K-CARスペシャル取材

あるイベントに参加していた時、取材要請を受け、今日取材となりました。

取材を受ける側としては一向に慣れない。取材する側ならば仕事としてこなしますが。

カメラ嫌いなんですね。俺はダメです。撮る側ならば問題なく行動しますが。

結局人嫌いだからなのだと思います。

目立とう精神があまりないというのも、性格的に表れていると感じます。俺はあくまでF6Bカプチーノと生活を共にできればそれで満足なのです。

ひそかに生きる方が案外難しいのも確かですが、世界に一台だけ、自分だけのF6Bカプチーノですので、あれやこれやと細かく説明しても

見ている側としてはピンとこないのではないかと思います。

俺の内側にある思い

それは「こうあればよい」とか「こうあったらよいのにな」という願望を叶えられただけでも十分に幸せなのです。F6Bエンジンをカプチーノに搭載することというのは、そうそう簡単にできるものでもなく。やはりかなりの「アツサ」が必要なもの。

順序立てて取材者に説明するにも様々な作業があったことを考えると意味不明になり、アレ、コレといった指示語では相手に到達しない。

やはり俺は文字にした方が楽と思えてしまう。

取材の最後、我がF6Bカプチーノのステアリングに触ってもらったが、本来触られるのも嫌。

世の中に周知する方法としては紙媒体を使うのも良いが、文体手法に恵まれているかどうかといったら編集者はあまり良い文言も載せられない。

相手にどのように伝えるか、が分かっていないというのが印象深かった。

新聞やWebニュースのような記載方法とは異なっているため、これでいいのかね。という思いがこみ上げてくる。

なかなかF6Bカプチーノの良さは製作したものでなければ分からないといったところ。

 面白可笑しくは俺には合わない

最近のKスペは楽しくないね。どこを見ても外観重視で中身がない。かれこれ何年もこの誌は買っていない。

理由は、内容がつまらないから。

動画にはかなわないのである。モノづくりを主体として動いている俺は、やはり地味に地味に進む方が良いのだろうと思って今に至る。

日の目を見なくても別に構わないとも思っている。

セルボモードとF6Bカプチーノとは対照が違うし、独特の個性があるからこそ光って見えるのだと思う。

その辺のことも踏まえた取材であったならば、とても光栄である。(少々疑いはある部分があったが)

映像化したときに、きっと俺の思いは通じるのかもしれないな。

写真の方が映像より好きな部分であるものの、流れる、時を切りとるの違いなのだろうが今回の取材で感じたこと。

取材受領したときから違和感があったし、その時思った言葉も「映像にはかなうまい」である。

編集者の動きをみていても、取材する側、される側間における失礼な態度(特にカメラマン)はよく覚えておきます。

Sさんは真面目なんだけどね。クルマを媒体にする編集者なのだから、もう少しメカニカルな面を突っ込んでもいいんじゃないかと。

F6Bカプチーノはチューンドカーなんだし、末永く乗れる仕様として設計開発したのだからそのあたりの真意についても触れてよかったんじゃないかねと思うところが多いのです。
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F6Bカプチーノ爆誕秘話 製作委員会


   F6Bカプチーノが走る道

現在も自分自身の整備力と加工技術の積み重ねは続いています。年齢を重ねれば作業できる範囲は限られてくるかもしれません。しかし自分の力で創り上げる楽しさを自身が死ぬまで追求できればと考えています。

限られた予算設定の中で、知恵=学習してきた努力、今まで経験し培ってきた技術と技能を用いて自分の理想というものに少しでも近づいていきたいと思います。

異種エンジン搭載は独力で行うにはハードルが高すぎますが、いろいろな手法を用いて楽しむことで実現可能になるかもしれません。俺はそうして作業してきたから。だからそれについての証明は出来ていると思います。

昔は、理想を追い求める姿勢が大切と思ってきましたが、最近は理想というと極限の世界に見えてしまいがちだからそうなるように努力するに思い方法を変えてきています。後は時間と場所、そして技術と技能を常に向上させる努力でしょうか。

俺はいまも、F6Bカプチーノやその他触ってきたクルマたちが自由に、のびのびと走れるフィールドを用意してあげることができればそれでよいと思っています。

最近のクルマは設計力もレベルアップし電子化が進み、数十年前のクルマとはもう次元が違う世界。F6Bカプチーノ他の旧車は現代世界に特有なデジタルカチコチの世界の中に置くことはせず、ほぼアナログといってよい独特の文化とフィールドの中にその存在を置くようにしています。

最新鋭のクルマたちは見た目も中身もすごいのだろうが、F6Bカプチーノたちと比較してしまうとあらゆる意味で見劣りするかもしれません。

ですが、今あるクルマたちはその世界のトップを基本に進歩してきただけのカタチです。だからある意味先輩後輩の世界でいったら後輩君なのです。

F6Bカプチーノは古く、カタチ自体も今のデザインには合致しないものでしょう。ハシリも弱い。そう思うところもあるかもしれません。

ただし、持ち主オーナーが少しでも整備して維持できていれば見劣りする点は全部払しょくされ、気持ちが離れなければ最新鋭にも機械的性能を上回ることが可能になります。

直線の速さ、コントロール性はいつでも可変することはできるのだから。多方面考えてもF6Bカプチーノは独特の雰囲気と優越感を持ちつつ今も走り続ける。

飽きないのです。

取材時もいつもクルマばかりいじくりまわしていることを知っている近所の方々も

「プロとして店を持ち、経営してみるのはどうだろうか?」と

でも、俺は自然体として進んでいければそれでよいと思っている。俺自身で自ら評価しようとするならばプロもプライベータもその領域はなくなっている世の中になって、プロとしての仕事現場と個人の作り手とのギャップはいつも感じる。

