(3) 中村線 |
撮影: 1968~1969, 制作: 2015/2, 改訂:2024/8 |
笹島町から国鉄のガードをくぐり、西へまっすぐに延びていたのが市電中村線です。この線のルーツは1913年(大正2年)10月に、名古屋土地(株)という不動産会社が新規に開発した住宅地のために敷設した軌道です。起点は明治橋(笹島警察署前)、終点は中村公園でした。当時、国鉄の名古屋駅は笹島町にあって、汽車は地上を走っていました。線路を越える往来のための明治橋があり、その西側のたもとから出発する独立した路線として開業しました。 その後1926年に社名が中村電気軌道となり、さらに1936年(昭和11年)には名古屋市に譲渡されています。翌1937年に国鉄名古屋駅が現在地へ移転し、国鉄線が高架に移設されました。この時、新しい名古屋駅前に至る市電が新設されましたが、笹島のガード下にも市電の線路が造られて、広小路通に繋がったという歴史があります。 |
まずは前回の続きを少々。ここは広小路通、柳橋の電停です。この辺り、交差点の西側には高級なキャバレーがたくさんありましたが、貧乏学生には無縁の場所でした。 (1969/9/5) |
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こちらは道路の南側にある三井物産のビルです。アーチが並ぶレトロな外観でしたが、現在は新しいビルに変わっています。左奥に柳橋の交差点がわずかに見えます。 車両は1800型の後期タイプですが、ワンマン化される前の姿です。 (1968/9/20) |
柳橋から笹島方面へ行った所です。道路北側の建物を写していますが、この並びはすっかり建て替えられています。行き先が[臨]系統の稲葉地行きになっていますので、この付近で折り返していたと思われます。 広小路通の市電(正式名称:栄町線)は、1898年(明治31年)5月に、名鉄の前身となる名古屋電気鉄道(株)が開業した路線です。国鉄の初代名古屋駅が市街地から離れた笹島村に出来たため、駅と市の中心部を結ぶ目的で造られました。拡幅された広小路通を、笹島(駅)から久屋町(武平町)まで、ほぼ一直線に線路が敷設されています。 (1969/9/5) |
柳橋~笹島町の間に、奇抜なデザインの日本相互銀行がありました。周囲がすっかり変わり、現在訪れても撮影場所を示す痕跡がありません。蟹のレストラン付近だと思います。 ちなみに、日本相互銀行→太陽銀行→太陽神戸銀行→ →太陽神戸三井銀行→さくら銀行→三井住友銀行と変遷しています。写真は、太陽銀行になる直前に撮影しました。 (1968/9/20) |
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笹島町の電停です。ビアホール・ミュンヘンの看板が見えるのは、新名古屋ビルの南館です。 1803号の手前に、なつかしい初代マツダ・ルーチェのタクシーが写っています。 (1969/9/5) |
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笹島のガードをくぐるところです。高架線路を80系の湘南電車が通過していきました。 (1969/6/24) |
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ガードを越えた西側にやってきました。ここから市電中村線になります。丁度新幹線と交差するところを撮ることができました。この当時は、もちろん団子鼻の0系です。 笈瀬通の電停にある歩道橋から200mm望遠レンズで撮影しました。 |
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上掲の写真より少し東側、笹島ガードの南西側から西方向を向いて撮影しています。背景の愛知信用金庫は今も同じ名前でこの場所にありますが、スマートな9階建てのビルになっています。 |
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笈瀬通の電停です。画面の右方向が笹島方で、道路の北側を見ています。 背景にパチンコ店が見えます。名古屋では電停ごとに店があると言われたほど、パチンコが盛んでした。しかし市電がなくなるのと時を同じくして、多くの店が郊外へ出て行きました。 |
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太閤通三丁目の電停です。1989年(平成元年)に地下鉄桜通線が開通し、中村区役所駅になっています。 [2]系統は1800型が主力でしたが、珍しく1600型の車両が写っています。前面左上に2つの続行灯が見えるので、廃止された下之一色線から移ってきたことが分かります。 ※2023年に中村区役所は松原町の総合庁舎に移転しました。地下鉄の駅名は太閤通になっています。 |
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ここは大門通です。かつて反映した中村遊郭の入り口です。遊郭が大須から移転して来た時に土地を提供したのが、中村線を敷設した名古屋土地です。 (1969/6/25) |
大門通~楠橋で撮影しました。現在、この付近は両側にずらりとマンションが建ち並んでいますが、当時このような高層マンションは非常に珍しかったので、特別に撮影した記憶があります。 |
中村公園の大鳥居です。高さは24mあります。鳥居をくぐって右へ500mほど歩くと、豊臣秀吉を祀った豊国神社に至ります。天下人となった秀吉の生誕地です。背景のビルの屋上に、オカダヤとJUSCOの文字が見えます。岡田屋の名称がJUSCOに改称された頃で、現在のイオンです。 |
開業時の終点は中村公園でしたが、戦後になって鳥居西通までの1区間が1955年(昭和30年)に開通しました。 |
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さらにその先、鳥居西通~稲葉地町の風景です。この1区間は、上掲の翌年に延伸された新しい区間で、美しい敷石が整然と敷き詰められています。画面奥が稲葉地町で、その先わずかに右へ曲がっているところが庄内川の新大正橋、名古屋市の西の境です。 |
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上掲と同じ区間です。柳の並木が続いていました。 |
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終点の稲葉地町です。手前の引き込み線が車庫に繋がっています。 |
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稲葉地車庫です。トラスの骨組みが見える大きな屋根の建屋内には、点検用のピットと洗車機がありました。左には市バスの姿も見えます。 |
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稲葉地車庫には1800型が集結していました。右の3両は最後までツーマンで残った前期タイプ、左端がスカートの付いた後期タイプでワンマン化直後の姿です。よく見ると、車両によって運転台の窓形状が異なります。 手前にトラバーサが写っています。車両を平行移動させる装置で、必要な車両を取り出すことが出来ます。 |
「市電のある風景・名古屋」ではタイトルの通り風景が主題ですので、車両の説明は概略に留めています。 詳しい解説を必要とされる方には、下記の成書がお勧めです。 服部重敬・著 「名古屋市電 (上), (中), (下)」 ネコ・パブリッシング, 2013年 |