市電のある風景・京 都

 (15) 九条線
日本国旗
 
撮影: 1969~1978, 制作/更新: 2017/12

京都旧市街の一番南、九条通の市電をご紹介します。ここは平安京が造営されたときの九条大路に当たるところで、東寺の五重塔のすぐ脇を市電が走っていました。九条線は外郭線の一部として、京都市電最後の日となる1978年9月末日まで営業を続けました。

京都市電九条線九条大宮
Kyoto City Tram at Kujo-Omiya,  Jul-1978.

京都市電九条線路線図
1933(昭和8)年に九条車庫が完成し、伏見線の車両を収容しました。このため、大石橋~九条車庫前が最初の開通区間となりました。1937年にはその区間を含む東福寺~九条油小路(現九条近鉄前)、及び九条大宮~西大路九条が開通しています。残る九条大宮~九条油小路には奈良電(現近鉄京都線)が交差しており、高架化工事の完成を待って1939(昭和14)年に全通しました。
尚、九条新千本は1969(昭和44)年に、九条七本松と羅城門町を統合して出来た電停です。

京都市電九条線東福寺   Tofukuji

九条通の東端、東大路へ続く曲がり角にあるのが東福寺の電停です。
後方に京都日赤第一病院の円形病棟があり、その後ろに東山の山並みが広がっています。

※病棟は1997~2000年にかけて建て替えられました。

(1978/7/15)
京都市電九条線東福寺   上掲と同じ場所で市電をアップしてみました。
安全地帯からあふれる乗客が、乗り込んでいきます。


京都市電九条線東福寺   Tofukuji~Kujo-Kawaramachi

東福寺~九条河原町は、九条跨線橋と呼ばれる長さ700mほどの高架道路を走ります。京都の市街地や西山の峰々が望める見晴らしの良い場所です。
跨線橋という名前ですが、伏見街道、京阪本線、国鉄奈良線、琵琶湖疏水、師団街道、鴨川、高瀬川を連続して渡っていきます。

(1977/1/5)

右に八条口の新都ホテルと、堀川のグランドホテル(現リーガロイヤルH)、その奥に愛宕山が見えます。↓
京都市電九条線東福寺

京都市電九条線東福寺   上掲と同じ場所で東側を見ています。夕方には病院を背景に順光になります。魅力的な場所でしたので、何度か訪問しました。
四条線があった時代なので、四条大宮~祇園を経由する循環系統の[7]番が写っています。

(1969/10/10)
京都市電九条線東福寺   上掲から少し西側へ行った場所です。九条跨線橋が延々と続いていて、波打ったような起伏がありました。
少々小さいのが残念ですが、当時健在だった1000形の1025号が写っています。
 
京都市電九条線九条河原町   Kujo-Kawaramachi

九条河原町交差点の西側です。写真の歩道橋は現在も同じ場所にあり、そのまま使われています。
系統番号[8]番は、西大路~七条を経由する循環線です。
京都市電九条線九条車庫前   Kujo Yard

九条車庫前です。左に車庫へ続く引き込み線が見えます。

(1977/1/16)










以下の4枚は九条車庫の中で撮影しました。↓
京都市電九条線九条車庫   京都市電九条線九条車庫
京都市電九条線九条車庫    京都市電九条線九条車庫 
京都市電九条線九条大宮   Kujo-Omiya 

九条大宮の電停です。
左のバスは、市電四条線の廃止時に設定された代替系統の[207]番です。旧市電[7]番のルートを走ります。
「カマボコ」の愛称で親しまれた西日本車体工業(西工)製のバスが、なつかしく思い出されます。
※残念ながら西工は、2011年に会社解散となりました。


(1978/7/7)
京都市電九条線九条大宮   上掲と同じ、九条大宮です。
積極的に人物を取り入れてみました。鉄道写真の面白さは、地理的な旅はもちろんのこと、時間的な旅も楽しむことができることです。特に人物が入ると、楽しさが倍増します。当時の高校生も今や50代後半のはずです。
 
京都市電九条線九条大宮   九条大宮の北西角に、高さ54.8mを誇る日本一の五重塔が聳えています。 弘法大師・空海が創建に着手しましたが、完成したのは没後の9世紀末と伝えられています。幾たびか火災に遭い、現在の塔は1644(寛永21)年に再建されたものです。
五重塔は背が高く、市電とセットで撮れる場所が限られています。色々と試してみた結果、この角度がベストポジションでした。
京都市電九条線九条大宮   九条大宮の西側電停です。
背景には東寺境内の森が写っていますが、現在よりずっと木々の茂る密度が高かったように思われます。

 
京都市電九条線九条大宮   九条大宮から京阪国道口にかけて、東寺の土塀と堀が続いています。
この堀は平安京の時代から存在していたことが、学術調査で明らかになっています。平安京の九条大路は幅9丈6尺(約29m)と言われていますので、現在とほぼ同じ規模だったようです。しかし実際には長い間荒廃していて、拡幅整備して市電を通しています。

 
京都市電九条線西大路九条   Keihan Kokudo-guchi

京阪国道口の電停です。
歩道橋から2つの階段があって、対面式の電停に通じていました。

写真では一直線に見えますが、ここから西側の九条通は、平安京の九条大路からはずれて、わずかに南へ下がっています。(冒頭地図参照)
 
  九条線の西端、西大路九条の交差点を右折する[8]系統です。背景が九条通で、電車の進行方向左に西大路九条の電停があります。


(1975/4/19)
 
References:
京都市交通局「さよなら京都市電」毎日写真ニューサービス, 1978.9.30
鉄道ピクトリアル増刊356「京都市電訣別号」1978.12.10
http://www.kyoto1-jrc.org/
http://www.mutsunohana.net/miyako/oji-koji/

http://www.toji.or.jp/gojunotou.shtml
筆者著「思い出の西工車体」, バスグラフィック VOL.8, ネコ・パブリッシング, 2010.9.30


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