市電のある風景・名古屋

 (5) 大須界隈  
日本国旗
 
撮影: 1968, 制作: 2015/5 

笹島町から六反小学校前を経由して、水主町、大須方面に通じていた路線をご紹介します。大須は、江戸時代から400年の歴史がある繁華街です。市電が廃止された1970年代には一時衰退していましたが、最近新たなオタク文化の発祥地として脚光を浴びるようになりました
 名古屋市電大須系統
Nagoya City Tram at Ohsu, Sep-1968

名古屋市電大須系統   名古屋駅前から笹島町を過ぎて、南へ行くと下広井町です。1967年に開業した名鉄バスセンターからの誘導路が左に見えます。右に見える点線の先は、百メートル道路の若宮大通につながっています。



(1968/9/8)

名古屋市電大須系統   下広井町にある日本通運名古屋支店の前を、古豪の1300型が走っています。
この線には、循環の[3]、堀田駅行き[30]、新瑞橋行き[35]の3系統が走っていました。
名古屋市電大須系統   市電の走る通りの西側に、国鉄と名鉄線の走る高架が延々と続いています。
名古屋駅が笹島から現在地に移ったのが1937年で、同時に市電が延長されましたが、写真の区間はその3年後、1940年に開業しています。


(1968/9/11)

 名古屋市電大須系統   六反小学校前の電停です。画面の奥に名古屋駅前のビル群がかすかに見えます。
 名古屋市電大須系統   六反小学校前で市電は90°向きを変えて、東へ向かいます。通りの北側には背の高い瓦屋根の住宅が並んでいました。
名古屋市電大須系統   水主(かこ)町の交差点です。八熊通り行きの[80]系統が、左折しています。
「水主」というのは船を操る水夫のことで、堀川を利用した水運に因む町名です。同様の電停名に熱田区の「船方」があります。


名古屋市電大須系統   堀川にかかる岩井橋を市電が渡ります。この橋は、大須(門前町)~水主町の市電開通に合わせて、1923年に竣工しています。橋の側面、アーチ桁の上には、渦巻き状の飾り板が付いています。戦前から存在する飾り板は大変珍しいものです。また、右側にある石段は、荷揚げ場の遺構です。
名古屋市電大須系統   岩井通一丁目の電停です。背景は白山神社で、緑の少ない市内では珍しく、こんもりとした森になっていました。
 名古屋市電大須系統   名古屋市電大須系統
西大須の南東角には屋内スケート場があって、四季を問わず滑走を楽しむことができます。伊藤みどりさん、浅田真央さんもここで練習しました。向かいのボウリング場の前に、市電が写っています。    大須観音参詣の最寄り電停、西大須です。大須観音は、「清洲越し」で名古屋の町ができた時に、岐阜羽島の大須からこの地に移転してきました。
 
名古屋市電大須系統   大須門前町の入口、大須電停です。大須観音のほかに、万松寺(ばんしょうじ)、総見寺、七寺(ななつでら)など多くの寺院が近隣から集められ、寺町を形成しています。大須界隈はその門前町で、同時に商業の中心、歓楽街としての顔も持っています。
冒頭の写真は、一筋東の裏門前町通りで撮影しました。
名古屋市電大須系統   上前津の交差点、奥が西方向になります。ここは坂道の頂上になっています。ここに立つと、名古屋ご城下が台地の上に形成されていることが分かります。
名古屋市電大須系統   上前津の交差点から東方面は、下り坂になっています。南側にあるビルはマツダの販売店で、ユニークな広告塔が目を引いていました。


※現在はサラ地になっています。

名古屋市電大須系統   坂の下に新堀川があり、市電は記念橋を渡ります。現在は高層マンションが多数建てられていますが、当時は両岸に材木問屋が並んでいました。
記念橋は、1910(明治43)年に鶴舞公園で開催された博覧会を"記念して"、その前年に架け替えられました。市電の路線もその博覧会に合わせて、新栄町~鶴舞公園~上前津が開業しています。

名古屋市電大須系統   [30]系統の主力、2000型の勇姿を大池町で撮影しました。走行性、静粛性において、日本の路面電車史を飾る最高傑作と言われています。すっきりした窓配置とZパンタを載せた外観は、1950年代の製造とは思えない斬新なデザインです。クーラーを搭載すれば、高性能電車として現代でも十分使用できる車両です。
名古屋市電大須系統   大池町には名古屋商工会議所のビルがありました。1923(大正12)年の竣工で、列柱のある鉄筋コンクリート造り、銅板葺きの堂々たる建物です。名商の機能は、撮影の前年1967年に、白川町(伏見通り)へ移転していました。
 
名古屋市電大須系統   大池町から東を見ています。この先のつきあたりが、鶴舞公園です。
名古屋の道路は戦災後に整備された箇所が多いのですが、 この区間は明治時代に造られたいわゆる十八間(33m)道路です。

References: 
http://www.horikawa-lions.com/siryou/cd-rekisi-014-iwaibasi/iwai_bashi.htm
http://www.nagoya-cci.or.jp/history/index.html
http://www.osu.co.jp/what_osu/yurai.html 


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