亭主の寸話39 『てんぷらの科学』

 

 天ぷらという揚げ物料理は「油、衣、素材」という3つの要素が絡み合って出来ている。この中で最も特徴的なのは油を使って調理しているということであろう。天ぷらが登場するまではわが国には油を使った料理が存在しなかった。それだけに天ぷらはわが国の調理史上画期的な食品だったといえることだろう。これらを少し科学の眼で眺めるとどうなるのか、そんな切り口で天ぷらを見つめなおしてみよう。

油について

天ぷら油の働きは素材に熱を与えることであり、熱媒体だということも出来る。お湯で煮るのと違って180℃の高温で調理することが出来、短時間の調理が可能となる。さらに素材に油のまろやかさを与え、油特有の旨味を感じさせてくれる。ところがこの油の旨味が不可思議であり、分かりにくい。私たちは大豆油やナタネ油を舐めても美味いとは感じないと思う。油を舐めて美味く感じるのは化け猫くらいでしょう。ところがポテトチップスや焼きおにぎりなど油を使って調理すると素材をいっそう美味しくすることが出来ます。油の乗ったまぐろ、旬の秋刀魚、霜降りの牛肉など美味しいと感じる食べ物には油が関係しているものが多い。なんにでもマヨネーズをかけて食べるマヨラーといわれる人さえいる。我々はなぜ油が加わると美味しく感じるのか、このことは以前にお話しているのでここでは省略するが、天ぷらはこの美味しくなる仕組みを使った調理だったのです。

さらに油は私たちの健康にも欠かせない栄養素のひとつなのです。私たちは自分の体の中で合成できない油がいくつかあります。それらは必須脂肪酸と呼ばれています。これらは食べ物として取り入れなければなりません。美味しく喜びながら必要な栄養素を取り入れる、これが調理油です。これらの油は体の中でいろいろなホルモンに形を変えながら、私たちの体調を整え健康を保っているのです。こう見ると調理油はもはや熱媒体の枠を超えた働きをしていることが分かっていただけることでしょう。

この油は加熱されていると少しずつ状態が変化していきます。それは油の分子同士がくっつき始めるのです。これを重合といいます。油が重合すると粘ばりがでてきます。一般に油が疲れたと表現されるものです。粘度が増すと油の表面に大きな泡が出るようになります。これは天ぷらを揚げるときの細かな泡と違って大きな“かに泡”と呼ばれるものです。さらにこの油を使い続けると重合度が進み、煙が出てきます。こうなってしまうともはや天ぷらはカラッと揚がりません。だからこうなる前に油を取り替えなければなりません。

油の働きは180℃という高温で調理するところにありますが、この温度が低すぎると天ぷらはカラッと揚がりません。天ぷらは素材をころもで包んで油の中に入れますが、入った瞬間にころもの水分は熱せられて水蒸気になり勢いよく飛び出していきます。水分を飛ばされたころもは加熱されて膜を作り素材を保護します。だから天ぷらはカラッと揚がるのです。もし油の温度が低ければころもに水分を残したまま膜を作ってしまうのでベトッとした天ぷらになってしまいます。油の温度が180℃に達しているかどうかは、実験室で揚げる場合には油の中に温度計を入れておいて確認しますが、温度計がない場合にはころもを1滴油の中に落としてころもの水分の蒸発状態を見ます。ころもが油の表面で水蒸気を勢いよく飛ばす状態になっていれば180℃に達していると判断できます。ころもが油の中に沈んでからゆっくり浮き上がる状態では油の温度が充分に上がっていないことになります。
 油の温度が180℃に達した状態を保つためには一度に多くの素材を揚げないことです。油の温度はタネを入れるたびに下がるので、多量の油の中に少しずつタネを入れながら温度の下がるのを防がなければなりません。

