1987年, 旧型連接バスの時代 |
上海/ 中国 |
撮影: 1987/11, 制作: 2014/11, 改訂: 2019/12 |
1987年に日本某協会主催の洋上研修に参加する機会があり、横浜から船に乗って上海を訪問しました。日中国交回復からすでに15年が経過していましたが、訪中する日本人は少なく、大歓迎を受けました。忙しい日程の中でわずかに自由時間があり、街中でトロリーバスを見ることができました。戦前のおもかげを残す古い町並みを走る連接式のトロリーバスをご覧下さい。 |
Shanghai trolleybus in 1987, People's Square 1987年に撮影した南京西路、人民広場(人民公園)です。手前の連接トロリーバスは[20]路、奥は[27]路で、南京東路の方向から西へ直進して来る様子が分かります。 左にある黒い建物は国際飯店、中央のYMCAビルと右奥の時計台がある金門大酒店など、背景は現在もそのままの姿を留めています。 |
(参考) 26年後の2013年12月に、同じ場所で撮影した写真です。時計台の建物の横に新しいビルが建っています。 車両はモダンな形になりましたが、系統は当時と同じ[20]路です。起点の外灘から九江路を走ってきて、この場所で南京西路に合流します。 |
[27]路は楊浦地区の齐齐 哈尔(チチハル)路から、外灘の外白渡橋を越えて静安寺まで走っていましたが、現在は廃止されています。 同じく人民広場にて撮影しました。 |
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同上、[27]路のトロリーバスを真横から撮影しました。超満員のすし詰め状態です。上海の人口は1,000万人をはるかに越えていましたが、交通機関はトロリーを含むバスのみでした。 車両は上海客車廠製のSK561GFです。 |
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Xizang Zhonglu /Nanjing Xilu ここは西藏中路と南京東路の交差点です。「榮華楼」と書かれた建物が南東角にあり、バスが西藏中路を北(左)へ走っています。手前はディーゼルバス、奥がトロリーバスで、いずれも連接式です。 現在、榮華楼や歩道橋はなくなり、様変わりしています。 |
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同じ場所で、東を向いています。ここから先が南京東路で、外灘に向かって[20]路のトロリーが走って行きます。 左の建物は上海第一百貨店で、現在もこの建物で営業しています。 |
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南京東路を少し東へ行ったところです。右は1926年創業の上海第一食品商店、中央のレトロな建物が星程上服假日酒店、いずれも現存しています。 南京東路は1999年に終日歩行者天国になり、トロリーバス[20]路は1筋南の九広路を通るようになりました。 |
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こちらは交差点から南へ行った西藏中路、画面奥が北になります。上海第一百貨店の建物を背景に、[18]路のトロリーバスがすれ違っています。[18]路は現在も同じ経路を走っていますが、ディーゼル化されています。 |
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帰りのバスの車窓から見た[65]路の連接バス。場所は外白渡橋を渡った北側にある浦江飯店の前です。この建物もバスの系統も現存しています。 よく見るとバスのバンパーが破損していて、運転手が後方にいます。タクシーが不自然な形で停まっていますので、どうやら事故直後と思われます。 手前にあるのは、信号を制御するための司令塔です。 |
「上海市区交通図」(部分) 1985年, 上海市新華書店発行 青字がトロリーバス、赤字がディーゼルバスの系統番号です。歩行者天国になる前の南京東路を[20]路, [27]路 が走っていました。外灘にある[20]路の終点ループは現在と変わりません。地図左端の折り目の所に「国际(国際 )飯店」、人民公園の東北角に「市一百店」の文字がそれぞれ記されています。 また、外白渡橋(地図では白渡桥)を越えて、[22], [27], [28]路,の各系統が南北に走っていたことも読み取れま す。また、[25]路が蘇州河を越えて[14]路と同じ道を、市街中心部へ乗り入れていたことも分かります。 |