君のために出来ること。



「俺を、避けてたみたいじゃないか。…一人で走りに行っちまうし…」
「え、それは、だってアニキが忙しそうだったから! オレの我が儘に付き合わせたら悪ィなーって!」
「我が儘?」
 うううぅん、と啓介は自分の鼻の頭を引っ掻いた。ああ、このクセは良く知っている。弟が子供の時から、いくらか真面目に人にものを伝えようとして、そのために言葉を探す仕種だった。
「オレ、クルマ速くなりたいんだよね。まずはそれからって思ったんだよな…」
 それから? って何だ。
「オレ、もう少しさ。あんたのお荷物じゃなくなりたいんだ。今、赤城行っててもオレより早いヤツはいっぱい居るし、チームでもせいぜい中の上か上の下だろ? …ダメなんだよ、このまんまじゃ」
 オレ知ってるよ、とさっきまでの迫力はどこへやら、弟ははにかんだように明るく笑った。
「あのチーム、アニキはオレのために作ったんだ。あんたは別に誰かとつるんで走りたがるタイプじゃねえもん。オレと一緒にやりたくて、オレの箔付けでチームをわざわざ立ち上げてくれたんだ。……だからさ、アニキに追い付くのはまだ無理だとしても、せめて『オレはレッドサンズのナンバー2だ!』って、堂々と言えるくらいにはならねぇとさ。それっくらいしか、今オレがあんたのために出来ることが思い付かない」
 最低三十秒、タイム縮めてから言いたかったのになー、と悔しがる弟は、そんな顔だけ子供の時と変わらない。でも言ってることは随分と大きい。
 『せめて』、の後に続く言葉が『ナンバー2』か。今現在、四輪免許若葉マークのこいつと、チームのトップレベルで何秒の差があると思ってるんだ。
「だーかーらー、黙ってたんだろー!」
 黙って。一人で。俺のために?
「んー、アニキのためだけかって言うと、…ちょい違うかもな。オレがなりたいんだよ。あんたの隣に立ってて恥ずかしくないようにさ。アニキが、オレを頼りにしてくれたら、やっぱそれが一番嬉しい。──オレがいて、もしあんたの役に立つことがあるのなら、きっとそれがオレは死ぬほど嬉しい」
 すとーん、と涼介の腰は力が抜けて下に落ちた。「うわぁッ」と叫んで啓介は両腕を掴んだが、間に合わずに二人して階段に座り込む。その啓介の手が無かったら、あわや、もう少しで涼介は下に転げ落ちていたかもしれなかった。
「な、なな何ッ! どしたのっ、マジで具合悪ィの!?」
「啓介…」
「はいィ!」
「バカだ、お前は」
 それから、俺もバカだ。
「へっ?」
 お前が、傍にいないのが俺は一番辛いよ。お前が何を考えてるのか分からないのが一番辛い。
 だってお前が言ったんだ。俺と繋がれるのはお前だけだと。俺を迎えてくれるのがお前だけで、お前を迎えられるのが俺だけなんだと。
 それを、信じられなくなる時が一番辛い。立っているのも覚束ないほど。
「……お帰り、啓介」
「う、うん?」
「お帰りって、言えよ啓介。俺にもちゃんといつも言ってくれよ」
 でないと切なくて死にそうになってしまう。分かってた。気が違いそうにこいつが好きだ。
 きっと、ほとんど意味が伝わってはいなかろうが、啓介はおろおろと涼介の肩を抱き締めた。それからそっと耳元で囁きを告げる。
「お帰り。…お帰んなさい」
 ただいま。言おうと思ったのに、咽が詰まって声にならない。
 どうしよう、もうホントにダメだ、どうしよう。こんなに弟に依存しきって。こいつがいなかったら生きていくのも出来そうにない。
 だけどそんなの、認めちゃっていいんだろうか。みっともなさすぎやしないだろうか。
 そうちゃんと考えてるのに、涙腺は思いきり涼介を裏切って、もっとみっともない事態を招こうとする。
 二十歳を超えて、我ながら信じられないと思いながら、涼介は初めて弟の腕の中で泣けてしまった。何度この手であやしてやったか分からない、泣き顔なんか百万回も見たんじゃないかと思う相手の腕の中で。
「ア、アニキぃ!?」
 啓介の声がひっくり返る。黙ってろ、という合図に涼介は啓介を抱き返した。やめてゴメンナサイ勘弁してと、それでも暴れる弟に向かい、ついに涼介は「何でだッ」と泣き顔のまま怒鳴りつけた。
「ゴメンナサイッ オレのナケナシの自制心には限界があるんですう! アニキ疲れてんだろ、この頃まともに寝てねーだろ! あんまし、すいません、くっつかないで頂けませんかッ」
 ん、と互いの身体の間の下を見ると、確かに弟はかなりヤバめになっていた。そうですか、そんな理由で。俺はここ二週間ばかりも、こいつに触らせてもらえなかったわけですかい。
「バカだ、お前はもう底なしのバカだ!」
「ええぇ! ちょっとお!」
 ムチャクチャだ。でも諦めろ。どうせ自分たちはマトモな兄弟にすらなれないんだから。とにかく今はしたいことをしたいだけ。好きなだけ好きな相手と混ざりたい。
「んっ、…」
 自分からキスをしたのもきっと初めて。すぐに主導権はどちらのものとも分からなくなったけど。


「…こ、…こでこれ以上はヤバいってアニキ…。落ち、たらマジで危ねえから…」
「運べ」
「む、ムリッ そこまで筋肉鍛えてねえよ!」
 じゃ、鍛えろ。
 ムチャクチャ覚悟で言い捨てて、涼介は弟の耳たぶを甘く噛んだ。八つ当たりながら、泣き顔見られた腹いせに。

 なあ、何が出来る。何がしたい。
 傍でそうして笑っていてくれるのだったら、お前のどんな夢でも叶えてあげたい。




- end -

初稿 2004-10
改稿 2009-11





タイトルは小田和正「たしかなこと」一部より。コンビニでふと曲聞いた時に「わー、コレって啓涼ー」って思って、最初は涼介イメージのつもりだったんですが、いざネタ切ってたら「啓介がそう思った」的な話になってました。
この辺りから個人的には自分の書く涼介の乙女っぷりに目眩を覚え始めて、……ま、実はそーでもなく最初からウチの涼介さんは乙女丸出しでしたねというオチ。