その火急の知らせは、意外な人物によってもたらされた。
「エレオラ? 久し振りだな。行き違いにならなくて良かった」
任務の為、地方へ赴く準備をしていたフラムアークはアズール城からの使いで来た彼女を自身の執務室へと迎え入れ、笑顔を見せた。
「お久し振りです、フラムアーク様。事前の了承も得ず突然の訪問、申し訳ございません」
余程急ぎの用件なのだろうか、自ら馬を駆ってきたというエレオラの肩甲骨の辺りまである青みを帯びた黒髪は風で乱れ、外套(がいとう)の下の身なりは城勤めの者が普段着用するワンピースのようだった。宮廷にいる皇族に面会しに来る服装とは言い難い。
エレオラの訪問を聞いて執務室へと集まっていた私とスレンツェがそんな彼女の様子に違和感を覚えていると、深く頭を下げたエレオラは思いがけないことを口にした。
「まずはお詫びをさせて下さい。私は、アズール城からの使いで来たわけではありません」
えっ?
「……だが、こちらへはアズール城からの使者ということで取り次がれている。その証である印章入りのプレートを君は持っているはずだが」
驚きを見せながらもフラムアークがそう返すと、エレオラは心持ちうつむいて、驚愕の事実を述べた。
「プレートは、私が無断で持ち出したものです。これがなければ、しがない一領民に過ぎない私が、貴方様にお会いすることは叶わないと思いましたので―――私が今日この場へ来たことは、ダーリオ侯爵は一切ご存じありません」
ええっ!? ど、どういうこと!?
彼女の言葉に私達はひとかたならぬ衝撃を受けた。それが事実であれば、エレオラは極刑に値する罪を犯したことになる。
いったい、どうして……!?
困惑する私達の前で、エレオラからその事実を打ち明けられたフラムアークはじっと彼女を見つめ、静かに尋ねた。
「……君がその行動に及んだ理由は?」
「身命を賭してでもお伝えしなければならない事案が発生したからです」
エレオラの青味を帯びた黒い瞳には、覚悟の色が宿っている。フラムアークは頷いて、彼女に話の先を促した。
「聞こう」
「はい。その前に、少し宜しいでしょうか」
エレオラはそう前置きをすると、私の傍らのスレンツェへと視線を向けた。
「スレンツェ様。カルロ騎兵長を覚えておいでですか?」
そう振られたスレンツェは、ひとつ瞬きしてこう答えた。
「カルロ騎兵長? もちろんだ。幾度も戦場を共にした間柄だ……アズール王国の名だたる将はそのほとんどが戦に殉じてしまったが、カルロは階級がさほど高くなかったこともあって、落ち延びたと噂で聞いた気がするが」
「そうです。九死に一生を得たカルロ様は、落ち延びた先で密かに反帝国を掲げるレジスタンスを組織し、雌伏(しふく)の時を過ごしながら、スレンツェ様、貴方を救い出す機会を窺ってきました」
「! オレを?」
「はい。貴方を帝国から救い出し、レジスタンスの指導者に据え、帝国への反旗を掲げる旗印とする。そして、帝国に反意を持つ諸勢力の協力を得て帝国を打倒し、やがてはアズール王国を再興する―――それがカルロ様の悲願です。……私は、そのレジスタンスの一員でした」
なっ―――。
言葉を失う私の隣で、スレンツェもまた言葉を失くしている。冷静にエレオラに問いかけたのはフラムアークだった。
「そのレジスタンスの名は?」
「“比類なき双剣(アンパラレルドゥ・デュアル・ウィールド)”―――かつてのアズール王国の生き残りを中心に結成され、君主の奪還と失われた国の再興を目指す、寄る辺のない者達の拠り所です」
“比類なき双剣(アンパラレルドゥ・デュアル・ウィールド)”―――。
「……その一員である君が自身の命を懸けてまで、何故組織を裏切るような真似を?」
そう問われたエレオラは苦い光を瞳に揺らして、複雑な心中を吐露した。
「私は……ずっとスレンツェ様のお心にも、カルロ様のような国の再興を期する業火が宿っているものと思ってきました。ですが……一昨年のベリオラの折、思いがけず皆様と行動を共にする機会を得て、今のスレンツェ様にはそのような復讐めいた重苦しい感情など、ないのだと……例えそのお心の内に辛酸をなめるような思いを秘められていたとしても、少なくとも今はそれを別の形に変えて、現在のアズールと関わっていこうとされている姿をお見受けして、初めて、私達の進もうとしている道は間違っているのかもしれないと思ったのです。私達がスレンツェ様の為にと勝手に進めてきたことは、もしかしたらスレンツェ様の意に反することになるのではないだろうかと―――」
