役にも立つ。…って、話が逸れてるな》
《……。そう、だね》
《戻して、まあ、お前のさっきの質問にストレートに答えるなら》
 そこで兄はニヤッと笑った。
《ヒラの医者だったら、なりたいと思ったかどうかは分からなかった》
《───ははぁ》
《けど『将来、病院の院長になる』って夢は、きっと俺も子供心に気に入ったんだろ。野球選手になりたいとか、宇宙飛行士になりたいとか思うのと同じだな。幾つかある子供の見る夢の中で、一番実現可能な道を選んだってだけじゃないか》
 ははぁ。ヤなお子様でございますね。夢に「権力」だの「地位」を求めたってことですかい。
 …とは、啓介は言わなかった。言ったら鉄拳制裁をくらわされるか、悪くすれば口をきいてもらえなくなるか。拳で来られるより、口をきいてもらえない方がよっぼどシンドい。
 ひとまずデキの悪い次男として思うことはと言えば、こういうセーカクの兄貴が居てくれて助かった、とコレだろうか。
 そんでまた、──アニキのこういうとこがオレも好きなんだよなあ。合理主義で情け容赦なくて、なのに身内にだけは変に甘いとことか。
 ヘラっと笑った弟の顔を見て、兄は怪訝そうな顔をした。どうした、と訊かれて、ううん何でもねえよと弟は首を振った。ただ、アニキのことが好きだなって思っただけだよと、真面目に言ったのにもっと怪訝な顔をされてムカついた。
 だけどついでに、兄の耳許に唇寄せるのは忘れなかった。



「お前、またなんか妙なことを考えてるだろう」
 兄──涼介のベッドにごろごろ転がりながら思い出し笑いをしていたら、涼介が向かっていた机から振り返ってそんな言葉を投げ付けてくる。
「はあー? 何だよ、別にミョーじゃねえよ。今はマジで普通に兄弟間の思い出に浸ってたんだよ」
 だが涼介はうさん臭そうに啓介を見るのをやめてくれない。そうなると啓介としてもムキになる。
「あのねぇ! 御期待に添えずに悪いんですがッ、今のはホンットにエロネタじゃねーから!」
「エロネタ言うな!」
 バシィッ、と開いたノートがすっ飛んで来た。顔で受け止め、思わず啓介は鼻を押さえた。
「いてェ!」
「辞書投げなかっただけでも有り難いと思え」
 有り難かねーよ、別に何にも。唸って、啓介はノートを拾って膝で広げた。
「で、いつ終わんの?」
「もうすぐ終わるよ。…それ返せ」
「ヤだよーん」
「子供か、お前は!」
 少なくとも、自分の大事なものを人に投げ付けたのはアニキからだ。どっちが子供だよと、啓介はぼやきながらベッドを降りた。
「ハイ」
「サンキュ。…え、…オイッ」
 ノートを机に置き、そのまま背後から兄の肩にもたれかかり、耳朶をそっと甘噛みする。
「……ッ」
「アニキが妙な想像してたみたいだから。オレも一緒に吊られてみた」
「俺のせいか…っ」
「だよ。…オレがね、ホントに何思い出してたか教えたげよーか。──初めて、アニキの助手席でアニキの本気走り見た時のことだよ。あーそっか、エロいっちゃあれもエロかったかな…?」
「……お前が、鼻水垂らして泣いた時のことだな」
 くあァッ、と叫んで啓介はのけぞった。
「かわいくねぇッ!」
「馬鹿野郎、そっくりお前に返してやる!」
 身体をもぎ離されそうになって、急いで啓介は押さえ込むように腕を回し直した。離せって、と暴れる涼介を大人しくさせるため、今度は耳に少々強めに歯を立てる。
「ツ…!」
 それから優しく舌でなぞり上げる。その肩は震えて強張るくせに、抵抗していた腕の方は、ふにゃっと力が抜けて机から落ちた。
「ね、……遊んでよ」
「け、……い…」
「ずっとイイコで待ってたんだからさー」
 もうすぐだって、言ってるのに。半分くらい泣きそうな声で、涼介は机に身体ごと突っ伏した。
「サカりやがって、このバカ…」
「くっち悪ィな、ンっとにもー」
 でも。涼介はこうなると逆らえない。こないだ最後のカノジョと別れてからこっち(それが正真正銘『最後』であることを啓介は心より神に祈る)、何の転換があったのだか、涼介は啓介の手に以前以上に弱くなった。
 あんまりにそれが顕著な変化であったので、啓介自身が空恐ろしく感じたくらいだ。セックスの最中に「オレのこと好き?」と戯れに訊いてみたら、頷いて涼介からキスしてきたのには本気でビビった。
 ちなみに。
 その『最後のカノジョと涼介が別れた晩』に。啓介は自分が何を兄に言ったか忘れている。とゆーか、常にこの青年は己の言動を時系列的に記憶に留める努力をしていない。
 なぜなら裏表がほとんど無いから。覚えていなくても齟齬はまったくあり得ず、「あの時考えていたこと」は「常に考えていること」であり、「多分明日も考えていること」であるからだ。
 アニキが、何で急にオレとラブラブモードになったのかなー?、と真剣に不思議に思う彼はお気楽なのか、それとも兄が言うように「バカ」なのか。

 ま、そんなのもどーでもいいんだ。幸せだし。
 この人と一緒に居られて、それだけでもう幸福だって思えるんだ。お前が好きだって、言ってもらえたらそれこそ世界中の誰よりも。
 なので今日も訊いてしまう。
「ね。オレのこと、好き…?」
「……好きだよ、ずっと」



- end -

初稿 2004-03
改稿 2009-11





思ったより啓介も頭使ってる時もあるみたいですねとか、そーゆー…。
これ書いた頃、ヤンジャンで『赤城峠・兄弟心中未遂事件』が発覚したばかりだったと記憶しとります。身悶えました。「啓介がヤンチャ更正したのはきっと兄貴(とFC)の影響よ!」と勝手に信じ込んでいただけに、公式にて啓介に公言してもらえた興奮ったらなかった(笑)