市電のある風景・名古屋

 (19) 瑞穂通から笠寺方面
日本国旗
 
撮影: 1968~1969, 制作: 2016/1 

市道環状線を走る市電の3回目です。市立大学病院(桜山町)から瑞穂通を南に下って新瑞橋、笠寺方面と、その先の大江町までをご紹介します。

名古屋市電瑞穂通
Nagoya City Tram at Mizuho 1-Ave., Oct-1969

名古屋市電瑞穂通地図   赤色で示すのが、今回ご紹介する区間です。
市立大学病院~瑞穂通一丁目は1932年の開業で、高辻方面に繋がっていました。前年に市立大学病院の前身である市民病院が竣工していることと符合します。
その先、港東通までの区間は戦時中、1941 ~1944年に、軍需工場への通勤のために建設されています。尚、港東通~大江町の開通は、戦後の1952年です。

前作でも少し触れましたが、1966年に市立大学病院が桜山町に移転したため、旧桜山町の電停が「市立大学病院」に名称変更されました。それまで市立大学病院があった電停は「瑞穂通一丁目」に変更されましたが、ここは元々「市立大学病院前」でした。新しい名前には何故か「前」が付いてません。2つの電停は隣り合っているので、非常ににややこしくなり、利用者には悪評でした。
その南にある瑞穂区役所(ここも「前」がありません)は、1965年の12月以前は「瑞穂通三丁目」と呼ばれていました。
 

名古屋市電瑞穂通   瑞穂通一丁目です。背景に市立大学病院の建物が写っていますが、すでに移転した後です。病院は市民病院の名前で開業しましたので、当初は電停も市民病院前でした。1950年に病院の正式名称が変わって、市立大学病院前になりましたが、車内アナウンスは相変わらず市民病院前と案内していました。病院があった頃は門前に商店街があって、特に見舞客が立ち寄る花屋さんが繁盛していました。
名古屋市電瑞穂通   瑞穂通一丁目~瑞穂区役所です。小生railbusが小学生だった頃、この辺りには電車通りに面して畑地が残っていました。軌道敷と中央の1車線を除いては舗装されてなかったので、風の強い日は土埃が舞っていた記憶があります。
右に瑞穂通の簡易郵便局が写っています。
[33]系統は東新町から高辻を経由して港東通に至る系統です。

(1969/10/12)
 名古屋市電瑞穂通   上掲の少し南側で、道路の東側を見ています。背景の蒲郡信金、新聞販売店 、いずれも現存しています。過当競争と乗用車の燃費向上により、多くのガソリンスタンドが廃業しています。大協石油は、のちのコスモ石油です。
名古屋市電瑞穂通   瑞穂区役所の電停です。笠寺西門前行きの[31]系統が走っています。
1950年代の話ですが、[35] 系統の起点は瑞穂通三丁目(のちの瑞穂区役所)でした。ここは[62]系統の始発地でもあり、名古屋駅へ行くのに2つの経路が選べました。
今では想像できませんが、この辺りが名古屋市街地のはずれで、戦後に住宅地として人々が住み始めた場所です。現在は地下鉄桜通線が開通し、一等地になっています。
名古屋市電瑞穂通   瑞穂区役所の交差点です。角にある3階建てのビルは、大津大学薬局、その右に瑞穂区役所が見えます。1963年に竣工した先代の庁舎で、それまでは木造でした。
ゆるやかな坂道になっている左の道路を東へ進むと、「日本の桜100選」の一つ、山崎川の土手に至ります。
※区役所は1996年に建て替えられましたが、角のビルは現存しています。

