病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛するB


「何か楽しいことでも思い出してたの?」

 過去の記憶に思いを馳せていた私は、その声で現実に呼び戻された。

 そっと目線を下げると、私の胸に顔をうずめるようにして目を閉じていたフラムアークの瞼がいつの間にか開いて、橙味を帯びたインペリアルトパーズの双眸がこちらを見つめていた。

 いけない、口元が緩んでしまっていたかしら。

「顔に出ていた? ええ、ちょっと懐かしいことを思い出していたの。貴方は少しは休めた?」

 微笑みで煩悩をくるみ込みながら柔らかな金髪を指で梳くと、その私の手を取ったフラムアークは自身の頬にそっと押し当てるようにした。

「うん、おかげさまで。ユーファを摂取したから、気持ちが整った」

 ? 珍しい言い方ね。気持ちが整った、だなんて。

 そんな彼の言い回しに軽い違和感を覚えたものの、さして気に留めずに私は頷いた。

「そう? なら良かった」

 大きく伸びをしてソファーから起き上がったフラムアークは私に手を差し伸べてソファーから立ち上がらせると、部屋から続くバルコニーへと誘った。

 今日は天気が良く、スッキリと広がった青空の下、帝都の街並を遠くまで見渡すことが出来る。

 緩やかな風に吹かれながらそれを見つめる二十八歳の若き皇帝は、感慨深げにこう言った。

「この景色を見る都度、実感するよ。帝都だけでもこれだけの人々が暮らしていて、その一人一人にオレ達と同じように守るべきものや大切なものがあって、そんな彼らの暮らしを、オレはみんなと力を合わせて責任を持って守っていかなければならないんだなぁって―――」

 そう語る彼の口調は決してそれを重荷と感じているわけではなく、あくまでもかけがえのないものとして捉えているというふうに感じられた。

「双肩に、沢山の人々の命運を担っている。そんなオレの原動力は、君なんだ」

 隣に立つ私を優しい瞳で見つめて、フラムアークはそう言った。

「幼い頃からオレの原動力はいつだって君で、温かく優しく、時には手厳しく、かけがえのない愛情をもってオレを支えてくれる、そんな君とずっと一緒にいたい、その一心で、子ども心に“皇帝の座(この場所)”を目指した。君はそんなオレの想いに応えてくれて、毎日厳しい皇妃教育を頑張ってくれている。それを心から嬉しく思いながら、そんな君を今すぐにでも自分の伴侶として皆に見せつけたくてたまらないのに、誰が作ったのかも分からないくだらない因習やしがらみに囚われて、その準備が思うように進まないもどかしさにジレンマを抱える日々だった。……でも、ようやくその目途が立ったんだ」

 その言葉の意味するところに私は大きく息を飲み、サファイアブルーの瞳をゆるゆると、限界まで見開いた。

「―――っ……、本当ですか!?」
「うん。長い間待たせちゃってごめんね」
「いえ、そんなっ……」

 かぶりを振る私に向き直ったフラムアークの掌には、どこに忍ばせていたのか、いつの間にか上品な小箱が出現していた。

「―――改めて……」

 そう口にして目の前でゆっくりと片膝をついたフラムアークの姿に、これから彼が何を成そうとしているのかを悟った左の鼓動が、忙しなく胸を叩き始めた。

 小さく喉を上下させる私を見上げる、少し緊張した様子の、けれど万感の想いのこもったフラムアークの表情―――彼が洗練された所作で私に向けて差し出した小箱に陽光が当たって、まばゆく煌めいた。

「ユーファ。オレにとって君は光だ。どんな暗闇の中にあっても決して消えることのない、温かくて柔らかな希望の光―――。君が隣にいてくれると、オレはどこまでも強くあれる。どんな困難に直面しても、君となら切り開いて未来に向かっていけると確信出来る。君は、オレの全てだ―――」

