亭主の寸話 B『若葉の季節と葉緑体の不思議』


 若葉で野山が覆われる季節になると、私たちの気持ちも華やいだものになるから不思議です。どうやら人は植物の緑を見ると気持ちが穏やかに落ち着いてくるようです。おそらく動物の持つ遺伝子の奥底に、自分たちにとって、母のように無限のエネルギーを与えてくれるのは植物の持つ緑の葉の働きである、という信頼感が組み込まれているのかもしれません。
われわれ動物は自分で栄養となる有機物を作ることは出来ません。植物の持つ葉緑体が光合成をしながら作ってくれた有機物を、私たちは直接野菜や果物として摂取するか、あるいは植物を食べて育った草食動物の肉を食べることによって間接的に栄養として取り入れているのです。魚類にしても、植物プランクトンを食べて育った小さな魚から始まって、食物連鎖の頂点に位置するマグロなどの大型魚類を人類が食べることによって、私たちは植物の恩恵を得ているのです。つまり私たち動物は、植物がなければ生きてゆくことができないのです。植物を消滅させると、植物が消滅する前に動物が滅亡してしまうことになるのです。植物の緑はあらゆる動物にとって生命の源であり、野山の緑に代わるものはないのです。この植物の緑は、葉の中に含まれる葉緑体に光が反射したり透過したりすることによって、私たちの目には緑色に見えるのです。

 植物は自分の餌を得るために動く必要がありません。それは、自分の体に備わっている葉緑体が光合成活動をすることによって、栄養となる有機物を自ら合成することができるからです。植物は栄養成分をより多く作るよう、光合成活動を高めようとしていきます。そのためには他の植物よりも光を多く受けられるように地上高くそびえる必要があります。木が高く伸びるのは植物の持つ一つの生存戦略です。
しかし、ここで新たな問題が出てくるのです。それは高く伸びた頂上の枝までどうやって根から吸い上げた水を持ち上げるか、ということです。水を10mの高さまで持ち上げるためには1気圧の圧力が必要になります。ましてや純粋の水ではなく、いろいろな無機物、有機物が溶け込んでいる樹液であればさらに強い力が必要になってくるでしょう。50mを越えるような大木になると、ヘチマの茎を水が上がってゆくようなわけには行きません。大木の頂上まで水を吸い上げるためには、根の押し上げる力のほかに、大きく広がった枝葉からの蒸散によるバキューム力が必要になってきます。このようにして植物は光合成活動をしているのです。植物も生きてゆくためにはそれなりの苦労もあるようです。葉緑体の働きについては、わたしの別のコラム「加藤昇の大豆の話」(T-10)に書きましたので、ここでは重複するところは省略します。

 今回は葉緑体の生い立ちについて触れてみたいと思います。地球上に植物が出現したのは5億7千万年前の古生代からとされています。このとき既に植物は葉の中に葉緑体を持った、現在の仕組みを備えていたようです。一方、動物は植物が出現してからまもなく地球に姿を現すことになります。ところで、今回の話の主役である葉緑体は植物の出現と共に現れたのだろうか?

 いいえ、葉緑体は知られていない別の姿をもっているのです。

 葉緑体といえば、あたかも植物細胞のひとつの器官にすぎないと思いがちですが、これがすこし様子が違うのです。葉緑体は植物細胞の器官として、光合成活動をしながら植物の生育に必要な有機物を作り出しているのですが、もう一方では、葉緑体は自分の中にも核を持っており、分裂を繰り返しながら増殖するという、1つの生命体としての行動も行っているのです。それはちょうど植物細胞に寄生しているウイルスと同じような不思議な組織なのです。植物細胞の中にはこのような、自らも核を持った寄生生命は、葉緑体のほかに、エネルギーを生み出すミトコンドリアという器官も同じで、やはり核を持った一つの生命体でもあるのです。ですから植物という生物は、葉緑体とミトコンドリアという2つの生物の寄生を受け入れてはじめて生き延びられる形を整えることが出来たということがいえるでしょう。では葉緑体として植物細胞の中にもぐりこんだ生命の正体はいったい何であったのだろうか。

 葉緑体のいちばん画期的な働きは、まだ地球上が炭酸ガスで覆われていた太古の時代に、海草(ラン藻類)の中に入り込んだ葉緑体が大気中の炭酸ガスを取り込んで酸素を作り始め、この地球を酸素の豊富な活動性の高い星に変えたことでしょう。今地球上で高いエネルギー活動をしながら生活をしている私たち生物は、この酸素を使って生きているものばかりです。
35億年前のラン藻の化石(ストロマトライト)からこの太古の時代にラン藻の中にもぐりこんで地球を酸素に満たした葉緑体が見つかっています。では、葉緑体の原型となる光合成細菌は35億年前に地球上に現れたのか、となると定かではありません。その前の時代、つまり40億年前に最初の生き物として地球上に現れた始原生物の時代にすでに生まれていたのではないか、との憶測も出ています。つまり、葉緑体は地球が45億年前に生まれてまもなくこの地球上に現れた原始の生命体ではないか、とさえ言われているのです。葉緑体とは、なんてすごい生命力を持ったものだろうかと改めて驚かされます。誕生直後の地球環境から現代の温暖化現象に対応する役割まで、まさに地球を守り続けてきた主役だったと言えるでしょう。

 ところで、光合成によって自ら栄養を作ることのできる植物と、運動能力を備えて広く行動のできる動物の両方の機能を兼ね備えた生物はいないのだろうか。もし、そのような生物がいれば最も地球環境に適応できそうに思われるのですが、どうでしょう。いました、ミドリムシという原生動物です。ミドリムシは光合成をするプランクトンの緑藻類を取り込んで一つの生物になったものです。光合成をする植物プランクトンはいるが動物としての動きをするのはミドリムシだけです。ではミドリムシは環境に適応して進化しているのだろうか。彼らの繁殖力はすごいが、それ以上の進化をしようとはしていない。彼らは今の環境に対して進化をしなければならないほどのストレスを感じていないのだろう。どうやら進化とは逆境に対する対応策の一つだったのですね。動物の機能と植物の機能を併せ持つミドリムシには進化しなければならない不便さを感じないのでしょうか。 

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