市電のある風景・京 都

 (16) 西大路線
日本国旗
 
撮影: 1975~1978, 制作: 2018/1

京都市電のシリーズ、最終回は西大路線です。
良く知られているように、桓武帝が開いた平安京の位置は、現在より少し西側にありました。御所があった朱雀大路は現在の千本通ですので、西大路は市街地のはずれではなく、街の中心に近い場所だったはずです。しかし近年の研究によると、平安京の建設は資金不足で左京のみに街が造られ、西側の右京はほとんど農地や桂川が氾濫する荒地だったそうです。
何百年も経った昭和の時代になって、大規模な都市計画が実行に移され、畑の真ん中に見事なほどまっすぐな市電道路が造られました。これが西大路線です。

京都市電西大路線西大路八条
Kyoto City Tram at Nishioji-hachijo,  Jul-1978.

京都市電西大路線路線図
  京都市電西大路線千本北大路

京都市電西大路線千本北大路
Sembon-Kitaoji

北大路通の中でひときわ高い丘の上が千本北大路です。ここが、西大路線の起点になっていました。

(1976/8/4)

西大路線は昭和になってから建設された新しい路線です。最初の開業は1928(昭和3)年11月の円町~西大路四条で、丸太町線の延長という位置づけでした。その後1935~39年にかけて、7つの区間に分けて順次開業して行きました。最後は戦時中の1943(昭和18)年10月、円町~白梅町が完工して全通しています。
1978年9月末日をもって最後まで残った西大路線などが廃止され、83年に及ぶ京都市電の歴史が幕を閉じました。賢明な為政者が居て市電を残しておけば、世界遺産に登録されていたかも知れません。失った社会資本の大きさが惜しまれます。

京都市電西大路線金閣寺前
Kinkakuji Temple
北大路通の西の端を曲がって西大路通へ入る[4]系統です。このあたりには、大きな2階建ての家屋がたくさんありました。
[4]系統はかつて京都駅前を出発し、烏丸通~北大路~西大路~七条通を経由して京都駅前に戻る循環線でしたが、烏丸線の廃止後はループの左半分、西大路を経由する烏丸車庫前発の京都駅前行きになっていました。

京都市電西大路線金閣寺前   京都市電西大路線金閣寺前
同上地点、「金閣寺前」の電停です。バス停名は「市電金閣寺前」と言いました。金閣寺の門前にある「金閣寺前」のバス停と区別するためです。※市電廃止後は「金閣寺道」になっています。
←お揃いのワンピースと帽子でおめかしした姉妹が、市電に乗ってお出かけです。腕にはカメラがぶら下がっていて、どこか裕福な家のお嬢ちゃんのようです。

京都市電西大路線わら天神前   Wara Tenjin Shrine

わら天神は安産の神様で、お守りにいただく藁(わら)に節があれば男の子、無ければ女の子が授かると信じられています。

西大路線は、ここからほぼ真っ直ぐに南下していきます。
京都市電西大路線西大路四条   京都市電西大路線西大路四条
Nishioji-Shijo

西大路四条で、早朝運転の急行電車を撮影しました。
(1978/7/15)
京都市電西大路線西大路四条  
西大路四条は、阪急電車に乗り換えて大阪方面に向かうことが出来る便利な場所です。市電の系統も、[2], [4], [5], [12], [22]の5本が集まっていました。
[12]番は西大路四条を起終点として、今出川、丸太町両線をループ走行していました。写真は丁度折り返すところです。


(1975/9/28)

京都市電西大路線西大路四条~西大路松原   Nishioji-Shijo ~
 Nishioji-Matsubara

上掲の少し南、松原寄りで北を向いて撮影しています。交通の便が良い場所なので、古くからマンションが建てられています。
[2]番は、京都駅前から河原町通~銀閣寺道~丸太町通~円町を経由して西大路九条に到る不思議な系統でした。

京都市電西大路線西大路五条   Nishioji-Gojo

西大路五条の交差点を渡るところです。五条通は戦時下の強制疎開によって拡幅された歴史がありますが、西大路付近は狭いままで、拡幅が完了したのはつい最近の2014 年のことです。

京都市電西大路線西大路五条   五条西大路を少し南へ下がったところです。低い家並みが続く中、京都信用金庫西大路支店のパーキングタワーが目立ちました。
※タワーは2007年に解体されています。

 
京都市電西大路線西大路花屋町   Nishioji-Hanayacho

西大路花屋町の電停です。交差点の東北角にマツダの販売店があり、当時流行のロータリールーチェの広告が目を引きました。屋上にカペラの文字も見えます。
※現在、この細長い社屋はショッピングセンター「ライフセントラルスクエア」になっています。

京都市電西大路線西大路花屋町   同じく西大路花屋町の南側です。
背景は、2001年に経営破綻した第一紙行の旧社屋です。
※会社は民事再生法の適用により、別の場所で再建されました。この建物は建て替えられて高層マンションになっています。

 
京都市電西大路線西大路八条   Nishioji-Hachijo

西大路八条の電停です。後方に見える木立が平清盛の別邸「西八条殿」の跡地に建立された、若一(にゃくいち)神社で、開運出世の御利益があるそうです。

(1975/4/19)

 
京都市電西大路線西大路八条   上掲と同じ場所です。真っ直ぐに造られた西大路通りが、ここだけわずかに曲がっています。昭和初期にこの道路を造る時に、若一神社の大きな楠を切ろうとした関係者が事故や災いにあったので、道路を曲げて開通させたとのことです。
冒頭の写真が分かりやすいので、もう一度ご覧下さい。

京都市電西大路線西大路八条   こちらは若一神社側から撮影しました。神社の敷地が道路にせり出していて、バス停が造られています。
手前のバスはなつかしいカマボコ形車体、西日本車体工業製です。


(1978/7/2)

 
京都市電西大路線西大路九条
京都市電西大路線西大路駅前
Nishioji Station
↑西大路駅前の歩道橋は現在地よりも南にあって、電停を兼ねていました。
駅のホームは橋の上に造られていて、その上を新幹線が通っています。

Nishioji-Kujo
←西大路九条の電停から、西大路駅前方向を望んでいます。  (1975/4/19)

京都市電西大路線西大路七条架線修理車  
最後の一枚は、西大路七条で撮影した架線修理車です。  (1977/9/25)


16回に渡って、市電が元気に走っていた頃のなつかしい京都の街の風景をお届けしました。
最後までご覧下さり、誠にありがとうございました。永らくのご乗車、お疲れ様でした。

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References:
京都市交通局「さよなら京都市電」毎日写真ニューサービス, 1978.9.30
鉄道ピクトリアル増刊356「京都市電訣別号」1978.12.10
http://www.kkr.mlit.go.jp/kyoto/contents/pdf/26-0926.pdf

http://www.mutsunohana.net/miyako/oji-koji/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%BF%A1%
E7%94%A8%E9%87%91%E5%BA%AB

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%B4%99%E8%A1%8C
https://www.travel.co.jp/guide/article/3524/



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