市電のある風景・名古屋

 (2) 広小路通  
日本国旗
 
撮影: 1968~1969, 制作: 2015/1 

名古屋の街は1600年代の初頭に、都市計画によって造られました。徳川家康が西国の防備のために名古屋城を造った時、かつて織田信長の時代に栄えた清洲の町をそっくり移転させた、いわゆる「清洲越し」がその起源です。城の南側には見事なまでに碁盤の目状の区割りがなされ、多くの商家が建ち並んでいました。広小路通は、町屋の区割りの南端にあった東西の通りですが、その後名古屋の中心に位置する繁華街となりました。東京の銀座と同じく柳の並木が植えられ、「広ブラ」という言葉も生まれました。
ここは主要な金融機関が軒を並べるビジネスの街でもあります。今回は、広小路通を走る市電に乗って、古い銀行の名前を探しに出かけましょう。

名古屋市電広小路通 
Nagoya City Tram at Hirokoji Fushimi, Sep-1968

名古屋市電広小路通   出発点はここ、栄の電停です。ここから東への路線はすでに1967年に廃止されていて、電停は交差点の西側に移されていました。遠くに武平町の電電公社マイクロウェーブ塔が、小雨にかすんで見えます。
栄の北西角にある日本生命ビルに三和銀行の看板が掛かっています。その向こう北東角は、不思議なことにいつまでもビルが建たないことで有名でした。

名古屋市電広小路通   広小路通を少し西へ行った呉服町交差点から、栄方面を見ています。左にある栄町ビル、右の丸栄百貨店、いずれも今猶健在です。


名古屋市電広小路通   現在は背の高いビルが増え、歩道の拡幅や柳に替えて植えたケヤキの成長などが重なって狭く感じますが、当時の広小路通は文字通り広々としていました。
右奥から丸栄、明治屋、丸善、安田信託銀行の順に並んでいます。
小生railbusのお気に入り、ツーマンカーの1600型が東へ走り去っていきます。終点が近いので、もう方向幕が稲葉地に変わっています。

名古屋市電広小路通
広小路本町の電停です。バックは東海銀行の本社社屋です。1961年の竣工で、堂々とした白い建物が異彩を放っていました。現在も三菱東京UFJ銀行の名古屋中央支店として使われていますが、建て替えの話が出ています。
車両は最古参の1300型1309号。

 
   名古屋市電広小路通
同じく本町電停の北西角にあった大和(やまと)生命ビルは、コーナーが丸みを帯びた外観で知られていました。大和生命は経営破綻してPGF生命に吸収され、このビルは取り壊されて駐車場になっています。車両は最新の2000型2004号。
名古屋市電広小路通   上掲写真から1筋南、長者町交差点を走る[11]系統です。柳の木の下で待っていると、先程の1309号が栄を往復して戻ってきました。
背景にあるギリシャ神殿風の列柱を持ったビルは、中央信託銀行です。1926年(昭和元年)に旧名古屋銀行の本社として建てられました。名古屋市の都市景観重要建築物に指定、保存されています。

名古屋市電広小路通   さらに南へ行くと、長者町と長島町通の間に野村證券の名古屋支社がありました。現在は7階建ての新ビルに変わっています。
走っている市電は[2]系統、笹島町から駅方向へ曲がらずに、まっすぐ稲葉地へ向かう系統です。

 
名古屋市電広小路通   伏見通の交差点です。背景の東京銀行は、三菱と合併後の店舗整理で消滅。その跡地を含めて、隣に見える4階建ての電電公社ビルが、NTTデータの18階建て高層ビルに変身しました。
画面奥に、冒頭に掲げた三井、住友の両行が見えます。まさか隣同士の銀行が合併するとは、・・・。

 名古屋市電広小路通   伏見通を越えて少し西へ行ったところです。三菱信託銀行の並びに同和火災海上のレトロな細長いビルがありました。現在この一角は建て替えが進み、このユニークなビルは残っていません。


(1968/9/19)
 
名古屋市電広小路通   饅頭で名高い納屋橋(なやばし)の電停です。背景はヤマハビル。ここには音楽関連の商品なら何でも揃っていました。小生railbusも掘り出し物の洋盤レコードを探しに、よく訪れた所です。 


(1968/10/16)
 名古屋市電広小路通   納屋橋には映画館が数軒かたまっていました。背景の名宝スカラ座は外国映画の封切館です。一歩脇道に入ると飲み屋やちょっと怪しげな店がたくさんあって、歓楽街となっていました。 
尚、1966年までこの電停の名前は「納屋橋東」でした。「納屋橋東、名宝前」というアナウンスがあったように記憶しています。
名古屋市電広小路通   堀川に架かる納屋橋を市電が渡っています。堀川は名古屋城築城と同時に掘削によって造られた運河で、工事を指揮したのは福島政則と伝えられています。初期の名古屋ご城下は、このあたりが西の外れになります。


(1968/9/19)

名古屋市電広小路通   納屋橋から西へ少し歩くと、柳橋の交差点に至ります。ここで南北に走る江川通の市電と交差していました。現在この通りの上には名古屋高速の高架道路があり、このような広い交差点の風景は望めません。
中央奥、「菊正宗」の広告の下に「廣寿司」の本店が見えます。名古屋一の老舗寿司店で、穴子の切り寿司が有名です。不幸にもこの本店は1971年に火災で焼失しました

(1968/10/16)
 
名古屋市電広小路通   柳橋の交差点を渡ったところに富士銀行がありました。北西角の一等地ですが、現在は駐車場になっています。
車両は「無音電車」と呼ばれた1800型の後期タイプ1826号です。1800型は、この路線に集中配置されていました。走行音が静かな弾性車輪を採用、全軸に外付けのドラムブレーキを装備しています。写真はワンマン化直後の姿です。


(1969/9/5)
 今回はここまで。柳橋から西の区間については、別途ご紹介します。 

↓「津島軽便堂写真館」様にも広小路通を走る名古屋市電の素晴らしい写真があります。ぜひご覧下さい。
http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/nagoya-tram/n-hirokouji.html



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