いずれにしても天ぷらにとって、油は重要な働きをしているので油の状態をよく観察しながら調理する必要があります。

ころもについて

天ぷらのころもは小麦粉を水に溶いて作るが、水は小麦粉の蛋白質を変化させてグルテンを作ります。小麦粉を水に入れて時間をかけてよく練るとしっかりしたグルテンが出来て粘ったり伸びたりします。パンがスポンジ状に膨らむのもこの働きです。しかし、天ぷらのころものグルテンが強くなるところもに含まれている水分を手放さなくなり、サクッとした歯ざわりになりません。そのために天ぷらのころもには蛋白質含量の少ない薄力粉を使います。しかも水と蛋白質が働き合わないように冷たい水を使い、軽くかき混ぜる程度に留めて手早く使い切ってしまいます。こうして歯ざわりのいいサクッとした衣ができるのです。さらに今では天ぷらのころもが針のように四方に散っている「花咲き」状態にするために特殊な加工をした澱粉を混ぜ合わせる技術も開発されています。

ころもは中の素材をしっかりと包み込んでいるので素材の栄養分を逃がすことはありません。それは揚げ油の温度が高いために短時間で調理されることにも関係しています。ころもがサクッとした歯ざわりに揚がっていると、そのことも美味しさを感じるひとつの要素でもあるのです。しかし、ころもから水分が飛ばされた状態は湿気を含んだ空気中では長く保たれません。時間が経つにつれて空気中の水分を取り込んでシナッとした歯ざわりに変わってきます。これはほとんど避けられないことです。そのために美味しい天ぷらは揚げたてを食べることを最上とします。天ぷら屋さんに入った時には、揚げてくれたものを、やけどをしない程度に急いで食べるようにすることです。これは天ぷらの美味しさを知っている人の食べ方といえます。

素材について

天ぷらでは素材が油と直接接触することはありません。素材と油が直接接触するのは「空揚げ」と呼ばれています。天ぷらでは素材はころもに包まれており、180度の高温の天ぷら油の中で「蒸されて」加熱されるのです。そのために蒸す調理法に適した素材が選ばれることになります。私たちが天ぷら屋さんで出されるのはこのような材料なのです。

いま天麩羅専門店に入ると日本中どこに行っても似たようなメニューのネタが用意されている。えび、アナゴなどの魚類とたまねぎやかぼちゃなどの野菜類がバランスよく並べられる。特に近年は健康意識が高まっており、野菜を希望するお客さんが増えているようだ。しかし、もともと江戸に始まった天麩羅は魚に軽い衣を着けてカラッと揚げたものだけであり、野菜を揚げるのは精進揚げと呼んで天ぷらとは区分けしていました。野菜は水分が多いので鍋を別にしないと油が痛むと言って一緒に揚げなかったのです。

江戸時代の天麩羅は京阪と江戸でまったく違ったものでした。京阪で天ぷらと呼ばれているものは、魚のすり身を油で揚げたものを言い、油を使わないものは半平と呼び、後に「はんぺん」と呼ばれるようになるものです。一方江戸では魚、海老などの魚類を衣で揚げたものを天麩羅と呼んでいた。つまり京阪では半平のゴマ揚げを「てんぷら」といい、江戸の天麩羅を「つけあげ」と呼んでいたようである。

天ぷらは、油ところもは全国的に共通していますがその中に入れるタネはその地方によって少しずつ違っていたのです。江戸前天ぷらが魚を中心としたのは江戸の海に小魚が豊富だったことによるのです。天ぷらは江戸から徐々に地方へと広がっていくのですが、それぞれの土地で作られる天ぷらはその土地の産物を反映していたようです。昔は新鮮な食材が長距離運搬されることはなかったので、その土地で採れる材料を使って天ぷらを作っていたからです。
 しかし、現代では北海道の新鮮な食材が関西に運ばれたり西日本の食材が関東に運ばれるなど物流システムが高度に発達したので、今では全国どこへ行っても同じような天ぷらが出される時代になっています。

天麩羅は江戸では蕎麦と結びついて天ぷらそばが生まれ、さらに大正時代にはご飯の上に乗せて天丼になった。天ぷらが広い支持者を得ながら発展していった背景には調理の簡単さと豊富な栄養と美味しさという食品の持つ全ての要素を兼ね備えていたからではないだろうか。

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