私はいつかの寂しげだったエレオラの横顔を思い出した。
あれは確か……穴熊族の村で現在の帝国に対する感情を彼女に尋ねた時のことだ。エレオラは第四皇子(フラムアーク)の側近である私に率直な意見を述べることはためらわれると言い置いた上で、こう言っていた。
『ただ……フラムアーク様のお人柄には驚きました。その隣で、スレンツェ様が思いの外(ほか)穏やかな顔をされていることも。今回こうして帯同することが出来て、何となくですが、その理由の一端を知れたような気がします。スレンツェ様の置かれた境遇を垣間でも見ることが出来て良かった。少なくとも今、あの方が復讐めいた重苦しい感情に囚われていることはないようだということが分かりましたから……』
あの表情は……こういう理由だったの―――。
「迷いを抱えながらも今日(こんにち)まで組織を抜けずにいたのは、何かの動きがあった時にスレンツェ様にお知らせ出来た方が良いと考えたからです。本日、私はその為に参りました」
毅然と顔を上げたエレオラは、火急の事態を告げた。
「“比類なき双剣(アンパラレルドゥ・デュアル・ウィールド)”が皇帝グレゴリオの暗殺に動きます」
―――皇帝の暗殺!?
「事の始まりは数ケ月前、スレンツェ様の使いを名乗る男が秘密裏に組織に接触してきたことにありました」
「オレの使い?」
スレンツェが眉をひそめる。
「はい。その男はアズール王家に代々伝わるという懐剣をカルロ様に示し、それを確認したカルロ様は本物であると断じました。おそらく本名ではないと思いますが、『ブルーノ』と名乗る痩躯(そうく)で眼光の鋭い男です。ご存知ありませんか?」
「いや……覚えがない。王家に伝わる懐剣は確かにあったが、戦乱の折に所在が分からなくなっている。囚われの身となった際、オレの所持品は全て帝国に取り上げられたから、オレの元には王家の物は何ひとつ残っていないんだ」
「では、やはりスレンツェ様のご指示ではないのですね?」
「ああ。違う」
それを聞いたエレオラは、大きく胸をなで下ろした。
「良かった……それを聞いて安堵致しました。自分の直感を信じたまでで、こうしてスレンツェ様の口から確認するまで、確証という確証はありませんでしたから……。
ブルーノはカルロ様の信用を得る為、宮廷内の具体的な情報や皇帝の動向などを提示してきたのですが、裏付けの結果、それらは全て本当でした。当初は警戒感を抱いていたカルロ様も次第にブルーノに信頼を置くようになり、やがてスレンツェ様の使者として認めるに至ったのです」
「……だとするとスレンツェを騙(かた)る偽物は、宮廷内にいることになるな」
難しい表情になったフラムアークにスレンツェが硬い声で同意する。
「そうなるな……それもだいぶ深いところに」
一体誰が、何の目的でそんなことを……? 嫌な予感しかしない。
「五年前、スレンツェ様がフラムアーク様の側用人としてアズールへ帰還された際は、我々としても思いがけぬことで非常に驚きました。ご無事を確認出来て安堵する反面、我々の主上をあたかも皇子の側仕えとして周囲に知らしめるような帝国側の扱いに強い憤りの声も上がりましたが、当時は組織としての力がまだ充分に蓄えられておらず、ほぞを噛んで見守るより他にありませんでした。そして一昨年、ベリオラに喘ぐアズールへ駆け付けて下さった時には、蔓延する疫病の前に時機を見送らざるを得なかった……。カルロ様はずっと、帝国からスレンツェ様を救い出せないご自分に忸怩(じくじ)たる思いを抱き続けてきたのです。
そんなカルロ様にとって、ブルーノからの接触はまさに渡りに船でした。ようやくスレンツェ様を迎えに行ける時が来たのだと、万感の思いを抱いておいででした。そしてブルーノがスレンツェ様を救い出す手段として持ち掛けてきたのが、外出先での皇帝の暗殺なのです」
「! まさか……!」
フラムアークの顔色が変わった。その理由に思い当たった私達も息を飲む。
皇帝グレゴリオはまさに今、第三王子フェルナンドを伴って外遊に出向いている最中だった。諸外国との会談が滞りなく済めば、十日後には船で港のある帝国領イズーリへと帰着する予定になっていたはずだ。そこから馬車に乗り換えていくつかの領地を経由し、宮廷へと戻る手筈になっていたと記憶している。
「カルロはどこで皇帝を狙うつもりだ!?」
