亭主の寸話26 『温暖化は本当に悪者か』

 

 私はどうもテレビで流されてくる温暖化阻止の大合唱には違和感を感じてしまう。テレビアナウンサーがわざわざアフリカや南の島々へ出掛けて行って「エコ大紀行」だとしてサルや珍しい鳥をアップで見せてくれる。そしてこの動物たちを守るのが地球環境を守ることだと解説してくれる。どの番組にまわしてもエコは大ブームである。まるで「今はエコがファッションよ!」とでも言っているかのように、若いアナウンサーが「エコ、エコ、エコ」と連呼している。この娘たちは30年程前には「地球は寒冷期に向かっている」と言われていたことなどは到底知らないだろう。30年で地球の回り方が反対にでもなったのだろうか。当時「寒冷期に向かっている」と言っていた人たちも「温暖化グループ」に組してしまったのか全く鳴りをひそめてしまっている。しかし、過去の歴史を見ても地球の温度は一定であったためしがない。縄文時代の住居跡である三内丸山遺跡から出てきた昔の食べ物をみても、当時の青森県は現代よりも遥かに暖かい気候であったことが知られている。平安時代も今よりも暖かい気候だったようである。地球は過去に温暖化と寒冷化を何回も繰り返している。過去40万年間の地球の温度は大きな上下の波を4回繰り返しているし、その間も細かな変動は常に起こっている。別に自動車が走って炭酸ガスを撒き散らしていたわけでもないのです。実は、地球の気温がどうして暖かくなったり冷たくなるのかはよく分かっていないのです。炭酸ガスの発生量だけで説明できるような単純でもないのです。もっと大きな、たとえば太陽活動の周期などに連動しているとも言われています。この他にも地球磁場と宇宙線の変動や、地球上の火山噴火、地球軌道と地軸の傾き、そして炭酸ガスのような温暖化ガスの濃度などです。家庭のエアコンを消せば温暖化が収まるというレベルではないようです。地球の大地を覆う空気は質量比で75%がチッソです。その他に酸素が23%、アルゴンが1.3%などであり、目の敵にしている炭酸ガスの濃度は0.05%に過ぎません。自動車をやめて電車などに乗り替えて温暖化が収まるのなら、現在の大不況で自動車産業が前年度よりも減産するという事態は喜ばしいことではないのですか。自動車産業に資金援助して救済することは温暖化阻止に反しているのではないのですか。

 郷里の徳島にある我が家の水田は、現在私の友人に稲作を委託しています。彼は毎年そこに「コシヒカリ」を栽培していました。その彼が、昨年はコシヒカリの植え付けを少なくして、そこに新たに「キヌヒカリ」という稲を栽培し始めたのです。なぜそうしたのかを聞いたところ、「コシヒカリという稲は冷涼な農地に適しているが暖かい気候には向いていない。これからの温暖化を考えると温暖な西日本に適したキヌヒカリの栽培にも広げておいたほうがいいからだ。」とその理由を説明してくれました。地方の農民も既に温暖化対策に取り組んでいるのかと驚かされました。

 しかし、農家にとって気候が温暖化するのと寒冷化するのとどちらを望むだろうか。それは明らかに温暖化を選ぶことでしょう。暖かく光と炭酸ガスが充分にあれば農作物は豊かに稔ります。生活費も、暖房費が少なくてすみ住みやすくなります。冬野菜も石油を燃やさなくても収穫できるようになることでしょう。また、地球全体から見ても、今まで農作物の栽培が不可能だったシベリヤの平原やカナダの平原が温暖化によって耕作可能地になるかもしれません。北の大地が農作物の生産地に加わることは地球の穀物生産にとって大きなプラスであり、人口爆発による食料不足を回避する道が開けてくることにつながります。

逆に地球の寒冷化が進むと農産物は冷害で不作となり食糧の不足を招きます。いままで快適に住んでいたところも多量の暖房を焚かなければ住めなくなることでしょう。石油が枯渇しようとする中で多量の暖房が必要とされる環境は望ましいものとは思われません。地球の歴史を見ても寒冷期になると南の暖かい地方に向かって人口の大移動が起こります。昔のように地球人口が少なかった時代なら人口の移動が起こっても南の国で受け入れられたことでしょうが、60億人を越える人口が密集している現代の地球には大量の難民移動を受け入れる余地はどこにも残っていないでしょう。さらに石油の埋蔵量が枯渇して、穀物を原料としたバイオ燃料に頼らなければならなくなれば地球上に飢餓人口が満ち溢れることでしょう。寒冷期に向かった地球にいいことはひとつもありません。

