市電のある風景・京 都

 (9) 白川線
日本国旗
 
撮影: 1975~1976, 制作: 2017/8 

丸太町線と今出川線を結んでいたのが白川線です。この3線は互いに繋がりをもって、運営されていました。沿線にあった錦林車庫の写真と併せて、ご紹介します。

Kyoto City Tram at Kinrin Yard,  Mar-1976.


白川線(銀閣寺道~天王町)の開通は、意外と新しく、戦後しばらく経った1954年3月です。その翌年、1955年
1月に錦林車庫が開設されました。丸太町、今出川、白川の3線は1976年3月末日限りで廃止されました。


  Tenno-cho

天王町の角を曲がった地点で、北側を望んでいます。ここから白川通は、なだらかな登り坂になっています。
左に、軌道敷内通行可の標識が見えます。1965年に制定された悪条例です。



(1975/7/19)

  Shinnyodo Michi

白川線で唯一の歩道橋がある真如堂道の電停です。
名前の由来となった真如堂は、左手の小高い丘の上にあります。観光客にはあまり知られてませんが、紅葉の美しいところです。

  上掲の北側、錦林車庫の手前です。交通量の少ない、落ち着いた風景が続いています。 

  Kinrin Yard

錦林車庫前です。丸太町線と今出川線の始発点になっています。
手前の[2]系統は南へ進み、丸太町線を経由して円町から西大路九条へ向かいます。
左の北へ向かう[2]系統は、今出川線から河原町線を経由する京都駅行きです。

  [2]系統の車両は京都駅~西大路九条を通しで運用されるので、そのまま乗り続けることができます。ドアが開いているので、これから乗務員が交代するところです。
手前が車庫につながる引き込み線で、北側から出入りする複線になっていました。

それでは、車庫の中を訪問してみましょう。
  錦林車庫の中です。白川通に沿った細長い敷地に、14本の線路が並んでいました。

※白川線廃止後、錦林車庫は市バスの車庫として使われています。


(1976/3/13)
 
  好天に恵まれ、珍しくカラーフィルムを使いました。撮影から40年以上も経っていますが、米コダック社のエクタクロームは経年変化せず、当時の色をあざやかに記録しています。
 
  車庫の南の端に、車両を移動させるトラバーサがありました。 手前にそのレールが写っています。


 
 
     

車庫の入口に近い管理棟の前です。出庫を待つ車両が順番に待機しています。突き当たりが白川通です。
 
Kinrin Yard ~ Jodoji

車庫から外へ出て、白川通を北へ向かいます。浄土寺電停との間に白川が流れています。
右へ入ると、西田幾多郎先生が歩いた有名な散策路「哲学の道」に到ります。

(1975/7/19)

  Jodoji

浄土寺の電停です。浄土寺という名前の寺院は現存しませんが、地名として残っています。

  Ginkakuji Michi

銀閣寺道の角を左へ曲がって、今出川通へ出るところです。
足利義政が建立した慈照寺(銀閣)は、正面の狭い道を進んだ奥にあります。
左方向、白川通をさらに直進すると、北白川から修学院に到る閑静な住宅地が続きます。
 

References:
京都市交通局「さよなら京都市電」毎日写真ニューサービス, 1978.9.30
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82
%E9%9B%BB%E7%99%BD%E5%B7%9D%E7%B7%9A


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