市電のある風景・京 都

 (4) 四条線 その1
日本国旗
 
撮影: 1969~1971, 制作: 2017/5 

四条通は京都で一番賑やかな通りです。八坂神社の石段下から西へ、南座の前を通って鴨川を渡り、百貨店やしゃれたお店が並ぶ街並を市電が走っていました。

京都市電四条線、四条京阪前
Kyoto City Tram at Shijo Keihan Station, Oct-1969

京都市電全体路線図
1971年10月当時の京都市電路線図です。
  京都市電四条線、路線図
今回ご紹介する四条線の詳細図です。四条通には次の系統が走っていました。
[1] 壬生車庫前~祇園~百万遍~壬生車庫前
[7] 九条車庫前~祇園~四条大宮~九条車庫前
[17] 九条車庫前~西大路七条~四条大宮~祇園~九条車庫前
[20] 銀閣寺道~祇園~壬生車庫~白梅町~千本北大路

上記のうち3つが循環系統です。中軸となる四条・千本・大宮の3線を真っ先に廃止したため、残った市電のネットワークがほとんど機能しなくなりました。

京都市電四条線、祇園   Gion

四条通の東端、八坂神社の石段下です。京都では交差する道路名を重ねて交差点や電停の名前にしていますが、ここは分かりやすく「祇園」と称しています。
ご覧のように軌道敷内にクルマが乗り入れています。1965年、市街地の全区間において、諸車の軌道敷内通行が認められました。以来、市電の定時運行が困難になり、廃止要因の一つになったと言われています。

(1969/10/10)
京都市電四条線、祇園   同じく、祇園の電停です。
[1]系統は、壬生車庫~祇園~百万遍~千本今出川~壬生車庫の循環系統です。ツーマンカーでは、車掌さんが後方の方向幕を適宜回していましたが、ワンマンカーでは白地で行き先が無表示になってしまいました。


京都市電四条線、花見小路
祇園花見小路の交差点です。大石蔵之助の豪遊で有名な一力茶屋が右に見えます。左に目を転ずると、[12]系統の市バスが花見小路へ曲がっていきます。今では想像できませんが、当時は三条京阪行きの市バスが花見小路を経由していました。

京都市電四条線、四条京阪前   Shijo Keihan Station

四条京阪前です。歌舞伎発祥の地、南座の前に電停がありました。南座の建物は1929年に造られたもので、国の有形文化財になっています。
市電の後方に見えるのが、1926年竣工、北京料理の東華菜館です。ウィリアム・ヴォーリスの設計で、こちらも有形文化財に指定されています。

京都市電四条線、四条京阪前   四条京阪前では、京阪電車が四条通を横切っていて、市電との平面交差になっていました。写真は宇治発三条行きの京阪電車です。残念ながら市電とのツーショットは撮り逃がしました。


(1969/7/20) 
京都市電四条線、鴨川   南座をバックに、市電が鴨川を渡るところです。遠くに東山連峰が見えて、いかにも京都らしい雰囲気を感じる場所です。


(1969/10/10) 
京都市電四条線、木屋町   鴨川の西側へやって来ました。木屋町通との交差点には、2階がレストランになっている不二家の大きなお店がありました。1934(昭和9)年の開店から永く市民に親しまれて来ましたが、残念なことに2011年に閉店しました。

(1969/7/20)

 
 京都市電四条線、四条河原町   Shijo Kawaramachi Shinkyogoku

四条河原町の電停です。正式には後ろに新京極が付く、長い名前です。
河原町は京都で一番人出の多いところで、安全地帯は乗客であふれていました。

[20]系統は四条通をはさんで、左京区と北区の住宅街を結んでいました。このためほとんどの乗客が四条河原町で入れ替わります。買い物や遊びに出るには便利な系統です。
 
京都市電四条線、四条河原町   Shijo Kawaramachi Shinkyogoku
~ Shijo Sakaimachi

寺町通のアーケードを入ると、寺院が並んでいます。太閤秀吉が町の防御のために、寺院を集めたものです。
その寺院の参道で商いをしていた露店がいつのまにか店を構え、新京極通が出来たと言われています。修学旅行生が必ず立ち寄る、定番の観光コースです。


