市電のある風景・名古屋

 (13) 水主町から八熊通付近 
日本国旗
 
撮影: 1968~1969, 制作: 2015/12, 加筆: 2016/1 

「市電のある風景・名古屋(4)浄心」の続きです。(4)では江川線を泥江町(ひじえちょう)までご案内しましたので、今回はその南、柳橋~日比野です。併せて隣接する沢上町~八熊通(やぐまどおり)の区間もご紹介します。

名古屋市電江川線
Nagoya City Tram at Kakomachi, Oct-1968

名古屋市電江川線地図   緑色の線が1968年当時の市電路線(部分)です。そのうちの今回ご紹介する区間を赤色で表示しました。
柳橋から日比野に至る路線は、1911~1912年即ち、明治の末から大正元年にかけて開通した比較的古い路線です。沿線は堀川の水運で発展した古くからの市街地であったことが伺えます。

一方、沢上町~八熊通は戦時中、1943年の開業です。
名古屋市電江川線   泥江町~柳橋を走る[50]系統です。高速環状線が出来るはるか前の姿で、市道江川線は陽当たりが良く、実に広々としていました。
後方は、再開発によって建設された花車ビルの南館で、撮影した1968年10月の竣工です。その奥では中館が建設中で、さらに北館があります。
※ビルは今も健在で、ランチの人気スポットになっています。

(1968/10/16)
名古屋市電江川線
柳橋交差点東南角のガーデンビルは、当時壁が茶色で、屋上に大きな広告が載っていました。
  名古屋市電江川線
八角堂前~水主町です。東陽倉庫の巨大な建物を入れたので市電が小さくなりました。その後ろは製材所です。
名古屋市電江川線  

水主町(かこまち)の電停から南の方角を見ています。遠くに松重閘門の塔が見えます。撮影の途中で、たまたま故障車に遭遇しました。

 名古屋市電江川線   名古屋市電江川線
 名古屋市電江川線   クレーン車が出動してきました。仮の台車が用意されて、故障した車両を牽引するところです。後方に何両もの市電が数珠つなぎになっています。
 名古屋市電江川線   松重閘門は中川運河と堀川の水位を調節して、船舶を通すために造られました。水門を昇降させる一対の錘(おもり)が、2つの塔に収納されています。撮影当時は現役でしたが、1976年に役目を終え、名古屋市の都市景観重要建築物に指定されています。
松重橋は堀川に架かる別の橋で、市電が渡っているのは南北橋と言います。
日置橋~山王橋

(1969/5/22)
 
名古屋市電江川線   山王橋(さんのうばし)の電停です。線路は堀川に沿って走り、日置橋、山王橋、古渡橋、尾頭橋と堀川に架かる橋の名前に因む電停が続きます。
名古屋市電江川線   古渡橋(ふるわたりばし)です。 近くには中日球場(現ナゴヤ球場)があります。
小生railbusは子供の頃からの中日ファンです。フォークボールの元祖、杉下茂投手の現役時代を覚えています。
学生時代には球場でアルバイトをしていました。切符切り、場内整理、警備、ファウルボール拾いなど、只で野球が観られ、巨人戦には大入り袋がもらえました。
市電に関係ない思い出話で、申し訳ありません。
↑背景に見えるのは、製材会社の煙突です。当時の製材所には木材の乾燥工程で使うボイラーがあり、煉瓦造りの煙突を備えているのが特徴でした。燃料には主に廃材やおが屑を使っていました。堀川沿いに走る市電の沿線には水運を利用した材木関連の会社が多数あり、何本もの煙突が見られました。中でも古渡橋にあった「材そう木材」の煙突は巨大で、印象に残っています。三角屋根の工場の北側には、堀川の水を引き込んだ貯木場がありました。(「そう」の字は、木偏に忩と書きますが、辞書にない造語です)。
※本件は、名古屋出身で神奈川にお住まいの広瀬様からご教示を頂きました。深く感謝申し上げます。(2016/1/29 加筆)

名古屋市電江川線   古渡橋の南にある国鉄と名鉄線のガード下で、2000型がすれ違っています。残念ながら鉄道と重なる光景は撮れませんでした。 
古渡橋~尾頭橋
名古屋市電八熊通系統   ところ変わって、ここは沢上町交差点の西側にある電停です。右後方が大津通との交差点です。沢上車庫から少し離れていますが、乗務員の交替風景が見られました。
背景の壁に東郷元帥が描かれています。いかにも強靱そうな名前の「東郷ハガネ」を販売する河合鋼材(現カワイスチール)の店舗です。
名古屋市電八熊通系統   沢上町から西方を見ています。ねじやパイプなど鋼材関連の商店が何軒か並んでいました。この付近は元々鍛冶職人の町だったそうです。

背景は大阪に本店があった幸福相互銀行です(福の字は旧字体)。この建物がいつ無くなったかは分かりませんが、銀行本体は、幸福銀行→関西さわやか銀行→関西アーバン銀行に変わっています。
名古屋市電八熊通系統   新尾頭町です。ここで後方の伏見通(国道19号)を横断します。
停車しているのは[51]系統の区間運転で、系統板のところに「市大病院-八熊通」と書かれています。この系統に使われていた1600型は、ツーマンカーでした。
 
名古屋市電八熊通系統   新尾頭町から八熊通にかけては下り坂になっています。この地形は西大須の岩井通とよく似ています。
背景は住吉神社です。享保年間の1734年に、航海の神様を大阪の住吉大社から勧請したのが始まりです。社殿前には名古屋最古と言われる狛犬が鎮座しています。

名古屋市電八熊通系統   坂道の途中で、堀川に架かる住吉橋を渡ります。写真では見えませんが、3連のアーチ桁が特徴の立派な橋です。
1937年に竣工しました。
名古屋市電八熊通系統   八熊通の交差点に戻ってきました。
[51]系統は元々西稲永行きでしたが、1969年2 月に日比野~名古屋港が廃止されたのに伴い、熱田駅前行きに変更されていました。

名古屋市電八熊通系統   同じく八熊通の電停です。
右が沢上町方面で[51]系統が右折して行きます。画面奥が北方向で、尾頭橋のガードが小さく見えています。

(1969/1/26)
名古屋市電江川線   八熊通から再び江川線を進みます。日比野の北側では、国鉄貨物線との平面交差が見られました。この鉄道は笹島から名古屋港へ向かう名古屋臨港線の支線で、中央卸売市場の構内に入っていました。
69年1月の撮影なので、西稲永行きの[52]系統が走っています。
中央卸売市場前~日比野

※地理的な関係は、冒頭の地図をご参照下さい。
名古屋市電江川線   日比野の電停です。地下鉄名港線が工事中でした。


(1969/11/8)


References:
http://www.adnet.jp/nikkei/kindai/10/
http://ohmura-study.net/006.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E9%8A%80%E8%A1%8C
http://www.228400.com/original.html


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