病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

黄昏の秘儀


 病弱だった幼いフラムアークにとって、枕元でユーファに絵本を読んでもらうのは楽しみな時間だった。

「―――助けられたお姫様はその後王子様と結婚して、二人は幸せに暮らしました。めでたしめでたし」

 悪い竜にさらわれたお姫様を王子様が助け出すという話を聞き終えたフラムアークは、ふとこんな疑問を口にした。

「ねえ、ユーファ。絵本には王子様とお姫様がよく出てくるね」
「そうですね」
「それで、だいたい王子様が悪いやつらからお姫様を助けて、最後は結婚するっていうのが多いよね。何でだろう?」
「うーん……王子様は男の子の憧れで、お姫様は女の子の憧れですから、その二人が幸せになるとみんなが幸せな気持ちになるから、そういうお話が多いのかもしれませんね」

 少し考えながら絵本の定番をそう説明する兎耳宮廷薬師を、フラムアークは意外そうな面持ちで見やる。

「王子様って、男の子の憧れなの?」
「そうですよ。きっとみんな一度は、王子様になってみたいなって思ったことがあるはずです。女の子は素敵な王子様に見初められて、幸せなお姫様になることを夢見るものですし」
「ユーファもそう?」
「私も幼い頃はそうでしたよ」

 にっこりと頷いたユーファを前に、フラムアークは沈黙した。

「フラムアーク様?」
「……。じゃあ、ユーファは僕を見て、ガッカリした?」
「えっ?」
「僕は皇子でしょ? なのに身体が弱くて、寝込んでばかりで、お母様にも会いに来てもらえない。絵本の中と違い過ぎて、ガッカリした?」
「……そんなことありませんよ」

 泣きそうな顔になってうつむいたフラムアークの金髪を、ユーファは優しい指先でゆっくりと撫でた。

「貴方は素直で優しくて、絵本の中の王子様達と同じ心を持っています。とても素敵な皇子様ですよ。私は大好きです」

 温かく柔らかな声音。そっと視線を上げると、綺麗なサファイアブルーの瞳が穏やかにこちらを見つめていた。

「……ユーファは僕と結婚したいって、思える?」
「ふふ。私をお姫様にしてくれるんですか? フラムアーク様さえ宜しければ、喜んで」

 国の制約などまだ知らない六歳の第四皇子に、兎耳宮廷薬師は微笑んでそう応える。

 それを額面通りに受け取った幼い皇子はとても温かな気持ちになって、あどけない笑顔を返した。

「うん、いいよ。大きくなったらユーファを僕のお姫様にしてあげる」
「本当ですか? 嬉しいです。大きくなっても忘れないで下さいね」

 冗談めかしたユーファの物言いに、フラムアークは白い頬を紅潮させて大きく頷いた。

「忘れないよ! 僕もユーファのこと、大好きだもん」
「まあ。私、幸せ者ですね」

 柔らかく瞳を細めたユーファはもう一度フラムアークの髪を撫でて、少し眠るように促した。

「寝るまで、傍にいてくれる?」
「ええ、ここにいますよ」

 その言葉に安心感を覚えながら、フラムアークは瞳を閉じた。



*



 ふと目を覚ますと、部屋の中は黄昏色に染まり始めていた。

 身体を起こしたフラムアークは、ベッドの傍らの椅子に腰掛けたまま、上体を折るようにしてベッドの縁(へり)にもたれているユーファに気が付いて目を丸くする。

 交差した両腕に顔を乗せて瞼を閉じているユーファは、どうやら眠っているようだ。その背に薄い肩掛けが羽織らされているところを見ると、一度スレンツェが部屋の様子を見に来てくれたらしい。

 彼女が約束通り自分が眠るまで傍にいてくれたことへの嬉しさを覚えると同時に、初めて目にしたそんな彼女の姿に、フラムアークは小さな衝撃を受けた。

 ……スゴく、疲れているんだ。僕が、迷惑ばっかりかけているから。

 子ども心に申し訳ない気持ちになりながら、フラムアークはユーファの整った顔をまじまじと見つめた。

 雪色の腰まである長い髪に、同色の柔らかな毛に覆われた兎耳。夕日の色を映した白い肌には長い睫毛の陰影が落ちて、ふっくらとした薄紅の唇がとても綺麗だった。

 両親から不遇されたフラムアークにとって、いつも身近にいてくれるユーファは温かな光そのものだ。

 だから、彼女が自分にガッカリしていないと知って、大好きだと言ってもらえて、とても嬉しかった。

 そんな彼女の為に、いつかは絵本の中の王子様のように身体も心も強くなって、彼女を幸せなお姫様にしてあげたいと思う。

 小さくても、男の子だ。出来れば強くありたいという願望はフラムアークの中にもあった。

「……大好きだよ、ユーファ」

 空気に溶けそうなほど小さな声で囁いて、フラムアークは身を乗り出し、絵本の中に出てくるワンシーンの真似事をする。

 まだ、その深い意味も、初恋という言葉も知らない、単純で原始的な、無垢な愛情からの行為―――。

 けれど一瞬だけ触れ合わされた唇には、彼女の体温と柔らかな質感が伝わって、幼い彼をどこか神聖な気持ちにさせた。

 フラムアークの記憶の中にしか残らないその秘儀は、彼がユーファの背を抜いて青年となった今も、胸の奥に大切にしまわれている―――。
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