− 愛宕城址(愛宕神社) −
愛宕城が谷津山の東のはずれにあった。
今は愛宕神社の社があるのみで城は残っていないが雰囲気は感じられる。
[愛宕神社]
谷津山に愛宕神社があり、かつては山城があった。
北街道の「くら寿司」の手前から100mほど入った蔵の脇に登り口がある。
城のあった時には大手口とされていた。
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[愛宕神社]
神社は頂上にあり、階段が続く。
階段は古い石段も多く、所々に石燈籠が立ち、石垣の跡等も見かけることができる。
[愛宕神社]
別当福寿院跡と思われた場所に別荘風の屋敷が建っている。そこを通り過ぎて間もなく社があって、駿州来宮神社と書かれている。
由緒略誌が書かれていて、御祭神「大巳貴命」「五十猛命」「日本武尊」の説明と 神社誌が書かれている。
<御祭神> 大巳貴命 五十猛命 日本武尊
大巳貴命は素盞鳴命の御子で又の名を大国主命に俗にダイコク様と呼ばれて一般に親しまれる御慈悲心深く国造りの神として日本全国至る所に御足跡がある。和を尚び、ニコニコ笑顔を喜び給う福の神様である。
五十猛命は素盞鳴命の御子であって御父と共に朝鮮に渡り彼の地の樹種を持ち帰り日本国土に播種して土地を開発された神様である。
日本武尊は人皇12代景行天皇の皇子で西に東に賊を平定され住民を労り産業を奨励された神様である。御東征の時、静岡周辺の駿河の賊を討たれるのに非常に御苦心され長き月日を費やされた御様子である。
日本平、日本坂その他静岡周辺に尊ゆかりの地名が沢山あるのはこの様な訳である。古来より来宮神社は禁酒の神として一般に信じられ神に禁酒を約束に御神徳無事禁酒が断行出来、身体も頑強に家業も繁栄し家内も円満になった事を神に御礼と共に報告に参拝するこの様な神徳を戴いた方が非常に大勢居られるのである。
<例大祭>
熱海本社の例大祭夏祭は7月14日、15日、16日に行われるが当社は同日が当地方の孟ち盆会に当る為8月15日に祭を執行する。
<神社誌>
当来宮神社は80余年前愛宕山神職丸尾氏によって勧進せられ当腐朽が甚だしいので敬法会が再建したものである。
[愛宕神社]
しばらく登ると石で出来た鳥居があった。
[愛宕神社]
坂の脇に看板がありましたので読んでみます。
「鬼の鐙(あぶみ)」坂道の別名
修験道では一夜にて石の坂道が出現したという
苦行の坂にふさわしい伝承があるのです。
[愛宕神社]
途中に平らな場所があって、作業小屋のような建物がありました。
ここは参集所とのこと。何をする所かは不明。
[愛宕神社]
この急な階段を登ると愛宕神社の本殿がある。
そこは本城でもある。
[愛宕神社]
「愛宕山城構図」が書かれていた。曲輪や土塁や堀などの遺構の所在地が画かれている。
[愛宕神社]
ここが愛宕神社の拝殿と本殿。説明書きを読む。
御祭神 迦具突智命 木花開耶姫命
例祭日 2月24日 夏季大祭 7月24日(千日詣)
由緒
愛宕山は古来より山岳信仰の神体山として庶民の信仰をあつめ、更には徳川家康が駿府城の鬼門除けとして山城国愛宕山権現から馬に乗った将軍地蔵を勧請し、辰年・巳年の守護神として崇敬が篤い。
2月24日の例祭には早朝より花火を打ち上げ、参道手前には露天商が並び登拝者には社務所で甘酒が振舞われ又、福引の楽しみもある。
男子小学生がお供物係を勤め、女子小学生が浦安の舞を奉納する。
祭典は5年目ごとに輪番奉仕するので小学生は皆初めてであり、心の中に一生の思い出として残るであろう。
[愛宕神社]
神社の回りが石組となっている。
城の台座だったのかもしれない。
[愛宕神社]
三の曲輪。
今は広場になっている。
−コメント−
頂上まで10分足らずの散歩コース。
遺構を訪ねて回れば面白いものも見つかるかもしれない。
この城も戦国時代を感じることができた。