Everybody Wants To Rule The World



 慌てて振り向いて見た弟の顔は、悪戯っ子みたいにニヤニヤしていた。
「おま…!、なん……、」
「何で知ってるか? ああ、ほとんどカンだよな。あとは推理か。昨日、アニキと飯食ってる時にケータイが鳴ったじゃん」
 それも全然説明にはなってなかった。口をぱくぱくさせている涼介の顔を見て、啓介はますます嬉しそうに笑みを広げた。
「あん時アニキ、名前呼び返してたから相手は誰だかすぐに分かったよ。廊下に出てって話してた割にはすぐ戻って来て、なんかよく分かんねぇって顔してた。ったら、アニキに理由がハッキリしない呼び出しくらったってことになるだろ? 別れ話のつもりかなぁって、オレの想像としてはそこ行くね」
「…っ、大学の用件かもしれないだろう!」
「だからそこいらに関してだけは、…オレのカン? そろそろ別れる時期だろーとも思ってたし。まァ、帰って来たアニキの顔見て確信はしたけどよ。アニキ、実は結構タフだしさ。精神的に疲れないと、こーいう顔にはならねえんだよな」
 どんな顔だ。突っ込みを入れかけ、それよりも先に別の部分に突っ込みを入れるべきなのに寸前で気付く。
「───そろそろ、別れる時期ってのは、なんだ」
「ホントにアニキ、自分では分かってねえんだな」
 涼介の手の中のマグカップを、啓介はさっきとは逆の動きで抜き取った。
 トン、とカップは音を立ててテーブルに戻される。
「ダメなんだよ、あんたは。オレ以外の奴は絶対に」
「何だって?」
「ンー、どう言えばいいかな…。アニキってさ、ケッペキショウっぽいとこがちょいあるだろ」
 潔癖。
 単語を漢字変換しながら、涼介は唖然とした。何の根拠で弟がそんなことを言い出すのか、さっぱり理由が分からなかった。
「あ、別に電車で吊り革に汚くて掴まれねーとか、帰って来たらすぐ手を洗いまくるとかって、そういうレベルで言ってんじゃないぜ。…ま、そういうとこも、あるけどさ」
 失敬な。せいぜい、人と鍋をつつくのが苦手な程度だ。他人の口に入った箸がまた鍋に突っ込まれるという、あの構図にどうにも生理的な躊躇を覚えるなとか。
「あー、つまりソレソレ! 結局さぁ、他人との直接の接触って、あんたはあんまり好きじゃないんだよ。だろ?、そんなんで体液交換なんてやってらんねーだろ。だから多分、セックスなんてやってても自分は楽しくないんじゃねえ? や、出来ないこともないみたいだけどさ、義務感みたいにやってたんじゃないの?」
 唖然、を通り越して涼介はもう愕然としていた。驚愕、驚天動地に近かった。
「けい、」
「賭けてもいいけど、あんたみたいな男と付き合ってて、それで女が我慢出来るはずねぇんだから。カンのいい女ならパッと分かるよ。そいで、あんたがカンの悪い、つか頭のヤワい女とわざわざ付き合うとも思えねーんだよな。だったら結果はいつも決まってる。誰とも、アニキは長続きできないんだ」
 誰とも。
 驚愕の中心部分で、それがほぼ真実を突いていることを涼介は理解していた。もとい、理解しているからこその驚愕と言うか。
 だけど、でも。
「……誰とも、か。お前の言い分が正しかったら、俺は一生、誰とも自分を分かち合えないっていうことか」
 吐き捨ててから、ハッとまた矛盾に気付く。
「おかしいだろう! それじゃ、何で……、」
 とっさに、涼介はそのものズバリを言葉にするにはためらいを覚えた。だが単語だけ伏せても仕方がない。伝えるつもりの意味としては同じことなのだから、あまつさえこの弟相手の言葉なのだから、羞恥もクソも今さらだった。
 仕方なく諦め、飾らずに単語を問いに直した。
「──…だったら何で、俺はお前とするセックスはイヤじゃないんだ。気持ちいいって、思えるんだ」
 言いながら、それでも耳朶が熱くなる。
