長春 (1) |
Changchun / China |
撮影2019/5, 制作: 2019/7, 改訂: 2019/12 |
吉林省の省都、長春を訪問しました。長春は旧満州国の首都で、戦前は新京と呼ばれました。長春には2系統の市電が存在します。長春市電は1941年に満州国の出資で設立された新京交通(株)がルーツで、日本各地から中古車両を集めて開業した歴史があります。戦前の1944年には7系統、全長48kmに及ぶ路線網がありました。解放後は長春市電車公司の管理となり、路線の維持拡大がなされましたが、1980~90年代に至ってその多くがバスに転換されています。 わずかに残った1系統が[54]路です。路面電車の重要性を再認識した当局の英断で、2000年から2002年にかけて軌道の改修工事が実施され、市電の存続が決定しました。2005年には長春市二級文物保護単位に認定されています。市電が歴史遺産になっているのです。 尚、もう1つの路線である[55]路は、2012年に新設された路線です。 |
腾讯地图(Soso-map)の上に、長春市電の路線図を書き込みました。1960年代の最盛期には国鉄の長春駅(右上)と紅旗街(現工農大路)を結ぶ路線などが、旧市街地に張り巡らされていました。旧市街地は軽軌3号線の東側エリアです。従って現在の路線は、ほとんどが戦後に新しく開けた地域を走っています。 |
今回は、[54]路が走る西安大路~工農大路をご紹介します。尚、南陽路から南の区間では、[55]路も合流します。 [54]路の前身は1941年12月に開通した旧[4]線で、紅旗街(洪煕街、現工農大路)から寛平大路の先の撫松路まで走っていました。1950年代になると、第一汽車製造や長春紡績の巨大な工場が旧市街の西側に建設され、その職員を輸送するために国鉄線路(地図では軽軌3号線)を越えて延長されています。西安大路まで延伸されたのは1969年のことで、当時は和平大路という電停名でした。 ↑長春歴史展覧館にある[54]路の古い系統板です。「一站」は第一汽車製造(東風大街)、「汽研」は長春汽車研究所(創業大街)、「長紡」は長春紡績(南陽路)で、施設の名前が並んでいます。 ※第一汽車製造は、要人が乗る国産高級車「紅旗」の生産で知られる国営自動車メーカーです。 |
Xi'an Street [54]路、北の終点・西安大路です。細長い敷地に多数の車両が並んでいます。そのすぐ横には飲食店や商店が軒を並べています。ごちゃごちゃとした感じが、何とも言えない良い雰囲気です。 (2019/5/5) |
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電車は数分間隔で運転されており、終点では順番待ちの長い行列が見られます。折返しの渡り線を使って、1両ずつ方向転換して出ていきます。 車両は瀋陽新陽光機電科技製の900系です。2012年から13年にかけて46両が導入され、ほぼこのタイプで統一されています。アルミ合金製車体で全長は15.8m、IGBT-VVVF制御の高性能車です。中国では十指を超える都市で路面電車が走っていますが、この型の車両は長春だけで見られるオリジナルです。 |
Nongfeng Market 終点の1つ手前、農豊市場です。[54]路が走るルートは、林の中に造られた専用軌道になっています。訪れた時は新緑の季節で、紅白に塗られた車体がひときわ鮮やかに見えました。 |
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Lüyuan 専用軌道は春城大街に沿って、歩道をはさんだ道路の東側に敷設されています。夏には楊樹の林が、歩道に涼しい木陰を作ることでしょう。 緑園にて |
Railway company headquarter 電停は小高いプラットホームになっています。このため車両は低床式でなく、比較的安価な高床式が使われています。床面高さが810mmありますので、車窓からの眺めも良好です。 電車公司にて ※東京都交通局の都電荒川線と同じ方式です。 |
Railway company depot 電車公司の電停横に車庫があります。何本もの線路が分岐して、扉の付いた格納庫風の施設に繋がっています。冬期には最低気温が-20℃を下回るので、その対策と思われます。 |
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Vintage car (Replica) 車庫の中に旧型電車の姿がありました。手前が長春号、奥に見えるのが200形のように見えます。 実はこれらの車両は本物ではなく、瀋陽新陽光機電で2017年に造られたイミテーションです。木材を使った内装は当時の様子を良く再現しており、外観のノスタルジックな塗色も市民から好評でした。しかし細部を観察すると明らかに贋物であることが分かります。 |
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この写真は最新の車両、900系の台車です。この台車と同じものが上掲の車両にも使われています。 |
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"The Changchun" at Historic Museum 場所が変わりますが、関連の写真をご紹介します。 長春歴史展覧館に保存されている長春号です。長春号はいわゆる大躍進時代の1960年に、自力更生の象徴として造られた国産の電車です。製造はこの1両だけで、永らく乗客から親しまれていました。2000年に退役しましたが、市民の要望で2002年に復活、2006年まで使用されました。復活に際して大改造を受けていますので、窓回りなどが新製時とは異なっています。 ※歴史展覧館は、街外れの南部新城公交枢紐の敷地内にあります。 |
Nanyang Lu [54]路に戻ります。 西安大路から続く見事な楊樹の林が、南陽路を越えた先も延々と続きます。欧州の市電に乗って旅をしているような錯覚に陥る美しい光景です。 |
線路脇の楊樹の幹に薬剤が注入されていました。この季節、綿毛の付いた種子が飛散して人体にアレルギー反応を引き起こします。日本の花粉症よりも深刻だそうです。 |
種子の飛散を防ぐために、赤霉酸(ジベレリン)を使います。この薬品は日本人が発見したもので、種なし葡萄の生産に使われています。 |
Kuanpei Bridge 寛平大橋です。近くには第一汽車製造の工場や社宅、それに附属する学校や病院などがあり、多くの人々が市電を利用します。橋の下には軽軌3号線の駅があり、簡単に乗り換えられるので、長春駅など都心部へ出るには大変便利です。 |
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Kuanpei Bridge ~ Kuanpei Street 寛平大橋から南側、寛平大路方面を見ています。都市高速の高架が隣接していますが、少し離れているので開放感があります。 |
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Gongnong Street 終点の工農大路です。ここは旧市街地の一角にある戦前からの繁華街で、市電の最盛期には4つの路線のほかにトロリーバスも発着する大きなターミナルでした。 (2019/5/4) |
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工農大路は[54]路の他に[55]路の終点でもあるため、電車は約1分おきに到着します。ホームでは水や食料を売る人が、リヤカーで出店を開いています。 |
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工農大路の交差点には、万達広場、欧亜商都、亜細亜商城、巴黎春天などのショッピングセンターがあって大変にぎやかです。また近くには満州国の時代に創られた満映の電影廠址(現映画博物館)があり、見学することができます。 時間が経つのも忘れて撮影を続け、あたりが少し暗くなってきました。冒頭の写真は、ここで撮影した夜景です。 |
Night scene on Hongqi jie 巴黎春天百貨店の地下食堂で夕食を済ませた後、紅旗街を走る電車をズーミングで撮影しました。 素晴らしい景色と素敵な電車が創る世界を、心ゆくまで堪能することができました。 ←↓工農大路~電影廠にて |
References: See next article. 参考文献は、次作「長春 (2)」にまとめて書きます。 |