市電のある風景・京 都

 (8) 今出川線
日本国旗
 
撮影: 1975~1976, 制作: 2017/8 

京都御所の北を東西に走っていた今出川線をご紹介します。北白川の銀閣寺道から西大路の白梅町に到る路線です。前作の丸太町線とともに、1976年3月末日限りで廃止されました。

京都市電今出川線河原町今出川
Kyoto City Tram at Kawaramachi-Imadegawa,  Mar-1976.


1907(明治40)年に策定された京都市街地の改造計画によって、烏丸通や丸太町通など京都の主要な道路が拡幅
されて市電が走るようになりました。前作でご紹介した丸太町線の建設に続いて、1912(大正元)年に千本今出
川~烏丸今出川の区間が開業しています。その後は部分的な開業が続き、東側が全通したのは加茂大橋が竣工
した1931(昭和6)年です。また、西側の全通は意外と新しく、戦後の1958(昭和33)年です。

京都市電今出川線銀閣寺道   Ginkakuji Michi

銀閣寺道を出発して、今出川通を西へ向かう[2]系統です。この系統は河原町通を南下して京都駅へ向かいます。
背景に北白川の山々が見えます。


(1975/7/19)

京都市電今出川線北白川   Kitashirakawa

北白川の電停付近はなだらかな坂道で、ゆるいカーブになっていました。この角度から、五山の送り火で知られる大文字山を望むことが出来ます。


京都市電今出川線農学部前
Kyoto Univ. Agriculture Faculty
  京都市電今出川線百万遍
農学部前~百万遍です。京大の校舎が並んでいます。 
京都市電今出川線百万遍  
Hyakuman-ben

東大路との交差点は、百万遍と言います。北東角にある知恩寺の別称が、電停名になりました。念仏を百万遍唱える法要で知られています。
写真は南東角の京大本部があるキャンパスで、この時代でも学生運動の立て看板が見られました。

京都市電今出川線関田町   Sekidencho

百万遍の西、関田町です。このあたりには京大の学生さんが多数住んでいました。
左は京大が保有する迎賓館、清風荘の庭園です。国指定の文化財ですが、残念ながら非公開です。


(1976/3/13)

京都市電今出川線加茂大橋   Kamo Ohashi

鴨川を渡る東行きの電車を、加茂大橋の東詰から見ています。背景は河原町今出川交差点方面で、北側に建つ銀行が見えます。
加茂大橋より北側の鴨川を一般に「賀茂川」と表記しますが、電停名は通称の「加茂大橋」です。

(1976/3/12)

 
京都市電今出川線加茂大橋   同じく鴨川を渡る[22]系統です。平日の朝7~9時の間には、急行電車が設定されていました。両端を含めて18 箇所ある電停のうち、11箇所のみ停車します。
京都市電今出川線河原町今出川Kawaramachi-Imadegawa 
河原町今出川の交差点です。冒頭の写真も、ここで撮影しました。

  京都市電今出川線河原町今出川撮影時の[22]番は、九条車庫~九条通~西大路~今出川通~東大路~九条車庫の循環系統でした。今出川線の廃止後は、北大路を回る外郭線の循環になっています。
 
京都市電今出川線河原町今出川  
同上地点を西側から見ています。
京都駅行きの[2]系統が今出川通から河原町線へ左折していきます。
電車の信号とポイントを操作する信号塔が左に見えます。既に自動化されていたので使われてませんが、街角に残っていました。


(1976/3/20)

京都市電今出川線同志社前   Doshisha University

同志社前です。奥が大学の構内で、右に京都御所の今出川御門が写っています。
京都市電今出川線同志社前   同上地点です。
右に見えるバスは、[201]番の「みぶ入庫」系統です。四条線、千本線の廃止に伴ってバス化されました。いすゞのBU06Dという都市型低床バスです。
京都市電今出川線同志社前   この日は春分の日で、電車が日の丸を付けています。同時に、同志社大学の卒業式の日でした。門の前に、着飾った人々の姿がありました。
京都市電今出川線今出川大宮   Imadegawa- Omiya

今出川大宮にあった煉瓦造りの西陣織会館です。1914(大正3)年に建てられた、日本モダニズム建築の先駆的作品と言われています。
1979年に、会館は堀川今出川へ移転しましたが、建物は京都市考古資料館として今も使われています。

(1976/3/3)

 
京都市電今出川線今出川大宮   今出川大宮の電停です。ここは京都の繁栄を支えた商工業の街、西陣の中心地で、石造りの立派な銀行が多数ありました。
背景は三菱銀行と滋賀相互銀行です。残念ながら、いずれも現存しません。

 
京都市電今出川線今出川大宮   同じく上掲から振り向いて、西側を見ています。東海銀行、富士銀行、西陣信金といった店舗が並んでいました。

※現在、これらの店舗はまったく存在せず、跡地にマンションが建っています。栄枯盛衰、浦島太郎の世界です。

 
京都市電今出川線今出川常福寺   Imadegawa-Jofukuji

今出川浄福寺の電停です。この付近は今出川線で最初に開通した区間です。道路を拡幅して市電を敷設していますが、西陣の繁華街だった関係で、拡幅には限界があったようです。左端に安全地帯が写ってますが、人1人がやっと立てるほどの幅しかありません。
 
京都市電今出川線上七軒   Kamishichiken

千本通の西側は、道幅が少し広くなります。
上七軒は祇園と並ぶ花街です。規模は小さいのですが、西陣の旦那衆に支えられて発展してきました。歌舞練場では「北野をどり」が毎年春に開催されます。
近くには学問の神様、菅原道真を祀る北野天満宮があります。

 
 京都市電今出川線上七軒
京都市電今出川線北野紙屋川町  
Kitano-Kamiyagawacho

北野紙屋川町の電停までやってきました。 東側を望んでいますので、正面のはるか奥に比叡山が見えます。
ここから次の白梅町までの区間は、京都市電で最後に開通した場所です。

※京福電鉄の北野線が今出川通を走っていて、京都市に免許を譲渡する形になりました。

 

References:
京都市交通局「さよなら京都市電」毎日写真ニューサービス, 1978.9.30
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%
E9%9B%BB%E4%BB%8A%E5%87%BA%E5%B7%9D%E7%B7%9A


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