「身体の相性がいいからだとか、お前ここで適当なことぬかしてみろ!」
 ぶん殴りそうだ。問答無用に、珍しくも弟に手を上げそうだ。
 だが動じたふうもなく、弟はしらっと簡単に言葉を続けた。
「そう? 相性ってそれなりに大事だって、オレは思ってっけどね」
 とは言え、啓介はやや身体を後ろに引いて、兄貴からの万が一の攻撃に備えることは忘れなかった。
「啓介……っ」
「うん。マジな話で。──他人じゃないんだ。オレの場合は。あんた、オレしかきっともうダメなんだよ。オレを一度受け入れちゃった時点で、もうオレ以上ってないってホントは分かっちゃったんだよ。気持ちより先に、…なんつーか身体の方で」
 あ、ごめん。エッチい意味で言ってんじゃ…ちょっとはあるか。
 喋りながら、啓介は気を逸らすように自分の鼻先を引っ掻いた。
「アニキ、いつか言ったよな。オレとはレンアイできねぇって。…ずっとオレはそのこと考えてたよ。ずっとショックで、しんどかった。でもオレも分かったんだ。あんまりソコんとこに意味はねえの。ちゃんとアニキは戻ってくっから」
 だってオレらさ、と念を押すように、この時だけ啓介は真顔になった。涼介の眼を覗き込むようにして一言一言をはっきりと押し出した。
「オレら、兄弟だもんな? どうやったって、切れたりはしないんだ。エッチの相手がお互いだったのは、たまたまってことじゃないんだよ。全部分かっててオレらはお互いをきっと選んだんだ。そこって、凄く、ポイントなわけ。ってあたりを、アニキにも自分で気が付いて欲しかったけど……あんた、こーいうことにかけてだけは激ニブだもんなあ…」
 苦労してんだよ、オレこれでもさ。
 それから、啓介はその言葉と裏腹に本当にもう嬉しそうに笑って、動くのも忘れている涼介の肩を抱き締めた。
「レンアイがダメだってあんたが言うなら、それでもいーよ。オレとはエッチしか出来ねえってんなら、それでももう全然構わねえ。ねえ、だけどオレだけだよ。一生、オレしか、あんたのこんなに深いとこに入れてもらえる奴は居ねぇから」
 ─── 一生。
 その響きの重さにグラグラした。一生涯、この弟だけと。繋がることが出来る相手はこのぬくもりだけだと。
 不意に『欲しがってもらえなかった』と言った今日の彼女の言葉を思い出した。欲しいよ、俺はいつだって欲しかった。一つだけ。一つしか自分には最初から要らなかった。
「啓介……」
「うん」
「けいすけ…っ」
「…うん」
 キス、してくれよ。お前から。
 囁きで告げる。でないと馬鹿みたいに泣き出してしまいそうだった。馬鹿みたいに、歩き出したばかりの子供みたいに。
 額をこすり合わせるようにして微笑みを交わしてから、弟は互いに滅多にしなかったキスをした。恋人同士がする熱いキス。
 ソファにゆっくり身体を沈めながら、天井の明かりと逆光になった啓介の顔を見上げながら、涼介は自分が幸福なんだか不幸なんだか分からなくなって、軽いパニックめいたものを起こしていた。

 だけどそんなもの、弟が言うように大した意味はないのかもしれない。世間なんて実は知ったこっちゃないのかもしれない。
 こんなにも、暖かい腕と快感がある限り。

 そう思って、涼介は十七から付き合ってきたこの苦悩と葛藤に、投げやりにピリオドを打つことにした。



- end -

初稿 2003-10
初稿 2009-11





ゲストではなく自分発行で最初に書いた話でした。改稿のために読み返してみたら、なんだ最初っから私の書く兄は乙女系だったんだな…!、という事実に今さら衝撃。えー。
タイトルはティアーズ・フォー・フィアーズの歌から。当時、車のCMか何かで聞いて「あ、これ!」的に拝借したのだったと思います。『誰もが世界を征服したがっている』←特に啓介…。