デスクの上に帝国の地図を広げながらフラムアークが問う。
「緘口令(かんこうれい)が敷かれていて、詳細は幹部クラスにしか知らされていません。しかし、地理的な条件と物資の備蓄、動員される人員数から鑑(かんが)みるに―――」
「―――ゼルニア大橋か」
スレンツェの指が地図上の一点を示した。
ゼルニア大橋はイズーリ領とその先の南のテラハ領を繋ぐ交通の要衝で、アズールはテラハの北東に隣接している。
「皇帝は一個師団を随行している。大きな部隊が通れるような道は他にないから必ずここを通るし、平地と違って逃げ場の少ない橋の上なら狙いやすく討ち漏らしづらい」
「私もそう思います。カルロ様はおそらくここで皇帝を急襲するつもりでしょう。ブルーノによれば、スレンツェ様は皇帝暗殺の混乱に乗じてフラムアーク様と共謀し、宮廷を占拠する算段となっているそうです。その後、スレンツェ様は離脱してカルロ様と合流する流れになっていると」
「ええ? オレと共謀して!?」
突然共謀犯として名前を上げられてしまったフラムアークは素っ頓狂な声を上げた。
「はい。何でも幼い頃から病弱で身内に不遇されて育ったフラムアーク様は、皇帝を始めご兄弟に対してとても深い恨みを抱いており、いつか皆に思い知らせてやるのだと、虎視眈々(こしたんたん)とその機会を狙っていたとか」
「いや、あながち間違っていないから困るな……理屈として通っちゃうよね、それ」
フラムアークは何とも言えない顔をして私達を見やった。
実際、彼が不遇されて育ったのは周知の事実だ。フラムアークの人柄を知らない者からしたら、納得のいく理由として受け止められてしまうだろう。
「オレとスレンツェでクーデターを起こすってことか……あいにくとそんな準備はしていないからそんな動きは起こりようもないし、例えカルロが皇帝を討ち取ったところで、“比類なき双剣(アンパラレルドゥ・デュアル・ウィールド)”は旧アズールの残存勢力として、その場でフェルナンド率いる帝国軍に粛清されて終わりだ。カルロが率いる軍勢の規模は?」
「八千、といったところでしょうか。皇帝の暗殺が成されれば、協力関係にある諸勢力も加わってもっと大規模な数になると思いますが……」
「八千……皇帝の率いる一個師団の半分程度だな。地の利と急襲が功を奏せばやれなくはないか……だが、分は悪いな。同行しているフェルナンドがそれを許すとは思えない」
フェルナンド……そういえば、今日これからフラムアークが向かおうしていた任務は、元々はフェルナンドが請け負うはずのものだったのよね……。皇帝の外遊に彼が付き添うことになって、急遽フラムアークの元へと回ってきた案件なんだもの。
その任務地は、宮廷からもイズーリ領からも遥かに距離のある場所。何か不測の事態が起こったとしても、すぐに取って返すことは出来ない場所―――。
「―――……」
まるで氷を飲み込んだかのように胸の奥が冷たくなった。
この状況で作為を感じるなと言う方が、無理だ。
「あの、フラムアーク様」
不安になってそれを申し出ると、フラムアークとスレンツェもやはり同じ考えに至っていたらしく、私の杞憂を肯定した。
「うん。十中八九、間違いないな。よほどオレが気に入らないらしいが、心の底から反吐の出るやり方だ。あいつの目論み通りにはさせない」
「レジスタンスが皇帝の暗殺に成功すれば、それを討って皇帝の仇を討った英雄に―――そしてレジスタンスが皇帝の暗殺をしくじれば、やはりそれを討ってアズールの残党から皇帝を守った英雄に―――か。事前に急襲を知っていればいかようにも対処出来るだろうし、どちらにせよ次期皇帝を第三皇子に、と望む声は大きくなり、より現実味を増すだろう。何しろ諸外国との会談に奴を同伴している時点で、次期皇帝候補の筆頭と公言しているも同然だからな」
「カルロが皇帝を急襲すれば、その時点でオレとスレンツェはクーデターの首謀者に祭り上げられる。無実を主張してどう申し開きしようが、いくら状況証拠を並べようが、それが覆ることはないだろう。現状の審議制度ではフェルナンドの思うままだ。それに……少なくともカルロは、スレンツェの指示だと信じてこの作戦に全てを賭けて打って出ている」
暗澹(あんたん)としたフラムアークの言葉にスレンツェは色が変わるほど両の拳を握りしめた。
「クソ……ふざけるな! こんなことでカルロを、またしても同胞を失ってたまるか……!」
スレンツェ……!
