(6) 烏丸線 |
撮影: 1968~1973, 制作: 2017/5 |
京都駅前からまっすぐに北へ延びる烏丸通にも、かつて市電が走っていました。京都駅、東本願寺、四条烏丸、御所、大学など、市内観光と通勤通学で大勢の利用客がありました。市電烏丸線は1974年3月31日限りで廃止になり、すぐに地下鉄の建設が始まりました。地下鉄の開業は7年後の1981年5月で、埋蔵文化財の発掘調査に時間が掛かったようです。 |
市電烏丸線の開業は1912(明治45)年6月で、京都市営として初めて建設した路線です。当初の区間は京都駅前~烏丸丸太町で、烏丸車庫前まで全通したのは1923(大正12)
年です。 Kyoto Station 京都駅前です。西側の中央郵便局前から、突き当たりに見えるステーションホテルの手前まで一直線に線路が続いていて、その間に各方面別の乗り場がありました。 (1972/7/15) |
烏丸線乗り場の西側を見ています。背景には(右)関電ビルと(左)中央郵便局の庁舎が、それぞれ写っています。これらの建物は現在もそのまま残っていますので、写真から当時の市電のホームの場所を確認することができます。 2000形と2600形は連結運転が可能なワンマンカーです。連結器が付いていましたが、1971年に撤去されています。 ←(1968/3/15) 連結器あり ← ←(1972/7/15) |
左の[4]系統は西大路を経由する右回り、右の[6]系統は東大路を経由する左回りです。いずれも烏丸車庫から烏丸通を南下して京都駅へ戻ってきます。 左の乗り場表示から、千本・大宮線の文字が消えていました。 |
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京都駅前から烏丸線の市電が出て行くところです。左が京都タワービル、その奥に懐かしい丸物デパートが見えます。 ※丸物デパートは1977年に京都近鉄百貨店となりましたが、2007年に閉店、解体。跡地には2010年にヨドバシカメラが開業しています。 (1968/10/19) |
Nanajo Karasuma 七条烏丸交差点から見た東本願寺です。このあたりには、数珠屋、法衣屋など寺院関連の商店が多く、さらに修学旅行生向けの旅館が軒を並べています。参拝客の安全のために、市電の線路が門前で大きく迂回して敷設されていました。 ※交差点名は「しちじょうからすま」ですが、電停名は「ななじょうからすま」とアナウンスされていました。(1974/1/20) |
Karasuma Gojo 烏丸五条です。平屋の家並みの後ろで、ビルの建設が始まっていました。現在このあたりは高層化されて、すっかり街の様相が変わっています。 系統番号[5]は、河原町線~千本線を走っていましたが、千本線の廃止に伴って河原町線~烏丸線へルート変更になりました。 ※[5]が烏丸線を走ったのはわずか2年間です。烏丸線の廃止後は、河原町線~北大路~西大路四条に変更されています。 |
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Karasuma Gojo ~ Karasuma Takatsuji 烏丸五条の北側には、生命保険や金融機関のビルが建ち並んでいました。 また、万寿寺通の角に北阪商店のレトロなビルがありましたが、残念ながら建て替えられています。 |
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Shijo Karasuma 四条烏丸の南側です。この付近は京都のビジネスの中心街です。 |
こちらは四条烏丸の北側です。冒頭の写真もここで撮影しました。 (1973/7/8) |
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Karasuma Sanjo 烏丸三条の北側に、幾つもの連続アーチの装飾が美しい京都電電ビル西館がありました。1926(大正15)年に竣工した旧京都中央電話局です。 ※この建物は1983年に京都市の有形登録文化財第1号に指定されました。 2001年からは複合商業施設「新風館」に衣替えして使われていましたが、2016年から改装のため閉鎖中です。 |
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手前が近代的なスタイルのツーマンカー、700形です。4枚折戸が異彩を放っていました。 奥は900形をワンマン改造した1900形です。 |
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2600形です。600形をワンマン改造した車両ですが、全長を約1m延伸する大がかりな工事が行われています。左右非対称で右側部分の側板が前方まで切り込みになっています。 600形をそのままの形でワンマン化した車両に1600形がありますが、側面の雨樋の形がよく似ていることに気づきます。 |
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Karasuma Nijo 京都旧市街地の幹線道路は、市電を通すために拡幅された歴史があります。特にこの烏丸通りは、御所と京都駅を直線で結ぶ、ロイヤルストリートとして整備されました。 ※道幅の広い御池通と五条通には市電がありません。これらは戦争中に防火のため、強制疎開されたものです。 |
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背景に大きく京都新聞の本社ビルが見えます。京都、滋賀一円に読者を持つ地域新聞として、1879(明治12)年からの歴史があります。 1995年の阪神淡路大震災の時に、倒壊した神戸新聞に代わって、ここで新聞を印刷、配送したことが記憶に残っています。 |
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Karasuma Demizu 烏丸出水です。 丸太町から今出川の区間では、東側に御所の森と石垣を見ながら走ります。千年の都・京都を代表する風景です。 (1973/12/1) |
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Karasuma Imadegawa 烏丸今出川の交差点です。背景は同志社大学の今出川キャンパスで、新島襄先生によって創立された1875(明治8) 年以来この地にあります。 以下の写真は、烏丸車庫で撮影しました。↓ (1973/12/2) |
Karasuma Yard 昼過ぎの構内には大量の車両が留置されていました。 |
烏丸車庫の用地は地下鉄建設の基地として使われ、のちにショッピングセンターを兼ねた北大路駅になっています。 |
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車庫には15本の電留線があり、敷地の一番奥に車両を入れ替えるトラバーサがありました。 |
庫内で保存されていた29号電車です。N電ではなく、市営の開業時、1912(明治45)年に造られた広軌1形電車です。 ※現在は梅小路公園の「すざくゆめ広場」にあります。 |
References: 京都市交通局「さよなら京都市電」毎日写真ニューサービス, 1978.9.30 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E7%89%A9 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E9%A2%A8%E9%A4%A8#cite_note-3 |