(1971/7/11)

京都市電四条線、四条堺町   四条通の北側の歩道から、逆光気味に西を見ています。
背景は1969年に新装なった藤井大丸百貨店で、ルーツは1870(明治3)年創業の藤井大丸呉服店です。1912年からこの地で営業していて、ファッション関連で若者に人気があります。因みに、大丸デパートとは関係がありません。
京都市電四条線、四条堺町   Shijo Sakaimachi

四条堺町の電停で、四条通の南側から東を見ています。
後方に、元気だった頃の衣料スーパー長崎屋の店舗と、現三菱UFJ信託銀行になった日本信託銀行のレトロな建物が見えます。
市電廃止後に作られたバス停は堺町ではなく、一筋西の四条高倉です。

※長崎屋四条店は2001年に閉鎖、現在はBig-Offになっています。
 
京都市電四条線、四条堺町   大丸デパートの前です。大丸のいわれは大文字にあるそうです。発祥は伏見の呉服屋で大阪に本店がありますが、四条通の京都店は1912(明治45)年からの歴史があります。
 
京都市電四条線、四条烏丸   四条烏丸交差点のすぐ東側に、ギリシャ神殿を連想させる富士銀行京都支店がありました。1928(昭和3)年に建てられたものです。

※現在は11階建てのビルに建て替えられています。

2015年に四条通では車線を減らして歩道が拡幅されました。「歩くまち・京都」の目玉事業で、風景が様変わりしています。残念ながら市電の復活は実現しませんでした。
京都市電四条線、四条烏丸   Shijo Karasuma

四条烏丸の交差点です。電車が横切っているのが市電烏丸線で、右へ行くと京都駅に至ります。
交差点の東北角にあったのが三井銀行京都支店、1914(大正3)年の創建です。

※レトロなビルは1982年に建て替えられ、柱や装飾の一部がファサードとして保存されています。

京都市電四条線、四条烏丸   [7]系統は九条車庫前を起点に、大宮通を上がって四条通に入り、祇園から東大路を経由する循環線です。

車両は1600型、全長10.7mの600型をワンマンに改造したものです。小型車でドア位置の変更が無かったので、元の形状に近いスタイルでした。
京都市電四条線、四条烏丸   [17]系統です。上掲[7]系統と同じく九条車庫を起点とする循環系統ですが、こちらは西大路七条から七条通へ入り、七条大宮で合流する大回り循環です。

車両はツーマンカーの700型です。車掌さんが乗務しているので、後方にも行き先が表示されています。
京都市電四条線、四条西洞院   Shijo Nishinotoin

四条西洞院です。かつてN電が走っていた時、軌間の異なる3線区間になっていた場所です。N電は1961年に廃止されましたので、小生の知らない遠い昔のことです。
西洞院通へ右折する市バスが見えます。これがN電の代替系統[50]番です。
京都市電四条線、四条大宮
Shijo Ohmiya
四条大宮の交差点を左折して、[7]系統が大宮通へ入っていくところです。
(1971/9/4)

  京都市電四条線、四条大宮 
四条大宮には阪急や嵐電の駅があり、盛り場として賑わっていました。

References:
京都市交通局「さよなら京都市電」毎日写真ニューサービス, 1978.9.30
https://karasuma.keizai.biz/headline/1266/
https://www.fujiidaimaru.co.jp/about/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B8%B8
http://gipsypapa.exblog.jp/18398949/
https://blogs.yahoo.co.jp/mk26813/47632075.html
http://www.city.kyoto.lg.jp/kensetu/page/0000191438.html


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