 地球上の動物は植物が光合成で作る有機物をもらって生きているのです。そして動物の間では下等動物から高等動物へと食物連鎖で生命をつないでいるのです。だから植物の生育に適した環境は動物にも適した環境であるということが出来ます。では、植物に適した環境とはどんなものか?私の別のコラム「大豆の話」の「T−10、大豆と葉緑素」に書きましたが、それは光と炭酸ガスを充分に植物の葉緑体が利用できる環境なのです。そして、現在の環境は葉緑体にとって決して望ましい環境ではないのです。炭酸ガスの量だけをとってみてみると、葉緑体が充分に働くためにはその量が少なすぎるのです。炭酸ガスが増えたと大騒ぎしていますが、それでも空気中には0.053%しか含まれていないのです。この薄い炭酸ガスを原料にして植物は動物たちが必要としている有機物を合成しているのです。植物学者たちが炭酸ガス濃度を変えたいろいろな環境で植物の栽培実験をしたところ、炭酸ガス濃度が0.06%で最も光合成活動が活発となり、さらに多くの有機物を合成することが分かっています。つまり、植物にとっては現在の炭酸ガス濃度は不足状態なのです。今の倍の炭酸ガスが欲しいと植物は言っているのです。

「温暖化」は地球環境を破壊する、というキャンペーンは的を得ているとは思えません。私は、温暖化こそ地球の食糧不足を救い、暖房の必要も少ないクリーンな環境を作ると考えています。

極端な話として、我が家の農地が温暖化のために稲作が不可能になったとしても、そのときには田んぼにパイナップルか椰子でも植えておけばいいだろう、くらいに楽観視しています。温暖化になって東京の気温が現在の台湾並みになったことを考えるのと、逆に寒冷化して同じ緯度だけ北にずれて現在の樺太の気候になるのと、どちらを選ぶかといえば緑豊かな台湾の気候を選ぶことでしょう。我が家の田んぼが樺太の夏の短い気候に対応することを想像すると、そこでは栽培できる農作物は限られることでしょう。もちろん樺太で稲作を考えることは不可能ですが、台湾では充分に稲作は可能です。というよりも稲作はもともと南方から日本列島に伝えられてきた作物であったのです。稲作だけでなく、私たちが今食べているいろいろな食物は、遥か昔に南方から照葉樹林帯文化の流れに乗って日本列島にもたらされた食べ物であり、わが国で寒さに対応するように品種改良されたものなのです。私は地球の温暖化によって現在の緯度よりもさらに10〜15度ほど南に下がった気候になったとしても人類全体にとってプラスになることが多いのです。逆にその分だけ北に温暖気候がずれ、シベリアの永久凍土が食糧生産地に生まれ変わるかもしれません。

このように温暖化による長所がいくつか見当たるのに、それらが全く話題から削除されてしまって、温暖化イコール地球環境の破壊という図式に塗りこめられてしまう危うさを恐ろしく思っています。しかし、このような温暖化悪者扱いはどこから生まれてきたのだろうか。私などがそのブラックボックスを挙げつることは出来ませんが、以前から食糧、エネルギー、資源に絡む問題には単純な発想では理解できない奥深い裏があることを何度も見てきています。温暖化問題はなにも水没するツバルの島を救済するのが目的の取り組みでも、北極のシロクマを助ける取り組みでもないのです。そこには大国の国家戦略がからんだ駆け引きが大きくうごめいているはずです。10数年経てば歴史の中でそのからくりが見えてくることでしょう。

地球温暖化戦略よりもサブプライムローンから端を発した世界的金融危機が国家戦略として優先されると判断されれば、温暖化対策への熱は冷めてくることになります。最近の新聞によれば温暖化に積極的であったEUの中からドイツ、イタリアなどは少しずつ後ずさりし始めているように感じます。私は地球に住む我々の子孫に少しでも住みやすい地球環境を残してあげたいと思っています。それだけに政治的に加工された環境問題ではなく、本当に地球にとって望ましい環境とはどのようなものか、将来の子供たちにとって望ましい環境とはどんなものか、皆で正面から議論してもらいたいと思っています。

(追伸)
 2009年2月2日の日本経済新聞に『地球の気候、当面「寒冷化」』という見出しの記事が出たのを見た方も多いことと思います。それによると「地球の平均気温の上昇が頭打ちとなり専門家の間で気候は当分寒冷化に向かうとの見方が強まった」とのことである。これについて2人の専門家のコメントがのっており、1人はいずれ温暖化に反転するだろう、と言うものであり、もう一人の専門家は今までの予測の間違いを認め、直ちに公表すべきではないか、というものです。この記事を見ても地球の気温というものは単純なものではない、
ということが理解できます。


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