(8) 上飯田 |
撮影: 1969, 制作: 2015/9, 改訂: 2024/9 |
新栄町から東区内を北上して大曽根を経由、上飯田に至る路線をご紹介します。 |
↑徳川町にある片山八幡神社の前です。この神社は1171年から鎮座していますが、荒廃していたものを尾張徳川家二代藩主光友公によって再興された歴史があります。当地は名古屋ご城下の鬼門に当たるので、その鎮護を担いました。 神社の西側には下街道と呼ばれる信州脇往還が通っており、ご城下と中山道を結んで居ました。赤塚には木戸口が設けられ、名古屋では珍しい鍵曲がりのある街道でした。 1915年、市電(名古屋電気鉄道)を通すに当たって神社の東を通る新道が造られ、山口町を経由するようになりました。 ←大曽根への線路は東片端から清水口を経由するルートが先に開通しています。路線名は高岳線です。 |
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布池町、桜通交差点です。背景の建物は旧東区役所、1909(明治42)年に建てられました。1954年に桜通を拡幅したときに少し移動したそうです。1970年に区役所は筒井町の総合庁舎に移転しました。 (1969/6/18) |
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上掲から桜通を渡ったところです。戦後、国道19号線が西側に新しく造られ、旧道沿いのこの区間は昔のままの姿を留めていました。 |
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布池町~平田町(へいでんちょう)は、横代官町と呼ばれる筋を走ります。1915年に開業した時は、ここがメインストリートでした。 東区は文字通り名古屋城の東に位置し、清洲越しで武家屋敷や寺院が配置された所です。近くには尾張徳川家菩提寺の建中寺や、白壁町、長塀町の旧名で知られる歴史的な街並があります。 |
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平田町の交差点です。西側の外堀通りから撮影しています。 |
上掲の少し左側です。左が北の赤塚方面になります。 名古屋相互銀行は名古屋銀行に改名しましたが、この建物は今もそのまま使われています。 |
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平田町交差点で古豪の1300 型を真横から撮影しました。循環の[3]系統で、左の外堀通りから出てきたところです。 左端の平田温泉は現在も営業中で、サウナもあります。しかし煙突の高さは1/3 ほどになっています。 |
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平田町から赤塚までの区間は、戦災復興で拡幅された国道19号線を走ります。これだけ広いと、利用者にとっては乗降がやっかいです。名古屋では道路の端に線路を敷くという発想がありませんでした。 (1969/7/3) |
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平田町の手前、東側にあった東京銀行です。細長い窓がたくさん並ぶユニークな外観をしています。 現在は9階建ての三菱東京UFJ銀行の平田町支店に変わっています。 |
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赤塚の交差点です。上飯田行きの[81]系統が右折していきます。この系統は元々画面の左手前方向、清水口を経由していました。 背景は神明社の森、現在よりも境内地が広く、樹木が鬱蒼と繁っていました。 |
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山口町の交差点です。[81]系統は山口町、赤塚、平田町の各交差点を曲がり、何度も向きを変えます。 背景のパチンコセンターの店名に見える「赤玉会館」は、熱田の高蔵のページにも写っています。 ※現在建物は撤去、更地になっています。 |
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山口町~徳川町です。この右奥に徳川家ゆかりの徳川園, 美術館, 蓬左文庫があります。 |
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冒頭の写真を撮影した徳川町、片山八幡神社の前です。神社の先、北側は坂道になっています。黒川の巻でご紹介した清水口~深田町とよく似た地形です。 |
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坂道を下ったところに、名鉄瀬戸線との平面交差がありました。踏切を制御する有人の信号塔が使われていました。 後方の空き地を囲む塀に広告が並んでいます。最近では見かけなくなりましたが、良くある風景でした。 |
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大曽根は下街道と瀬戸街道の分岐点で、名古屋ご城下への北口として賑わったところです。 大曽根の電停は国鉄大曽根駅から600mほど西にありました。戦時中の1942年に東大曽根(国鉄駅前)まで延長されていますが、1965年に廃止されました。 中央に大曽根と書かれたアーケードが見えます。国鉄の大曽根駅に向かって、長い商店街が形成されています。 |
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大曽根から北、上飯田に至る区間は1944(昭和19)年に造られました。正式名称は御成通線です。御成通は昭和2年の天皇行幸に際して、拡幅整備されてその名が付きました。 大曽根の付近には軍需工場が多数ありましたので、物資の欠乏する中でも路線が開通しています。 |
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御成通三丁目の電停です。右に写っている貸本屋が、なつかしい雰囲気を醸し出しています。 |
彩紅橋通~平安通一丁目 |
上飯田 |
←↑ 終点上飯田の電停は、名鉄小牧線の上飯田駅前に ありました。右の巨大な建物が駅ビルで、3階から上は公団住宅になっています。1965年の竣工ですが、現在も当時の威容を誇っています。 撮影時、名鉄小牧線は高架で、駅ビルの2階に改札口が有りました。市営地下鉄に接続した2003年に、地下に移設されています。 |
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上飯田電停の少し南側に、上飯田車庫がありました。正式に電車運輸事務所に昇格した1960年から、80番代の3本の系統番号を受け持つようになりました。 [80] 八熊通 旧[14] [81] 名古屋駅 新設 [82] 堀田駅 旧[32] このうち[82]は、赤塚~清水口が廃止された時になくなっています。 |
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上飯田車庫の主力車両は、戦後に造られた1500型です。戦前の代表型式である1400 型と同じ窓配置の3扉,12m車ですが、屋根が張り上げになっていません。 ※上掲写真が1400型です。 |
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車庫の構内です。大きな三角屋根が、特徴的でした。現在この跡地は、市営住宅とバスターミナルになっています。 |
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上飯田車庫で撮影した工事用の電動貨車です。明治時代に造られた木造電車を改造したもので、架線の修理や資材の運搬に使用されました。名古屋市電には2両のみ在籍した貴重な車両です。この2号車は永らく下ノ一色線にあって、線路脇の農薬散布に活躍したことで知られています。 |
References: http://higashi100.net/xoops/modules/tinyd0/content/index.php?id=3 http://www42.tok2.com/home/c11190/nagoyashidenkeitou.htm https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%E4%B A%A4%E9%80%9A%E5%B1%80FSA%E5%BD%A2%E8%B2%A8%E8%BB%8A |