市電のある風景・名古屋

 (12) 熱田から昭和町へ 
日本国旗
 
撮影: 1969, 制作: 2015/11 

前作に引き続き、大津通を南へ進みます。沢上車庫から熱田神宮を通り、内田橋から先は南陽通を経由して昭和町に至る区間です。

名古屋市電昭和町系統
Nagoya City Tram at Hirakibashi, Apr-1969

名古屋市電大津通   沢上車庫の前から北側、沢上町交差点方向を見ています。手前は車庫に入る引込線です。

(1969/3/6)
名古屋市電大津通   上掲の場所から南、高蔵(たかくら)方面です。
左にパチンコの赤玉会館が見えます。一世を風靡した旧中部観光グループの経営ですが、撮影当時に営業していたかどうかは不明です。
 
名古屋市電大津通   高蔵の電停です。車両は撮影の前月に廃止された下之一色線からの転属車、1544 号です。
下之一色線と時を同じくして、日比野~名古屋港も廃止されました。このため[20]系統の行き先が名古屋港から西稲永に変わっています。
 
名古屋市電大津通   熱田駅前です。国鉄の熱田駅がこの地に出来たのは1896(明治29)年で、市電(名古屋電気鉄道)が開通する2年前です。当時は名古屋の玄関口として機能していました。
 
名古屋市電大津通   鉄道唱歌第33番
♪めぐみ熱田の御やしろは
 三種の神器の一つなる
 その草薙の神つるぎ
 仰げや同胞四千萬
歌が作られた明治時代には人口わずか四千万、少子化恐るるに足らず??

[21] 系統の1900型が、延々と続く熱田神宮の森をバックに走っています。
熱田神宮前
(1969/2/2)

 
名古屋市電大津通   同じく熱田神宮前です。名鉄の神宮前駅は、国鉄よりも遥かに乗客が多く、駅前に広場があって、多くのバス系統が集まっていました。参拝客目当ての商店街が形成されています。

 名古屋市電大津通
名鉄神宮前駅は木造平屋建てでした。
  名古屋市電大津通無理矢理、神宮の鳥居を入れて撮影しました。
名古屋市電南陽通   内田橋の交差点です。ここで、大津通と伏見通が交差しています。加えて、国道1号線から港周辺の工場へ出入りする車が流入し、渋滞の名所でした。


(1969/4/23)
名古屋市電南陽通   内田橋~南陽通二丁目です。左が南方向で、背景は道路の西側になります。
小牧市に本店がある東春信用組合は、1966(昭和41)年から内田橋に支店を開設していました。 
※2002年に閉鎖。

後方に、数々のファッションブランドを展開する「あかのれん」の旧内田橋店が写っています。

 名古屋市電南陽通   さらに南へ進んだところで、市電は東海道新幹線のガードをくぐっていました。
新幹線のスピードが速く、なかなか両者を同一画面に入れるのは困難を極めました。

内田橋~大江町にかけての区間は、戦時中に建設されています。港周辺の軍需工場へ通勤するための延伸です。
内田橋~南陽通二丁目
名古屋市電南陽通   南陽通四丁目の電停です。堀川に沿ったこの付近には、多くの合板工場がありました。背景は業界大手の「中村合板」です。小生railbusは、小学生の時に、社会見学で訪問したことがあります。おみやげに画板をもらいました。
※1977年に会社は倒産、解散しました。 

名古屋市電南陽通   南陽通6丁目です。ここには広大な貯木場があって、上掲の合板などに使う大量の木材が保管されていました。1959年、伊勢湾台風の時には木材が流出して、甚大な被害が出ました。
 
名古屋市電南陽通   竜宮町の電停です。堀川と山崎川が合流する地点に、大同製鋼の築地工場があります。工場は今もありますが、背の高い煙突は姿を消しました。
また目の前を、名四国道と高速4号東海線がともに高架で走っていて、工場の全景を見ることはできません。
 
名古屋市電昭和町系統   大江町の電停です。以前は埋立地を表す「六号地」という電停名でしたが、1960年7月に改称されました。この近くに「大江」という電停が別にあり、[33]系統の終点だったので、混乱を招きました。
※同日、元の大江は港東通に改名されています。
車両は1150型の1155号です。旧型の木造車を改造して半鋼製の車体を載せたもので、外観は1400型に似ていますが、高床車です。
 
名古屋市電昭和町系統   ここから南へは、今池から来る[61]系統が合流します。その[61]系統が東から合流するところです。後方は名鉄築港線の東名古屋港駅です。市電との平面交差も見られました。
 
名古屋市電昭和町系統   三菱重工大江製作所の前を走る[21]系統です。三角屋根の建物がノコギリのように繋がっています。数えたらノコギリの目は15ありました。
工場は現存していますが、 高速4号東海線が道路の真上を走っています。
大江町~開橋(ひらきばし)

名古屋市電昭和町系統   開橋を渡る[21]系統です。この橋は可動橋のような名前ですが、普通の橋です。
冒頭の写真もここで撮影しました。

 名古屋市電昭和町系統   名古屋市電昭和町系統
終点の昭和町です。1926(大正15)年7月に完成した埋め立て地で、七号地に相当します。同年12月に昭和に改元されたことから、この名前が付きました。市電の開通は戦後になってからで、六号地(大江町)~開橋が1957年、開橋~昭和町が1961年です。後者は名古屋市電における最後の新設区間です。
名古屋市電昭和町系統   1400型は合計75両が製造されましたが、そのうちの6両は1500型と同じく、張り上げでない屋根になっています。これは戦災や事故で焼損した車両を 1500型の車体で復旧したためです。細かい話ですが1500型とは異なり、ドア前方の側窓にRが付いています。写真はその1両、1423号です。
昭和町にて


(1969/4/23)

「津島軽便堂写真館」様のサイトに、お正月の熱田神宮で撮影した素晴らしい写真があります。必見の秀作です。
 http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/nagoya-tram/n-atsuta1.html

References:
http://matome.naver.jp/odai/2139469995072993401
http://www.akanoren-nagoya.co.jp/company/index.html
http://www.toshun.co.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E7%94%B0%E9%A7%85
http://www.city.nagoya.jp/minato/page/0000001232.html
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%E9%9B%BB+1
400&ie=utf-8&oe=utf-8&hl=ja


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