市電のある風景・名古屋

 (15) 船方から西稲永
日本国旗
 
撮影: 1969, 制作: 2015/12 

前作に続き、熱田区から港区にかけて走るもう一つの路線をご紹介します。熱田駅前から船方を経由して名古屋港に至る築港線で、1910(明治43)年の開業です。また、築地口から西側、西稲永に至る築地線及び、下江川線の日比野~船方も併せてご覧下さい

名古屋市電築港線
Nagoya City Tram at Minami Ichibancho, Nov-1969

  赤色で示すルートが、今回ご紹介する路線です。大津通から熱田駅前を経由して、名古屋港に至る築港線を[20]系統が走っていました。また、築地口から西稲永へは、港車庫前を経由する[51],[52]系統がありました。
1969年2月20日に港車庫前を経由する路線が廃止された関係で、[20]系統が西稲永行きに変更されています。
  日比野から西町を経由して船方に至る路線です。路線名は下江川線で、1912(明治45) 年に開業しました。
[10]系統は、秩父通から江川線を南下して、日比野を左折、船方をV字に曲がって熱田駅前に至る系統です。
日比野~西町

(1969/11/8)
  西町の電停です。元々この区間には[10]系統だけが走っていましたが、港車庫前を経由する路線の廃止後は [51] 系統も走るようになりました。
 
  西町には市電の工場があり、定期検修や改造などを行なっていました。一般の車庫とは異なり、普段はあまり車両の出入りが無いので、閑散としています。
 
  菖蒲池~白鳥橋です。右方向、熱田駅前に向かって[10] 系統が走っています。[10] 系統の車両は、ほとんどが2000型に統一されていました。
 
    白鳥橋の電停です。堀川に架かる白鳥橋の東詰めにありました。上り下りの電停が、同じ場所に向き合っています。

    白鳥橋を渡る1920号です。帰宅する人々で車内は超満員でした。
白鳥橋~船方
    船方の電停です。この名前は船手奉行の横井作左衛門が開拓した、船方新田に由来します。町名としての船方はありませんが、小学校の名前などに残っています。
後ろに見えるのは材木会社の事務所ですが、現在はマンションになっています。


(1969/11/7)
    船方から南側は工場地帯になります。
ここは港明町で、北側の千年方面を見ています。右の工場は住友軽金属(現UACJ)です。
冒頭の写真は、南一番町~千年(ちとせ)にある歩道橋から南を向いて撮影しました。
※同じく住友軽金属が写ってますが、左掲の写真とは別の場所です。
    港明町~労災病院前です。千年からここまで延々と、住友軽金属名古屋製造所の敷地が続きます。
同社は1941年に、旧住友金属の軽合金製造所として開設され、戦時中は航空機の材料を供給していました。
    労災病院前です。電停名になっている中部労災病院は、1955年に開設されました。工場の多いこの地域にあって、職業性疾患に対応するために建てられましたが、現在では総合的な医療機関となっています。

この先、港楽町、港陽町と港を冠した町名が続きます。堀川には艀溜(はしけだまり)がありましたが、電車通りからは見えませんでした。
 
 線路は築地口の北側で名四国道をくぐります。
 
 築地口の東側のカーブです。

  築地口の交差点です。外国の船員向けに、英語の広告が目に付きました。
すでにこの頃から、海外向けには Panasonic のブランドが使われていました。

  築地口交差点の西側です。割烹着を着た親子連れと、そのうしろに子供を背負った婦人が写っています。
撮影日は港車庫の廃止前なので、800型が走っていました。

(1969/2/2)
  築地口~築三町の中川運河に架かる中川橋です。このアーチ型の橋は、1930年に架けられたもので、 土木学会の近代化遺産に登録されています。

(1969/11/8)


※中川橋は現在架け替え工事中ですが、橋脚のみ造り替えて、アーチ部分は継続使用します。上流側へ37m も横引きする工事が実施中です。

大手橋~一州町では荒子川を渡ります。この区間は、
道路の北側に造られた専用軌道になっていました。
   
左掲の反対側を見ています。名港火力発電所の5本煙突が、曇り空にかすんでいました。
  稲永町の電停です。西稲永行きの[52]系統を望遠レンズで撮影しました。
右の線路が西稲永、手前が下之一色方面です。


(1969/1/27)
  上掲と同じ稲永町で、こちらは市大病院行きの[51]系統です。 この2枚のみ、撮影日が1969年1月なので、港車庫担当の系統が写っています

  終点の西稲永です。廃止された下之一色線の1700型が、[20]系統に入っています。
広い埋め立て地に、2階建ての市営住宅が並んでいました。

※現在は高層マンションに建て替えられています。
 
(1969/11/6)


References:
http://www.chubuh.rofuku.go.jp/aboutus/outline.html
http://kensetsunewspickup.blogspot.jp/2013/07/600.html
http://blog.goo.ne.jp/shortwood/e/1b533e95f87e2ca8d8dcf592ff22ec7f
http://www.panasonic.com/jp/corporate/brand/history.html
http://www.uacj.co.jp/company/profile/history_slm.htm


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