(7) 黒川 |
撮影: 1969, 制作: 2015/9, 改訂: 2024/9 |
東新町からまっすぐに北へ伸びる路線をご紹介します。1914年(大正3年)に開業した高岳線(東新町~清水口)と戦後の1949年に造られた清水口延長線(清水口~黒川)です。名古屋の市電は開業ごとに正式な線名が付けられていますが、利用者にはまったく無縁な存在です。このため、表題は黒川としました。線路は名古屋と富山を結ぶ国道41号線の上を走っていました。現在では、全区間に渡って名古屋高速1号楠線の高架道路が通ってますので、市電が走っていたことを想像することはできません。 広々としたなつかしい街並を振り返ってみましょう。 |
↑右にある大楠は、今も奇跡的に残されています。(東片端~清水口) ←東新町交差点の南東角です。ビル全体が広告で埋まっているユニークな建物がありました。 余談ですが、名鉄特急で名古屋~岐阜25分と書かれています。因みに現在は停車駅が増えたため、平均で30分以上かかります。 (1969/6/18) |
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高岳町~東片端です。[34] 系統の黒川行きが走り去って行きます。こうやって写真を見ると、結構大きな街路樹がありますが、現在は全くありません。 背景の日刊工業新聞名古屋支社は、建て替えられてますが、この場所にあります。 |
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東片端~清水口にある歩道橋から北側を望んでいます。前方、清水口の交差点の西側は、まだ区画整理の途中でした。現在では信じられない、交通量の少なさです。 (1969/6/5) |
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清水口の電停です。金城学院高校の生徒さんとお見受けしました。襟についた細い白線と、胸元のクロスマークが特徴です。 線路を良く見ると、右への分岐線が切れています。赤塚へ通じていた路線で、すでに2年前の1967年に廃止されていました。そのため金城学院高校の最寄り電停が、長塀町五丁目から清水口に移りました。 |
東片端~清水口 |
清水口~深田町 |
ちょっと立ち戻りますが、ここは東片端から外堀通を西へ入ったところです。この線には上飯田行きの[81] 系統が走っています。 背景は地元で有名な医薬品問屋のスズケン本社です。 (東片端~東外堀町) |
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こちらは逆に外堀通を東へ入った所です。9階建てのマンションが建設中でした。 東片端~飯田町にて。 |
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清水口から北の深田町へ向かっては、下り坂になっています。名古屋のご城下は基本的に台地の上にあり、ここから黒川が流れる低地へ下りて行きます。 |
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上掲の場所で南を向いています。坂道の西側に石積みの壁があり、なかなか良い雰囲気の所でした。 現在この景色はまったく残っていません。あまりの変貌ぶりにびっくりするだけでなく、残念な気持ちになります。 |
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深田町の電停近くに、名鉄瀬戸線との平面交差がありました。写真奥が黒川方面、右に行くと名鉄の清水駅があります。 瀬戸線は東区と北区の丁度区界付近を東西に走っています。 |
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深田町の踏切を名鉄電車が通過していきます。すでにこの頃、特急の車体は赤色に白帯姿になっていました。 現在この踏切は高架になっていて、さらにその上を都市高速が走っています。 |
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名古屋には住居表示の変更によって昔からの町名がなくなった場所が多いのですが、ここ西杉町の電停もその一つ。現在の清水四丁目交差点です。 |
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西杉町から黒川方面を見ています。清水口から北側は、中央の軌道+片側1.5車線ほどの幅員です。歩道橋に国道41号の看板がかかっています。 道路の右側に小学校があるので、今も同じ場所に歩道橋があります。 |
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志賀本通交差点の北側が黒川の終点で、東側に北区役所がありました。庁舎は1964年の竣工です。1982 年に区役所は北区総合庁舎へ移転しましたが、建物は生涯学習センターが使用しています。 |
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終点黒川の電停です。 かつて外堀通を経由して名古屋駅前に至る[18]系統がありましたが、同系統の廃止後は堀田駅行きの[34] 系統だけが走っています。 また以前は、この先、城北学校前まで路線が延びていましたが、撮影の2年前、1967年に廃止されていました。 |
今回ご紹介した区間の路線図を制作しました。 1914(大正3)年に、東新町~清水口と、外堀通から東片端に至る路線が開通しています。その翌年には、清水口~徳川町と、東片端から平田町を経由して南の新栄町に至る路線が開通しました。 清水口~黒川は戦後間もない1949年7月の開業で、さらに城北学校前まで伸びたのは1960年2月です。 ※ 上飯田方面のご紹介は、次作をご覧下さい。 |
Reference: http://www.city.nagoya.jp/kita/ |