5月。ほんの2ヶ月前とは うって変わった新緑の季節である。
「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」江戸時代の俳人、山口素堂の詩が思わず口をつくウキウキした気分になる季節である。
この葉緑素は我々の想像を絶する科学技術力を持っており、食用油脂の中に微量でも存在していると簡単に油を酸化して劣化させてしまう。だから大豆油脂メーカーは食用油を精製する工程で、大豆原油の中に活性白土を入れて、これに葉緑素を吸着させて懸命に取り除いている。しかし、万が一、葉緑素が油の中に残っていたときのために消費者に油の保存場所を葉緑素が活動しない冷暗所にするよう商品には注意書きをしているのである。この葉緑素の科学技術力がこんな低レベルでないことは、我々は常識としても知っている。それは、この地球の環境と生物の生命を支えているのが葉緑素だということである。大豆油を製造するかたわら、長年にわたって葉緑素を目のカタキにしてきたので、今回は葉緑素の真の力を整理して罪滅ぼしをしておきたい。
太陽の光を受けて働き出す葉緑素の技術とは光合成というもので、炭酸ガスと水から糖や澱粉を短時間で作り上げるという超高度有機合成化学技術を誇っている。もう少し正確に言うと、光合成は太陽の光りエネルギーを化学エネルギーに変換する過程と、この化学エネルギーを使って二酸化炭素を固定して有機物を合成する過程とから成っています。このように合成された有機物には化学エネルギーが封じ込められているので、光合成が出来ない生物は植物が合成した有機物を摂取し、これが分解されるときに遊離されるエネルギーを使って生きているのです。生物の大多数は呼吸をして生きていますが、呼吸によって有機物は分解されて再び水と二酸化炭素になり、有機物に閉じ込められていたエネルギーを取り出しているのです。つまり光合成は光エネルギーを捕まえる工程であり、呼吸がそのエネルギーを利用する工程なのです。21世紀末になっても人類は到底、葉緑素の技術レベルに到達することは出来ないであろう。地球上の葉緑素が作っている有機物は年間に5千億トンに達すると言われている。この葉緑素が作ってくれた有機物を食べて動物、人、魚、微生物が生きているのである。動物たちは体の中で生命に必要な有機物をなにひとつ作ることが出来ないからである。私たち動物は葉緑素が作ってくれた栄養分をもらわなければ生きていけないのである。このことからも、地球に最初に誕生し、最後まで生き残るのが植物であるか、動物であるかは容易に判断出来よう。動物が食べ物を求めて動き回っているのに、植物が動かずに生きていけるのは、植物の中に葉緑体が寄生してくれているからと言えるであろう。
冒頭の詩にあるような、若葉がなぜ緑色に見えるのか、考えてみたことはありますか。分析機械の発達と共にそのメカニズムが明らかになってきています。私事になるが、私の次男が小学校4年生の夏休みの自由研究で若い葉が赤、青、緑のパラフィン紙を通した光のどれに強く反応するかをまとめた研究があった。この自由研究の結果は高く評価され、地域の小学校の代表作品となり、地区の研究発表展に出品されて我が子も鼻高々であったのを覚えている。(勿論この自由研究の90%は私の作業であったことは先生も感じていたようであったが、、、。)
この自由研究でも葉の葉緑素が赤と青の光に反応しており、緑色にはあまり反応しないことが明らかになっている。若葉が緑色に見えるのは葉緑素が主として赤色のスペクトルを利用して光合成を行い、緑色は反射するか透過するために私たちは葉を通過した光を緑色として見ているのである。
既に大豆根瘤菌の項で、空気中の窒素を利用する働きを持っていることを書いたが、おなじように葉緑素は空気中の炭酸ガスを利用しているのである。どっちの働きが有利なのだろうか。このことを考えるには空気がどんな成分を含んでいるのかを知っておく必要があります。多くの人が意外に思うかもしれませんが、空気中の78.1%は窒素ガスで出来ており、20.9%が酸素である。炭酸ガスは空気中の0.03%に過ぎないのである。この数字から見ると根瘤菌は快適な環境に住んで喜んでおり、葉緑素は過酷な環境に苦しんでいる、ということかも知れません。しかも実験室で植物に炭酸ガスの濃度を増やしてやると、葉の光合成の働きが急速に増加していくことから考えても、植物たちは私たち人間の心配をよそに、空気中の炭酸ガスが増えるのを心ひそかに待ち望んでいるのかもしれません。
私たちの体には多くの微生物が寄生したり、共生して健全な体を維持しています。将来、何らかの技術で私たちの体に葉緑素や根瘤菌を取り込むことが出来るようになれば、酸素の少ない地球以外の環境で生き延びられる新たな人間が生まれるかもしれません。