病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

十八歳A


「あの……助けていただいて、ありがとうございました」

 第五皇子エドゥアルトの護衛を務める狼犬族の女剣士に思わぬところを助けられた私は、そう言って彼女に深々と頭を下げた。

「ああ、いいってこと。気にしないで。私ああいう陰湿な女、大っ嫌いなんだよね。言いたいことがあるんならこそこそしないで一対一で堂々とやれっての」

 あっけらかんと吐き捨てて、彼女は私に微笑みかけた。

「面識はあるけど、こうして話すのは初めてだよね? 私はラウル。いつぞやは主がお世話になったね」
「ユーファです。こちらこそ、その節は主がお世話になりました」
「ふふ。主達の今後によっては敵となるか味方となるか分からないけど、私個人としてはユーファに好感を持ったよ。柔和な見た目に反して豪胆なんだね」
「大人げなく怒ってしまいました。もっと上手いやり方があったのかもしれないですけど、出来なかったし、思い付かなかった」
「いい啖呵だったよ? 私はスッとしたけど。あのくらい、バカ令嬢達にはいい薬じゃない?」
「はい。私も後悔はしていません」

 少し口元をほころばせると、ラウルは楽しそうに声を立てて笑った。

「あはは! いいね、長年第四皇子を支えてきただけのことはある!」
「ラウルは表情が豊かなんですね。エドゥアルト様の隣にいる姿しか見たことがなかったので、もっと近寄りがたくて怖そうな印象がありました。こんなに明るくさばさばしたお人柄だったとは」
「あー、それね、良く言われる。一応ね、エドゥアルト様の傍にいる時はそれらしい雰囲気を出しておこうと思って、表情も口調も改めているんだ。つまらない理由で亜人だからって陰口叩かれるのも嫌だしね」

 皇族の中で従者に亜人を登用しているのはフラムアークとエドゥアルトだけだ。私の場合は皇帝の采配でフラムアーク付きになっている為、実質的に自身の意思で亜人を登用しているのはエドゥアルトだけになる。

 私は不思議に思っていたことを率直に尋ねた。

「ラウルは、どうしてエドゥアルト様に仕えているんですか? 私達亜人にとって、ここは決して働きやすい環境とは言えないでしょうに」

 世界人口の大半を占める人間に対して、私達亜人は数そのものが圧倒的に少ない。一般的に亜人は人間に比べて身体能力が優れているとされているけれど(例えば兎耳族は聴覚)、その反面権力を持つ人間達からはその能力を警戒される傾向にあり、権力者の側近として登用される亜人はごくわずかだった。

「私はね、エドゥアルト様にスカウトされたんだよ。当時まだ十歳だった、こまっしゃくれたあの人にね」
「スカウト―――そうだったんですか」
「私は帝都で開催されていた剣術大会に出場していたんだ。一戦終えて出場者の控室に戻ってきたら、そこにひょっこり一人で現れたあの人に突然こう言われてさ。『今すぐ大会を途中棄権して僕のものになれ』ってね」
「それは……またスゴいですね」

 子どもの頃から飄々としていたエドゥアルトらしいといえばらしい逸話かもしれないけれど、ひとつ引っ掛かった。

「でも、どうして途中棄権を要求したんでしょう? 大会が終わってからの方が双方にメリットがあると思うのですが……もし優勝出来ればラウルに箔が付いて、エドゥアルト様としてもラウルを登用しやすくなるでしょうし」

 当時十歳とはいえ、あのエドゥアルトがそこに思い至らなかったとは考えにくい。

「何かね、他からの声が掛かる可能性を懸念してくれたらしいよ。全くの無名だった狼犬族の小娘相手にね」

 ラウルは少しはにかみながらそう言った。

 露出が増えれば当然他者の目に留まる機会も増える。エドゥアルトの目には余程ラウルが光って見えたのだろう。

 現在のラウルの活躍を考えれば、彼女を見定めたエドゥアルトの慧眼は確かなものだったと言える。

「いい身なりをしていたから、どこぞの貴族のバカタレぼんぼんが何をワケの分からないことをほざいているかと思って、始めは当然相手にしなかった。私はこの大会で優勝する為に練磨してきたわけだしね。
そうしたらあの人は私にこう尋ねてきたんだ。『お前はこの大会の優勝の先に何を見据えているのか』ってね。正直、そこは具体的に考えていなかったから意表を突かれた。だって優勝出来るかどうかも分からなかったし、私は自分の強さを確かめたくて出場しただけだったから。そしたらさ、『この先の人生、剣に携わり剣を究めていきたいと考えているのなら、僕はいい雇い主だぞ。世界の最先端を目にする機会と、世界の剣豪と渡り合う機会をくれてやる』って言うワケ。十歳のガキんちょがだよ!」

 その時のことを思い出して可笑(おか)しくなったらしく、ラウルは豪快に笑って目尻を拭った。

「あー、子どものクセして本当に偉っそうな態度だったなぁ……。でもさ、言ってることはスゴく真剣だったんだよね……本気の目をしてた。そうこうしているうちにあの人を探し回っていたお付きの人間がやってきて、帝国の第五皇子だって知って―――ビックリしたけど納得っていうか、腑に落ちたな。まあそれだけで決めたわけじゃないんだけど、そこから色々とあって、結果、今こうしている」