数値だけでは判断できない領域が見え隠れしますし、現場にしかない楽しさや辛さがそこにはある。NHKの「魔改造の夜」を見ているとよくわかる。

全部独学で覚えてきたこと。F6Bカプチーノ製作は独学でもできるということを立証できたと思っています。

プロになるための方法は、ここでは記載するつもりはないが特別な師匠がいたからこそ達成できたものと思います。ある意味モノづくりの神様のような方でした。

 俺が考える機会と経験

俺の師匠の言葉をかりるとするならば

「設計力と整備力、加工技術、材料力学の向上すること」そうすることで、ひとつの世界を作り上げることができる

それも、自分だけのもつ特殊な世界構造になる。と

技術分野は違いますが、俺の世界の中ではそれを生かし切れる環境が存在しそして自分で何かを創ろうと努力したことも大きい。技術分野の違いと書いたのは、最後は繋がっているということ。師匠はモノづくりの神でしたから、意識や精神のカタチは異なるものの、作るというキーワードは同じ。

最後は誰にも頼ることなく、そして失敗を重ねることでその失敗も恐れることはなくなり、何事にも整備、加工にトライしてみるというその気持ちが重要大切。つまり必ず作ってみせるという精神力とイメージ力と思います。

数多く無限に投稿される動画などを見ていると感じるものがある。何でも表現力に頼った手法では、大した商品は出来上がってこないものだと。

基礎力のない人間が多いのが動画世界に多いことも分かる。

人的労力は俺だけ、材料も工具も全部自分自身で用意して加工し、F6Bエンジンをカプチーノに搭載しています。

今も、以前も金さえ出せばできると思っている輩が多いこと、多いこと。

クルマに持たせるためのマインドは金では買えません。

数多くの人は第三者による人的労力を注ぎ込めば100%F6Bエンジンをカプチーノにドッキングできると思っている。

いや、それは出来ないと思った方がよいと。これを言うとうるせぇ~人が必ず出るから困りものだが

「だったら一度やってみて答え出せばいいんじゃないの?」と答える。

多額の資金を使った車は、そこで終わっている感が強すぎる。俺にはそれはできないしクルマの持つ資質を消すわけにはいかないと考えている。

プロ任せになるということは、当人間では良しの関係だろう。しかし何にも興味がないのに、無理に押し付けても誰も見向きはしない。

完璧を求めるならば自分自身に責任を持つしかないと思います。

今の整備士やスペシャリストの技術と技能は低下して上向きになることはないと感じる。それを教えようとする人も減り、理解しようとする側も理解不足に陥っているから、回復の方向が見えなくなる。最近のワカゾーは、知識ばかりで技能がないのよ。パソコンオタクかよ。って話が多い。

それと言い訳が多い。最初に謝っておけば問題ないことなのに、謝罪すらできないボケも多い。スズキ自販。トヨタカローラ店が特にね。

今の世の中、「使えない人」が多くなり、給料だけは上級者思考に。物価高にあれこれと経済事象としては最悪に。

情報のケーブルが発達し、手に入れたい情報が容易に入手できるようになったからこそ、正しい情報を正しく理解することが

本物のプロになれると思っています。

最近特に嫌だなと思うのは、クソ中華の台頭で滅茶苦茶な製品ばかりしか作れないのに、経済大国№1とほざいている点。

大した製品づくりもできないで、安い労働力があると言ってすり寄ってきた後、情報だけを抜き取っていかにも自分が開発した、生産した品物としていろいろやらかしてくれる。

不良品ばかり、コピー品ばかり作って何が楽しいのか。と思う場面が際限なく登場して、中途半端な能力でよくやるよというパターンが多すぎる。

限られた予算の中で品質の高い製作となると無理も無駄もできなくなるが、そこをその人がもつセンスやアイデアが勝負に打ち勝てるものと思います。
昔と異なり、今も同じかもしれないが「新品高性能商品購買主義」「高品質でなくても別にいい」とする市場ルールが横行して一時的に動いていればいいだろという考えを織り込ませたクソ商品ばかりが大量に出回るようになった。

最近はすべてにおいて中華、台湾に支配されて、高品質なんていう言葉は皆無。

ECUの中身だったり、センサー類を見ると分かる。やっぱり、メイドインジャパン最高なのよ。

旧車を新車にする時もMADE IN JAPANが良い。絶対にである。

どうしたら地球的規模で皆が幸せになるようにできるか

そんなことを考えていると、心の余裕すらなくなりつつある。

そういう時はどうするか?

自分の好きなことを作業してみて、自らの世界に浸る。それしかないのだろう。

とりあえず、F6Bカプチーノに乗り込み、エンジンを起動する。

起動する瞬間はいつも緊張する。そして起動できた後走り出す瞬間はいつもある世界に入り込み優越感に浸れる。

最高の瞬間と幸福に満ち溢れた世界へとF6Bカプチーノは誘う。

俺だけに与えられた優越感なのである。

まずは、Kスペ取材1回目完了。

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