 端正な面差しに全ての想いを乗せて、フラムアークは私に求愛の言葉を贈った。

「全身全霊を賭けて、生涯君だけを愛すると誓う。―――どうか、オレのお姫様になって下さい」

 厳かに開けられた小箱の中には、彼の瞳の色と同じ橙黄玉石(インペリアルトパーズ)があしらわれた指輪が納まっていた。優美で繊細なフォルムに、彼の私への想いが詰まっていると、そう感じ取れるデザインだ。

 私自身はおぼろげでしかない、彼がまだ幼かった頃に私と交わしたという約束。その約束を求愛の言葉に代えてプロポーズしてくれるフラムアークを前に、私は胸がいっぱいになって、喜びの涙が溢れるのを止められなかった。


『ユーファは僕と結婚したいって、思える?』
『ふふ。私をお姫様にしてくれるんですか? フラムアーク様さえ宜しければ、喜んで』
『うん、いいよ。大きくなったらユーファを僕のお姫様にしてあげる』
『本当ですか? 嬉しいです。大きくなっても忘れないで下さいね』
『忘れないよ! 僕もユーファのこと、大好きだもん』
『まあ。私、幸せ者ですね』


 それは、私にとっては幼い貴方と過ごした日常の、微笑ましい出来事のひとつに過ぎなかった。だから、言われてみればそんなこともあったかな、という感覚で、私自身の記憶は定かではない。

 けれど、小さな貴方は本気だった。その時から死に物狂いで努力して、そして、それを現実のものとしてくれた―――。

「―――っ、ふ……、はい、喜んで―――。その愛に全身で報いると、誓います。私も貴方を心から愛しています―――フラムアーク」

 フラムアークの整った容貌に陽光のような笑みが広がり、私の左の薬指に、彼の瞳の色と同じ色の石を用いた指輪が嵌められる。

 これまでの様々な出来事が去来して瞼の裏にめくるめき、数々の困難を乗り越えてようやく彼の印を身に着けられる喜びと、それを実現してくれた、強くたくましい男性へと成長した目の前の彼の姿に次々と込み上げてくるものがあって、涙が止まらない。

「……っ、私、幸せです、フラムアーク。幸せ過ぎて、どうにかなってしまいそう……」

 すん、と鼻をすすりながら呟く私の涙をフラムアークは優しく指先で拭うと、微笑んだ。

「まだスタートラインに立ったところだよ。これから一緒に、もっともっと幸せになろう。―――ね? ユーファ」
「―――っ、はい―――はい……!」

 嬉し涙に濡れながら、私はこれまでにない最高の笑顔をフラムアークに返すことが出来たと思う。

 抜けるような青空の下、帝国の紋章をあしらった権威ある外衣を纏い私に微笑みかけるその男(ひと)は、この大帝国の皇帝だ。

 その治世の下、この国に大きな変革をもたらしその在り方を変容させていく、この男(ひと)はきっと、後世で語り継がれる不世出の皇帝となる。

 私は胸を張ってその隣に立ち、自分なりのやり方で精一杯、彼を支えていこう。

 バルコニーから望む帝都の街並は美しく栄え、その向こうにはここからは全容を見晴らすことも出来ない規模の広大な領土が広がっている。

 貴賤や人種に関係なく、この地に住まう全ての人々がつつがなく暮らしていけるよう、私達は絶えず努力していかなければならない。そしていずれは、そういったしがらみに囚われずに、誰もが自分の人生を選択し謳歌出来る世の中になっていくことを、心から願う。

 私達の婚姻は、その先駆けであり象徴だ。幸せな国に導いていく為にはまず自分達自身が幸せであることがとても大切で、大きな意義を持つことであると思う。

 互いを抱き締め合いながら帝都の街並を眺めやる私達の頭上を鳥達が羽ばたいて、彼方の空へ飛んでいく。

 宮廷という名の鳥籠に囚われ、その中で感情も行動も制限されうつむいていた私達は、もういない。

 共に手を携え合い、自分達の意思で、幸せに向かって歩いていく―――。







《完》
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