 それぞれの主従にはそれぞれのエピソードがあって、今こうして同じ場所にいる理由も様々……これまで知らなかった側面が見えてくると、エドゥアルトとラウルの二人の印象もこれまでと変わってくるから不思議だ。

「エドゥアルト様はあんな感じだからぶつかることもままあるけれど、いいところもないわけじゃないし、基本的に放任主義で私の好きなようにさせてくれるから、何だかんだでまあ満足していると言えるかな。そっちはどう? フラムアーク様は良くしてくれる?」
「ええ。あの方は優しいです、とても。いつも私達を気遣ってくれて―――目を配ってくれています」
「うん、そんな感じするね。直接話したことはないけど、エドゥアルト様とは正反対な感じ。気配の消し方はイマイチだけどね」

 ……? イクシュル遠征の時に何かあったのかしら?

「……? エドゥアルト様は厳しいですか?」
「んー、厳しいところと緩いところの落差が大きいかな。力の入れ加減が極端というか。ついて行けない人はついて行けないと思うよ。皇帝になるつもりはないって公言しちゃってるし、出世欲のある人からは敬遠されるよね。目に見えるような優しさもないし」

 これだけ聞いていると散々な人柄で、とても仕えたくない人物のように思えるけれど。

「でも、ラウルは満足しているんですよね?」
「これが自分でも不思議なんだけどね……」

 ラウルはそう苦笑して、肩に付いていた芝生を払った。

「そろそろ行こうかな。話せて良かったよ、ユーファ」
「私もあなたと話せて良かったです。ラウル」
「ああそうだ、今度もし良かったら―――と言っても主達の許可が下りたら、の話になるけど―――そっちの側用人……スレンツェっていったっけ? 彼との手合わせをお願い出来ないかな?」
「スレンツェと?」
「うん。彼、かなりやるよね」

 ラウルの瞳が一瞬、凄味のある鋭い光を帯びた。

「前から一度手合わせ願いたいと思っていたんだ。許可が下りるかどうかは分からないけど、エドゥアルト様に頼んでみるから、ユーファからもそういう話があったことをフラムアーク様と彼に伝えておいてくれないかな? そちらが受けてくれるかどうかはまた別の話で」
「……分かりました。そういうことでいいなら」
「じゃあお願い。またね」
「ええ、ではまた」

 手を振ってラウルを見送った私は、頼まれた言付けと彼女の武勲を照らし合わせ、かつてアズール王国の王子だった頃、近隣諸国に知れるほどの剣の武勇を誇ったというスレンツェの過去を思った。

『オレに本当に一騎当千の力があったなら、今ここでお前とこうしてはいなかったかもしれないな。……結果としてオレの国はもうないわけで、それが全てだ』

 以前それについて私が尋ねた時、彼は苦い顔をして、自嘲気味にそう言っていた。

 私はフラムアークに剣の指南をしているスレンツェの姿しか見たことがないけれど、帝国内でも指折りの剣士であるラウルがあんな目をして、手合わせを熱望するくらいだ。イクシュルの時はフラムアークとエドゥアルトは別で行動していたと聞いているから、ラウルもスレンツェが実際に剣を振るうところは見ていないはずだけど、剣の使い手同士には感じられる強者の匂いのようなものがあって、ラウルはそれを嗅ぎ取っているのだろうか。

 第四皇子の側用人としての彼の姿しか知らない私には、何だか想像のつかない話だ。

 とりあえずラウルから預かった言付けを伝える為フラムアークの部屋を訪れると、そこに丁度スレンツェもいて、何故か、私を見た彼らはどことなくぎこちない雰囲気になった。

「……? どうかしましたか? 二人とも」
「いや。……何か用、ユーファ?」

 ……怪しい。何か隠しているわね。

 そう直感しながらも、とりあえずラウルからの要望を二人に伝える。するとフラムアークは興味を示した様子で、スレンツェを見やった。

「へえ、そんな話が……。どうする? エドゥアルトがどう反応するかは分からないけど、オレ個人としてはスレンツェとラウルの手合わせを見てみたいな」
「……オレは構わんが。ただ、どういう結果になっても責任持たんぞ」
「じゃあ、こちらとしてはそういう方向で話を進めていいんだな?」
「ああ」

 こちら側はラウルの申し出を受ける方向ですんなりと決まった。後はエドゥアルトの意向次第だ。

「……それでユーファ、用事はそれだけ?」
「はい。そうですが……?」

 意味ありげな問いかけにじっとフラムアークの瞳を見つめると、彼は私の無言の追及を笑顔でかわした。

「そうか。もし何かあったらまた言ってくれ」
「……分かりました」

 どうやら今は言う気がなさそうね。

 それを察し、私はこの場での追及を諦めた。

 スレンツェも承知のことみたいだし、特段問題のないことであれば無理に聞く必要もない。

 そうは言っても気になるのが本音だけれど、必要があれば彼らの方からいずれ話してくれるだろうから、大人の私は無理に掘り下げず、ここは自重すべきなのだと、自分に言い聞かせた。
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