(1) 小型電車の走る街, 1969年 |
撮影: 1969/4/3, 制作: 2018/2 |
名古屋、京都の各シリーズに続きまして、岡山の路面電車をご紹介します。第1回目は、今からはるか半世紀前の1969年に撮影した小型電車の世界です。 「市電のある風景」というシリーズ名を付けていますが、岡山の場合は岡山電気軌道という民間会社が経営しています。「市電」という言葉は「市営の電車」を意味するのではなく、広く「市内電車」あるいは「市街電車」を表しているとお考え下さい。尚、現地では「市電」とは呼ばれていません。愛称としての「おかでん」も余り使われず、単に「電車」と言うのが一般的です。 |
Google Mapsの上に、最初に訪問した1969年時点の路線図を書き込みました。前年の1968年5月に、上之町から北に延びる番町線が廃止されていました。以後、現在に至るまで路線の変化はありません。3.1kmの東山本線と1.6kmの清輝橋線、合計総延長4.7kmの小さな規模です。 尚、地図には1969年当時の電停名を書き込んでありますので、現在の名前とは異なる場所があります。 岡山電気軌道の開業は1912(明治45)年5月、岡山駅前~上之町(現城下)及び番町線の一部です。同年6月に西大寺町まで延長されました。東山本線が旭川を越えて東山まで全通したのは1923(大正12)年7月のことです。 清輝橋線の開業は1928(昭和3)年3月ですが、清輝橋まで延びたのは驚くことに戦後間もない1946(昭和21)年9月です。 |
Okayama Station 朝の岡山駅前です。九州旅行の帰路、夜行列車を降りて訪問しました。山陽新幹線が工事中で、高架線と駅舎が半分だけ姿を現しています。 背景は変貌しましたが、レールがたすき掛けにクロスする線路配置は、今もまったく変わっていません。 左の1002号は元秋田市電です。岡山初のボギー車で、この車両が1966年に入線するまで、岡山の電車は全て2軸の小型電車でした。 (1969/4/3) |
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駅前の一等地には、独特の壁面を持った9階建ての岡山会館ビルがありました。1961年の竣工ですが、2007年にビックカメラが入居して改装、外観が変わりました。冒頭の写真にもこのビルが写っています。 車両は2501号、元呉市交通局の702号です。岡山電気軌道は明治の開業時に呉市へ職員を派遣して、運転技術等を習得しました。その呉市は1967年に路面電車を廃止しており、5両の電車が岡山へ移っています。 |
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岡山駅前に到着した302号です。旧木造電車の2軸台車を使い、その上に半鋼製の車体を載せた車両です。 この300型は自社工場製で、1950年~51年にかけて5両が造られました。そのうちの301~303は、写真のように 妻面に丸みが無く、ほとんど垂直な形状が特徴でした。 |
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Yanagawa 柳川交差点を清輝橋行き電車が右折していきます。早朝なので、クルマが全く走ってません。右奥の住友銀行は、現在天を突くような高層ビルに変貌しています。 車両は2002号、これも元呉市電の802号です。前面の窓が左右非対称の形をしています。 余談ですが、右の両備バスは渋川行きの各停便で、日野RB10のシャーシに川崎航空機の車体を架装した変わりものです。古そうに見えますが1967年式ですから、ほとんど新車です。 |
Shin-Saidaiji St. 清輝橋線の新西大寺町筋で、2軸単車の101号を流し撮りしました。連写機能のない時代ですから一発勝負で、右側が少し ブレていますが、かえってスピード感が出ているも知れません。赤帯に英語で "ONE MAN CAR" と書かれています。もう とっくに帰国したはずなのに、進駐軍の兵隊さんが乗っているような雰囲気がありました。 |
Seikibashi 終点の清輝橋です。 清輝橋線は1920年に免許を取得していますが、永らく建設がされませんでした。開業したのは、1928年に開かれた大日本勧業博覧会の輸送に供するためです。免許には清輝橋から南の岡南地区や、柳川から北へ延びる路線も含まれていましたが、残念ながら実現せずに失効しています。 |
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Uchisange 東山本線の上之町~内山下(うちさんげ)、現在は名称変更されて城下~県庁通り、を走る104号です。 線路を横切って2台のバスが走っている道路を左へ行くと岡山県庁があり、右へ入ると天満屋のバスターミナルです。 左の3階建てビルは中国銀行本店、現在は12階建てになっています。 ※中国の銀行ではありません。日本の銀行、ちゅうぎんです。 |
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Saidaiji-cho 西大寺町の交差点で停車中の106号です。 ここは宇喜多氏が城下町をつくるために、西大寺(現岡山市東区)の商人を呼び寄せてつくった町で、山陽道の街道筋に当たります。 ※1970年に町名は無くなりましたが、電停名はそのまま使われています。 |
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Saidaiji-cho ~ Kobashi 旭川に架かる京橋を渡る110号です。 100型電車は、1928年に開業した清輝橋線用車両として、同年に日本車輌で12両が製造されました。小型の2軸車ですが、運転台が室内に設けられて、乗降扉の付いた、当時としては斬新な車両です。 戦後になって木造から半鋼製に改造され、さらに3両は、ワンマン化されました。 |
京橋を渡る105号です。当時から京橋の上はセンターポールになっていました。 |
旭川には2つの中洲があり、西から順に京橋、中橋、小橋と3つの橋が架けられています。これは小橋を渡る2601号。元呉市電608号の車体と、同じく元呉市電701号の台車を組み合わせて製作しました。 |
Chunagon 中納言電停の角を曲がる107号です。後方は、きびだんごの廣榮堂本店ですが、早朝なので開店前でした。 電停名は、岡山藩主中納言小早川秀秋に因んで付けられたそうですが、諸説があります。 |
Higashiyama ←↑ 終点の東山で、100型と300型の競演を見ることが出来ました。2軸の単車が次から次へとやってきます。小生が生まれた頃の世界が、保存されているような街でした。わずかな滞在でしたが、至福のひとときを過ごすことができました。 |
References: 楢原雄一 編著「岡山の路面電車」日本文教出版 岡山文庫202, 1999年11月 江本広一 「岡山電気軌道」鉄道ピクトリアル 私鉄車両巡り第3分冊, 1962年8月 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E9%80%9A%E5%B2%A 1%E5%B1%B1%E3%83%93%E3%83%AB http://www.okayamania.com/chimei/bizen/chunagon.htm https://rail-history.org/r/21418.html |