名古屋市電瑞穂通   瑞穂通四丁目です。寿司屋さんと大衆食堂の入ったビルが見えます。市電の陰に隠れていますが、ビルの横に天神市場という公設市場がありました。
右に「丹頂鶴」と呼ばれた、懐かしい電話ボックスが写っています。
名古屋市電瑞穂通   瑞穂通四丁目~瑞穂運動場前です。ここまで来ると交通量が急に少なくなります。
背景に、"粋な黒塀に見越しの松"があるお屋敷が見えます。
後方の森は、菅原道真公を祀った真好社です。上掲で説明した天神市場の由来になったと考えられます。
天神市場資料   これは1950年代に、その天神市場で顧客に配られたうちわです。 何とも超ローカルな話題で申し訳ありません。
名古屋市電瑞穂通   瑞穂運動場前の交差点から東にある競技場まで、画面左奥に見える市電の引き込み線がありました。イベント開催時のみ臨時電車が運行されました。残念ながらその写真はありません。
瑞穂競技場は戦後間もない1950年に開催された、第5回国民体育大会のメイン競技場として造られました。
 第5回国体切手
第5回国体を記念して名古屋郵政局が発行した、記念切
手の初日カバーです。小学生の時に戴いたものですが、
小生railbusが後生大事に保管しているお宝です。
  名古屋市電瑞穂通
瑞穂通七丁目~新瑞橋です。矢田町四丁目発の[63]系統は、次の新瑞橋が終点になります。
名古屋市電新瑞橋   新瑞橋(あらたまばし)の電停です。市電の側面に「名古屋まつり」の飾り付けが見えます。近所の子たちが出てきていますので、もうすぐ花電車が通るようです。
※花電車は次作でお目に掛けます。
名古屋市電新郊通   新郊通一丁目です。幅広い市道環状線が続きます。
環状線という名前は一般には使われず、新瑞橋までが瑞穂通、ここからが新郊通、さらにその先が桜本町と名前が変わります。

名古屋市電桜本町   桜本町四丁目です。近くに名鉄の桜(さくら)駅があって、駅前には商店街がありましたが、市道環状線の電車通りは人家も少なく、ちょっと淋しい感じのする場所でした。

(1969/10/20)
名古屋市電笠寺西門前   笠寺西門前です。尾張四観音霊場の一つ、笠寺観音の門前町として昔から集落がありました。
また、笠寺は旧東海道の道筋にも当たります。背景のビルの手前に見える信号の所で、旧東海道と電車通りが交差しています。
※現在ビルは撤去され、跡地はスーパーMax Valuになっています。
 
名古屋市電笠寺西門前   笠寺西門前~本城中学前で、名鉄本線のガードをくぐります。 市電の線路はここで大きくカーブして、西へ向かいます。
上を走るのは名鉄往年の名車3900系です。この頃車体の塗色を試験的に変更することがあり、ストロークリームに赤帯の配色になっていました。
名古屋市電笠寺駅前   笠寺駅前です。笠寺には名鉄の本笠寺駅(もとかさでら)のほかに国鉄の笠寺駅があります。通勤には便利なところですが、周囲は工場地帯でした。
※近年、工場の撤退が相次ぎ、周辺は住宅地になっています。
 
名古屋市電笠寺駅前   笠寺駅前~北頭(きたがしら)、です。
笠寺付近は新幹線が高架でなく地上を走っていますので、長い跨線橋によって新幹線、東海道本線、それに名古屋臨海鉄道の3線路を越えます。


(1969/9/5)
名古屋市電港東通   港東通です。1960年までは大江という電停名でした。画面の右側を入った所に、名鉄常滑線の大江駅があります。左奥が名鉄線を越える跨線橋です。
※背景の太平製作所は合板製造機械のトップメーカーですが、1976年に小牧市へ移転し、跡地は住宅地になっています。

(1969/10/20)
 
名古屋市電大江町   市電は港東通から大江町にかけて、東レや三菱重工の広大な敷地の北側を走っていました。[61]系統は大江町(旧六号地)で左折して、昭和町へ向かいます。
大江町

(1968/7/5)

紙面の都合で、最後は少々駆け足になってしまいました。
 


References:
http://w3hosp.med.nagoya-cu.ac.jp/about/history/index.html
http://www.city.nagoya.jp/mizuho/page/0000054264.html
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000115404
http://hanami.walkerplus.com/list/ss0001/
http://www.taihei-ss.co.jp/


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