市電のある風景・名古屋

 (11) 大津通 
日本国旗
 
撮影: 1964~1969, 制作: 2015/11 

大津通を走っていた市電を紹介します。名古屋ご城下と東海道の宿場町であった宮(熱田)を結ぶ線路は、江戸時代からの幹線道路である本町通に敷設されるはずでした。ところが本町筋の商店街が道路の拡幅に反対したため、大津通経由になりました。1908(明治41)年に名古屋電気鉄道によって、栄町~熱田伝馬町が開通しています。栄町~大津橋は1924(大正13)年、名古屋市による開業です。その後、広小路通と大津通が交差する栄町は、名古屋一の繁華街になりました。町の発展にとって、市電が果たした役割は大きかったと思います。

名古屋オリエンタル中村
Nagoya Oriental Nakamura Department Store, May-1964

 名古屋テレビ塔   ↑栄町の交差点、オリエンタル中村百貨店(現名古屋三越)です。東京オリンピックが開催された1964年に撮影しました。当時高校生だった小生railbusにとって、東京オリンピックは戦後の混乱期が終わり、日本の未来を象徴する輝かしいイベントでした。栄町は1966年の町名変更により、栄に改称されています。
(1964/5/10)
←地下鉄名城線の工事現場です。テレビ塔の真下に地下鉄を通すために、軟弱な地盤に薬剤を注入する工法が話題になりました。
後になって写真をよく見ると、塀の向こうにボンネットバスが写っています。(1964/5/2)

当時のネガを調べてみましたが、市電は写ってませんでした。
「もっと早く生まれていれば・・・」という言葉を良く耳にしますが、これは親の都合なので仕方のないことです。また、早く生まれていても、写真を撮ってなければ同じことです。この2枚は、「あの時もっと撮っておれば・・・」という言葉がぴったりの、まことに悔いの残る写真です。
名古屋市電大津通   上掲の写真から4年が経過、大津橋~金山橋の区間は、1968年1月末日限りで廃止されました。覚王山線に続く幹線系統の廃止は衝撃的で、事の重大性にやっと気がついた次第です。雨の中、あわてて撮影に出掛けましたが、あまり良い写真は撮れませんでした。
ここは大津橋の交差点、後方右側に屋根瓦のある愛知県庁と名古屋市役所がかすんでいます。

(1968/1/29)
 名古屋市電大津通   名古屋市電大津通
名古屋市電大津通   桜通を渡る3000型連接車です。予定以上の巨体が、未熟者の画面からはみ出してしまいました。
手前に写っているのは、コンテッサ1300セダン、日野自動車が製作したリアエンジンの乗用車です。
桜通大津にて
 名古屋市電大津通   この区間は、名古屋のシンボル,テレビ塔が良く見えます。幹線筋なので、各方面へ行く4本の系統が走っていました。 
[20]: 大津橋~名古屋港
[21]: 大津橋~昭和町
[22]: 上飯田~熱田神宮前
[52]: 大津橋~西稲永
尚、栄から南側には、もう1つの系統がありました。
[31]: 栄~笠寺西門前

※手前のスポーツカーは、ホンダS800クーペです。
桜通大津にて
 名古屋市電大津通   名古屋市電大津通
松坂屋の屋上から栄方面を見ています。デパートの屋上から俯瞰するというアイディアは良かったのですが、夕方で太陽が傾いており、きれいな写真が撮れませんでした。廃止の間際ではなく、余裕を持って撮影することの大切さを痛感しました。 (1968/1/28)
 
 
  同じく、南側の矢場町方面です。電停は白川通大津ですが、1966年5月までは南大津通という名前でした。
名古屋では電停名に2つの通りの名前を重ねる方法になじみが無く、しかも大津通の上にある電停を白川通大津と呼ぶことに、大変違和感がありました。
 
名古屋市電大津通  
矢場町から北の方角を見ています。左奥のビルが松坂屋デパートです。 1925(大正14) 年に建てられ、名古屋大空襲をくぐり抜けています。

 名古屋市電大津通   矢場町の電停です。近くには名古屋名物の味噌カツで有名な「矢場とん」本店があります。
3000型連接車の全体を捉えましたが、ピントの甘い失敗作です。

 
 名古屋市電大津通   東別院の交差点です。背景に 御坊様(ごぼさま)の名前で親しまれている真宗大谷派東別院が写っています。すでに敷地の一角に名古屋テレビの社屋が建っていて、 門前にあった大きなスロープも無くなっていました。


小生railbusは、就学前の幼い頃、この付近に住んでいました。画質の悪いネガで、申し訳ありませんが、敢えて掲載しました。

 名古屋市電大津通   幼児期の楽しみは、家人に連れられて金山橋へ汽車を見に行くことでした。小生が鉄道好きになった原点がここにあります。
昔は、名鉄の金山橋駅が坂の下にあって、大津通から分岐した市電の線路が駅前に続いていました。急な坂道を2 軸の市電が走っていたことを、鮮明に覚えています。

←金山橋を渡る[21]系統。
奥が北方向になります。
(1968/1/28)
 名古屋市電大津通   大津橋~金山橋が廃止された後、金山橋が熱田方面への起点になりました。これは橋のほぼ真上に造られていた仮の電停です。地下鉄名港線が建設中でした。


(1969/12/9)
 
 名古屋市電大津通   大津通を走る市電熱田線は、金山橋のすぐ南にある沢上町で、八熊東線と交差します。八熊東線には[31], [51] と[52]系統が走っていました。
写真は、大津通を南下する[21]系統です。


(1968/1/28)
 
 名古屋市電大津通   沢上町の南側に沢上車庫がありました。構内の全景です。手前に写っているレールは、車両の入れ替えに使うトラバーサの軌道です。沢上車庫のトラバーサは巨大で、敷地一杯をカバーしていました。

(1969/3/6)
 
 名古屋市電大津通   1900型のラストナンバー、1922号です。1900型は名古屋市が誇るいわゆる「無音電車」 1800型の改良形で、スカートのある外観が特徴です。全車、沢上車庫に所属して、[20], [21], [22]系統に充当されました。
沢上車庫にて

(1969/3/6)
 



References:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%
B8%82%E9%9B%BB%E5%A4%A7%E6%B4%A5%E7%94%BA%E7%B7%9A
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E9%
9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93


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