ぎゅっと唇を結ぶ私の前で、フラムアークはスレンツェに向け、力強く言を紡いだ。
「そうだ、こんなことがあってたまるか。こんなこと、絶対に現実にするわけにはいかない。何としてでもオレ達で止めるぞ、スレンツェ」
苦悩に揺れるスレンツェの切れ長の黒い瞳を、フラムアークの橙味を帯びたインペリアルトパーズの瞳が深く照射する。
「“比類なき双剣(アンパラレルドゥ・デュアル・ウィールド)”が皇帝を急襲する前に、どうにかして彼らに接触し、カルロを説得しよう。説得出来なければぶつかって、力尽くでも彼らを止める。それしかない」
「しかし、力尽くと言っても、相手は八千だぞ」
「問題はそこだ……現状、差し迫った理由がない限りオレの一存で宮廷からそれだけの兵力を捻出することは出来ない。それに、下手に動いてこっちの動きをフェルナンドに知られるのもまずい」
フラムアークはデスク上の地図に目線を落とし、じっと考え込んだ。
「うん……苦肉の策だが―――時間もないし、仕方がない。ここで試すことになるとは思わなかったが、オレのこれまでの集大成をここに賭ける。これまで培ってきた人脈を総動員して即席の連合軍を募るんだ。八千に及ばずとも、近しい数はどうにか集まると思う……多分」
「……最後の『多分』が何とも心許(こころもと)ないな」
「いや、何しろ時間がないからな!? 急なことだし、遠方からの援軍は望めない。どうしても都合のつかない者も出てくるだろうし」
「お前の人徳次第、か」
「うーん……諸侯に値踏みされる気分だよ。……まあ実際そういうことだけど」
「ふ。まあそこに、人生を賭けてみるのも悪くない」
スレンツェはそう言って少し笑うと、精悍な顔を引き締め、エレオラに改まって願い出た。
「エレオラ。危険を冒してまでこの件を伝えてくれたこと、深く感謝する。そんなお前に、オレは何も報いてやれるものがないが……その上で頼みたい。カルロを止める為に、お前の協力が要る。悪いが最後まで付き合ってもらえないか」
既に腹を固めている様子のエレオラは、口角を上げて頷いた。
「はい、もちろんです。私はその為に参りました。組織に加わってから武器の扱いも覚えましたし、馬の扱いもお任せを。貴方の手として、何なりとお使い下さい」
「すまない……感謝する」
そんなエレオラにフラムアークが改めて尋ねた。
「ところで、エレオラはレジスタンスの中でどういう立ち位置にいるんだ? 幹部クラスではないとのことだが」
あ、そこ大事よね。私も気になっていた。
「私は加入年数で言えば古参の部類に入りますが、元々貴族の娘で出来ることも少なかったですから、しがない一構成員といったところです。武器や体術の訓練も受けましたが、組織では主に備品の管理をしていました。後は偶然ですが、何度かスレンツェ様と接触する機会を得られましたので、カルロ様にはその都度報告を……」
「そうか。分かった、ありがとう。あ、ユーファはもちろん強制参加だよ。薬師として後方支援に携わってね」
フラムアークからそう告げられた私は、胸がひりつくような緊張感を覚えながらも、自分も彼らの仲間としてこの作戦に関われることを嬉しく思った。
私達は一蓮托生―――あの時の誓いを、フラムアークは守ってくれている。
「はい。みんな、なるべく私の世話にならないように気を付けて下さいね」
突然突きつけられた、後のないこの状況に怖いという気持ちを抱かなくはなかったけれど、エレオラという協力者を得て、狭いながらも活路を見出せている現状を幸運に思うべきだ。そう思った。
元よりこういったことも覚悟で、フラムアークとスレンツェと共にいると決めたんだもの。後ろは振り返らずに、前だけを向いていこう。
フラムアーク二十一歳の晩夏―――私達は“比類なき双剣(アンパラレルドゥ・デュアル・ウィールド)”を止める為、慌ただしく動き始めた。